勝間和代、あさイチで自身の発達障害「ADHD」を語る 「さらっと言っていてすごい」と称賛の声
その話題になったのは、勝間さんの経歴を話しているときだ。働きながら3人のお子さんを育ててきたワーキングマザーでもある勝間さん。大学3年生の時には会計士の資格を持っていたので、学生でありながら会計事務所で働いていた。「単位はほとんどとってしまっていたのであまり学校に行かなくてもよかった」と語る。
学生兼会社員である21歳のとき、「何も考えずに」長女を出産したという。勤務先の会計事務所に子どもが生またことを報告すると、開口一番「おめでとう!」と言われたまでは良かったが、「いつからパートになる?」と聞かれた。
今でこそ働きながら子供を育てるのは当たり前だが、当時は「子どもを持って正社員という人はほとんどいなかった」と語る勝間さん。一旦態度を保留し、大学のゼミの教授に「残業も出張もなく、パートではなく定時で帰れる会計士事務所」を紹介してもらった。柔軟な働き方ができる日本企業はほとんどなく、外資系の企業だった。
ただ、半年か1年務めたころ、勝間さんは「仕事が向いていない」ことに気づく。
「私は会計士に向いていなかったんですね。細かいことがすごく苦手なので、人の帳簿や書類を調べるのは向いていなかった」
「私 ADHD という発達障害の一種を持っていて、この(早口の)喋り方もそうなんですが、拡散系で物事を広く考えることが得意なんですね」
そのため、自分から「コンサルティングの部署に移してもらった」そうだ。コンサルティングなら新しいアイデアを持っていれば時短でもある程度優遇される。無理に合わせるのではなく、自分の特性を認識して仕事のほうを変えたのだ。
適職を選べば能力を発揮できることを自然に体現
しかしそうして変えてもらったコンサルティングの部署だが、その後不況でなくなってしまう。それでも勝間さんは次に金融系に入り、金融と経済に強くなった。中途で入ったコンサルティング会社では自ら研修プログラム立ち上げるなど、その都度自分で居場所を確保し、活躍している。
発達障害といってもモデルの栗原類さんが告白したADD(注意欠陥障害)など、診断名も様々あり、特徴は人それぞれだ。程度の差はあれ、周囲に理解されないと、なんらかの「生きづらさ」を抱えることにもなる。
しかし勝間さんの話は、発達障害であることはハンデというよりも「特性」であり、適職を選べば能力を発揮できることを自然に教えてくれていて、同じADHDや発達障害の人たちを大いに励ましたようだ。自身も生きづらさや葛藤を抱える部分があるだろうが、それにはまったく触れず、こともなげに自身の特性を語る様子は清々しかった。
博多大吉さんは、「自分でそうやって切り開いて行かれたんですね」「先見の明がありますよね」と感嘆したが、勝間さんは「私の先見の明じゃなくて、たまたまそこにいられなくなっちゃったので。伸びてるところが雇ってくれたんです」と応じた。
能力が無ければ雇ってもらえないので謙遜だなあと思う。しかしまったく嫌味には感じない。勝間さんの魅力が存分に味わえる回だった。