人材営業に留まらない──INTLOOPで目指す真のソリューション営業とは | キャリコネニュース
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人材営業に留まらない──INTLOOPで目指す真のソリューション営業とは

▲21歳の頃の菊地。ヒップホッパーを意識したドレッドヘアーに

▲21歳の頃の菊地。ヒップホッパーを意識したドレッドヘアーに

HIPHOP専門のレコードのバイヤーから人材営業という異色のキャリアを築いてきた菊地智士(きくちさとし)。前々職、前職でも人材営業として実績を積み上げてきた菊地はどのような想いで営業としてのキャリアを選択したのか。そして彼がINTLOOPで目指す営業像とは。【talentbookで読む】

HIPHOPミュージックに没頭した20代

菊地の社会人としてのキャリアはレコード販売店の運営から始まる。きっかけは高校生の時に聞いたHIPHOP。衝撃を受け、HIPHOPミュージックに惹かれ、魅了されていた。

菊地 「黒人の方が歌うラップに衝撃を受けました。ピストルを持ったジャケット写真、彼らの生き様すべてが衝撃的。

当時の黒人男性の生き方はドラッグを売るか、ラッパーの 2択とまで言われていて。そんな生き様がラップで表現されていて。とにかく聞きまくりましたね」

一旦何かに熱中するととことん追求する性格の菊地。アルバイトで稼いだ給料で購入したレコードは7000枚を超えた。高校卒業後、デザイン系の専門学校に通っていたが、結局就職はせず友人の誘いで販売店を立ち上げることに。

菊地 「持っていたレコード 7000枚をすべて商品として並べました。それ自体はすべて売れて、 2、 3年はうまくいっていました。次は海外から流行りそうなレコードを買い付けて売ろうと考えましたが、その方針が友人と合わず、結局お店は畳んでしまいました」

店を閉じた後、再びアルバイト生活をしながらレコードを買うという生活に戻った。その生活が始まった直後、レコードを買いに行った時、バイヤー募集のポスターを目にした。

菊地 「タワーレコードのエレベーターに乗っていたら『 HIPHOP専門のバイヤー募集』のポスターを目にしまして。これはやるしかないということで、その足ですぐに応募しました(笑)」

菊地がタワーレコードを選択した理由はタワーレコードの運営方針にある。

タワーレコードはどのアーティストのCDやレコードを仕入れるかは各店舗の運営者に委ねる。自身でお店をプロデュースしたいと考えていた菊地はその店舗運営の自由度に惹かれた。面接ではHIPHOPに対する菊地独自の観点で情熱をぶつけ、内定を勝ち取った。

菊地 「面接では 90年代の好きな HIPHOPのアーティストを聞かれましたが、 80年代から好きなアーテイストは数多くいたので、そこから語りまくりました。おもしろい奴だと思って採用してもらったんだと思います(笑)」

こうして菊地のHIPHOP専門バイヤーとして、キャリアが始まる。

chicanoラップを流行させたタワーレコード時代

▲菊地が在籍したタワーレコード

▲菊地が在籍したタワーレコード

菊地が配属された店舗は渋谷。菊地の中でどんなアーティストを推したいかは既に決まっていた。

菊地 「 2000年代前半の頃、アメリカで “chicano ”というラップが流行っていました。スパニッシュと英語をミックスしたようなラップで。僕も大好きでこれは日本でも絶対流行ると思いました」

菊地は早速chicanoラップのアーティストのCDを仕入れた。また、菊地にはchicanoラップが日本で流行るという確信以外にも、考えていた販売戦略があった。

菊地 「最もこだわったのは POPですね。そこにこだわるのは当たり前なのですが、僕は制作スピードにこだわりました」

CDショップでつくるPOPは手書きが普通。ところが菊地は制作スピードを優先し、パソコンで制作したのだ。

パソコンでのPOP制作で仕入れてすぐにPOPが貼られ、渋谷のタワーレコードのHIPHOPコーナーには、多くのchicanoラップのPOPが並んだ。これによりchicanoラップアーティストの売上はどんどん伸びていく。だが、理由はPOPの制作スピードだけではなかった。

菊地 「 POPのコンテンツのクオリティにも自信を持っていました。売れた理由はそこにもあると思っていて。その証として僕がつくった POPを『 bounce』というフリーペーパーの編集長が見つけて、『是非 bounceに載せる CDのレビューも書いてほしい』と直々に依頼がありました」

菊地はbounceからCDのレビュー記事の作成を個人として受けるようになった。そして渋谷店でのchicanoラップアーティストの売上向上の勢いの噂は他店にもとどろいた。

菊地のバイヤーとしてのキャリアは順風満帆かと思われたが、菊地には不安があった。

菊地 「実は収入の事情でタワーレコードの仕事のほかに引っ越し屋のバイトを掛け持ちしていて……タワーレコードでの仕事自体にはやりがいがありましたし、大きな不満はなかったのですが、体力的にこのままずっと続けていくイメージがないのと、バイヤーとして長期的なキャリアを築ける自信もなくて」

そしてついに菊地は、3年いたタワーレコードの退職を決意する。

営業マンとしてのキャリアのリスタート

▲INTLOOP内での菊地

▲INTLOOP内での菊地

菊地はタワーレコードを退社後、アルバイトでお世話になっていた引っ越しセンターに転職し、そこで生活費を稼ぎつつ、次の会社を探していた。

ネットや本で情報収集している中で、たどり着いたのはバブル真っ只中のIT業界。

菊地 「これからの市場の成長性を考えたときに、 IT業界しかないと思いました。イチからのスタートでしたが、もう一度自分のキャリアをつくり直したいと」

菊地は自力で次の会社を探し、当時はまだ小さい規模だったSIerに入社。そこで任された最初の仕事はオープン系のサーバーのログ監視。

菊地 「任されたサーバーのログ監視はすぐに終わる作業で、業務時間的にも相当余裕がありました。余った時間は上司の営業活動の手伝いの仕事を取りにいったり、資格取得に充てました」

菊地が自ら手を挙げて取りにいった上司の営業の仕事。サーバー運用の仕事をやりつつ、IT領域の知識を身につけ、未経験から営業としてもエンジニアとしてもスキルをつけていった。一方で、菊地はあることに気づく。

菊地 「保守運用のみの IT知識では今後の ITのビジネスで戦っていけないなと」

そんな折に、前職の取引先であったINTLOOPと出会った。

INTLOOPで真のソリューション営業を目指して

▲INTLOOP内での菊地のワークシーン

▲INTLOOP内での菊地のワークシーン

菊地は、INTLOOP役員である田口との会話で心を動かされた。

菊地 「 SESビジネスで年商 10億は大きな壁だけど、それを越えるということ。 INTLOOPではすでに 40億弱を積み上げているということ。そういう話を聞いて、これからこの会社がやろうとしている事に、ワクワクしたんです。

また、『ハイパフォーマー』という自社サービスを持っていることや、新規事業を含めて新しいことをやらせてもらえること、そしてINTLOOPのシナジーを追求した事業ドメインにも魅力を感じました」

菊地はHIPHOPに魅せられたあの時と同じように、INTLOOPに魅せられた。そして数ある転職先の候補の中からINTLOOPへの入社を決意する。

入社後は、営業を担当。彼が仕事をしながら考えていることは、ただの人の提案だけでは終わらない営業になることだ。

菊地 「会社にはフリーランス人材集客で培ってきた、デジタルマーケティング集客のノウハウがあります。それを使って、外販するデジタルトランスフォーメーション事業を立ち上げているんです。そういうコンサルティングをやっているからこその強みを生かして、営業をやっていきたいと思っています」

営業のキャリアを着実に進んでいる菊地。そんな彼が目指す営業の姿とは──。

菊地 「 ITやデジタルトランスフォーメーション事業に所属するコンサルタント部隊が身近にいるので、そのノウハウはいつでも吸収できます。そういったノウハウのインプットと顧客へのアウトプットを高速で回し、人材提案を超えた真のソリューション営業を目指していきたいです」

INTLOOPとともに高みを目指し続ける菊地。彼は、まだ見ぬ自分に出会う旅の真っ最中だ。

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