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「社会人になって新作アニメやソシャゲの話題に共感できなくなった」という若者の悩みに「それでいい!間違ってない」と言いたい

僕は余裕のある大人に憧れている。余裕のある大人は、幅広いことに興味を持ち、その上で他者への共感を態度で見せてくれることが多い。しかし、余裕があって守備範囲もやたら広い人に対しては「普段暇なのか?」とも感じてしまう部分がある。

仕事とかで日常生活が忙しくなって、視野が狭くなったりするのはある意味で人間として自然だとも思うのだ。(文:松本ミゾレ)

社会人になったら一旦趣味と距離を置くオタクは別に少なくなくない

「社会人になってネットの話題に共感できなくなった」

「社会人になってネットの話題に共感できなくなった」

先日、2ちゃんねるに「社会人になってからネットの話題に共感できなくなったんだが」というスレッドが立っていた。スレ主曰く、ネットではアニメの話題で盛り上がっているが、自分は興味を持てないという。

ゲームを遊ぶ暇もないから買ってすらないし、ソシャゲも漫画も、今何がブームなのかも分からなくなったそうだ。その上で「大学の頃と違って、今5ちゃんやツイッターを見ても自分だけ浮いてる感じだわ」と書き込んでいる。

この書きぶりだと大学生の頃までは、ゲームや漫画やアニメにどっぷりだったんだろう。しかし、仕事が忙しいのか、そういったものに興味を持つ余裕もない……といったところだろうか。

まあよほどのオタクじゃないと、社会人になったらサブカルチャーからは一旦おさらばするし、こういう若い人って案外多いんじゃないだろうか。恐らくだけど、ツイッターもアニメやらゲームの趣味の傾向が高い人ばかりフォローしていたんだろう。

だから現状の自分と、以前と変わらずネットの世界でサブカルに注視し続けている人たちとの間に温度差を感じているのだ。もっとも本人的には、現状仕事は忙しいけど、毎日辛くはないし、休日も楽しめているという。

ではなにが問題なのか。彼の書き込みには、「就職前の大学時代の名残でSNSを見てるけど、自分だけネットの流行から置いてけぼりを食らってる感じがして虚しい」とある。この、かつて熱情を注いだコンテンツとの離別こそが、彼を感傷的にさせるポイントなんだろう。

物事は移ろうもの!人生に暇な時間ができたらまた趣味に興じてみては

このスレ主の主観に対しては、肯定的で面白い意見も書き込まれている。いくつか紹介したい。

「健康的な生活スタイルになったのに無理にアニメ・ゲームしなくても良くない?」
「流行が追えないってより流行が見えないの方が多分正しい。『異世界魔王』も『グリッドマン』も『キズナアイ』もグループの外に一歩でも出たらもう他の人には通じない話題」
「基本そのクラスタ内でだけの盛り上がりだから、一部の声が大きいだけで最早”ネット”みたいな大きな括りでは動いてないんだよね」

こんな感じで、社会人として日々の生活を歩む上で、これまで生活の隙間を埋めていたジャンルについていけないことに理解を示す声は結構多かった。

で、ここからは僕の持論で、冒頭の「余裕のある人になりたい」という願望にも通じるところなんだけど、結局人が興味を持てる範囲って決まってるんだよね。

このスレ主の場合、社会人になって充実した日々を送る前は、この枠に余裕があってアニメや漫画を追うことが出来た、と。それが就職した現在では、枠のキャパからアニメなり漫画なりが追い出されたことで、代わりに労働や社会人としての付き合い、収入を得る喜びみたいなものが収まったと考えるとどうだろう。

1日はどう逆立ちしても24時間しかない。労働も遊びもサブカルも恋愛も、どれも万遍なく楽しむなんてことはできやしない。スレ主は恐らく本質的にそれを理解して、現在の生活スタイルを選んだのだ。そしてそれをちょっと後悔している節もあるけど、僕はそれでいいと思う。

別に彼が以前興味を持っていたジャンルが、彼が離れることで衰退するわけでもないし。いつか、それこそ彼が生活を送る上で余裕を手にしたとき、再度潜ればそれで十分なのだ。

そして、余裕ってどこから生じるのかと考えたんだけども、やっぱり金銭的な余裕より時間だね。時間がないとダメ。スレ主にとって重要なのは、今はアニメとかではなく、社会人となって以降培ったものだと思う。彼の現状は間違っていないのだ。

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