「明るい人こそ心に闇がある」って正しいの? 24時間笑顔の人なんていない、適当にレッテルを貼っているだけでは
人は心ならずも、自分の本心とは正反対の行動をすることがある。大なり小なり、自分の意の反した言動をするのは、どうにも心苦しいものだけど、状況が本音の吐露を許さないことなんて、社会じゃ珍しくもない。
たとえば、プライベートで非常に辛いことがあっても出社をしなければいけない。それがもしも営業系の仕事なら最悪だ。まさしく顔で笑って心で泣くことになってしまう。(文:松本ミゾレ)
「明るく振る舞うことで自分を守ってるんだよ」
先日、2ちゃんねるに「明るい性格の人は実は心に闇を抱えている←これ」というスレッドが立った。明るい奴は、その笑顔の反面、心に闇を抱いているという指摘が世間にはあるそうだ。
これについては正直僕は初耳だった。思わず「え? そうなの?」と思ってしまった。このスレッドを立てた人物もまた、その風潮を「ほんとか?」と疑問視している。これについて色々と書き込みが寄せられているが、中には参考になりそうなものもあった。
「うちの姉がそれだった。友達多いし積極的によく喋るけどたまに部屋にこもって泣いてる」
「普段は暗い性格なのに外で人と話すときは明るい性格を演じてる人多そう」
「明るく振る舞うことで自分を守ってるんだよ」
ただ、これらが正しいか見当ハズレなのかは分からない。これは誰もが思うことだろうけど、明るい人が日がなずっと明るいなんてことはそもそもあり得ない。普段明るい人だって悲しいことに直面すれば泣くし、嫌なことに遭遇したら激怒する。
明るい人が、何かの拍子で普段とは違う側面を露呈させても、それはいたって普通であるようにしか思えない。明るい人ほど「実は心に闇が~」という傾向があるのだとしたら、単純にその対象人物への観察不足ではないかと感じられる。
結局どう生きてても、勝手に「心に闇がある」扱いされるリスクからは逃れられない
人がいつもと違う調子を見せると、周囲は「あれ? なんか大人しいね」と思う。これは普通のことだ。だけど、だからと言って「心の闇が深い」とか言い出すのは、ちょっと話が違ってくるんじゃないだろうか。
人の心を分かったふうに書くつもりは毛頭ないんだけど、やっぱり笑顔が似合う奴が四六時中笑ってるわけじゃない。そりゃたまには嫌な顔の一つはすることもある。つまりギャップなのだ。普段よく知る人の、少しでも違う様子を見てしまうと、途端にそのギャップに対して、ことさら神経質な目を送ってしまうだけなのだ。
大体、普段から明るく振舞うなんて本物の”ネアカ”以外、多少の無理をしなければならない。冒頭に書いたように、本心では辛いけど、それとは正反対の表情、振る舞いをしなければならない(と思い込んでる)人はいっぱいいる。
そういう義務感に苛まれている人って、傍から見ると本当にしんどそうだ。その上、ちょっとでも気を抜いて素を出してしまうと「ほら、やっぱりいつも笑顔だけど、本心では……」みたいに言われる可能性もあるのだから、やってられない。
結局のところ、こういう言説って根拠もないレッテル貼りなのだ。その証拠に、普段から暗い人なんてギャップがあろうとなかろうと、結局世間の大多数は「何考えてるか分からない、心の闇が深そうな奴」扱いをするんだし。
なんなら常に笑顔を崩さない、生き仏みたいな人を指して「あんなにへらへらし続けられるはずがない。きっと家では本性を出してるんだ」みたいな憶測を言う人だっているかもしれない。
そしてなにより、今こうして僕が書いていることすら、少なからず”明るい人は実は心の闇が深い”という説を掲げる人に対するアンチ・レッテルみたいな形になっている。こういうのは考えても無駄なのだ。
「世の中、色んな人がいるなぁ」程度で考えを打ち切って、余計な想像力で勝手に他人の性質を推し量るのは、下品である。