御社の採用担当者は「内定辞退者」の幸せを願えるか? | キャリコネニュース
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御社の採用担当者は「内定辞退者」の幸せを願えるか?

「内定辞退者」の幸せ、願えますか?

「内定辞退者」の幸せ、願えますか?

今回は少しキレイゴトを言います。企業の採用活動とは誰のためにやるものでしょうか。もちろん一般的な回答は、自社の事業をうまく推進するための組織づくりのためのメンバー集めが採用ですから「自社のため」ということになるでしょう。

しかし、それだけを考えて採用活動を推し進めていくと、結局は自社のためにならないことがあります。つまり自社のための採用をするためにも「世のため人のため」の採用、つまり「社会最適」の採用を行う必要があります。今回はこのことを一緒に考えてみたいと思います。(文:人材研究所代表・曽和利光)

「自社最適」を突き詰めるとアンチを作る

「自社のため」という視点しかなければどうなるでしょうか。例えば「内定辞退者」は裏切り者に思えることでしょう。これをいかに少なくするかを必死になって頑張っている採用担当者も多いと思います。

内定辞退者を少なくするにはどうすればよいか。主に2つの対策があります。ひとつは、最終的に内定を辞退する確率の高い「志望度の低い人」を不合格にすること。あるいは、そういう人たちがそもそも応募しにくいように作業負荷などをかけたりすることです。

しかし、初期段階で志望度が低い人たちの中にも、優秀で自社に適性のある人材がいます。本来はそのような人材にも応募の門戸を広げ、丁寧に情報提供することで志望度を高めることも採用担当者の大事な仕事です。

志望度の低い人を初めからなおざりにすれば、応募者は「この会社はそっけないな」「上から目線でムカつくな」と思うことでしょう。これでは仮に辞退率が下がったとしても、優秀な人材を採り損ねるだけでなく、自社への反感を抱かせるおそれがあります。

もうひとつの対策は、相手が音を上げるまで口説きまくることです。この場合もストーカーのように自社の思いだけを押し付けることになり、志望者に「この会社は相手のことを慮らないんだな」「自分の意思を強引に通そうとする風土なんだな」と思わせてしまいます。

要するに、自社最適だけを貫けば、自社のアンチを作るおそれがあります。考えれば当たり前ですが、自社に入った人以外の気持ちは分からないので意識しにくいのです。

逆をすれば「ファンを作る機会」ができる

それでは、一見すると「自社のため」にならないような、上記とは逆のことをしてみるとどうなるでしょうか。つまり「志望度の低い人にも丁寧に接してすぐに関係を切らない」「候補者が内定を受諾するかどうか考えるためにフラットに相談に乗る」ということです。

内定辞退者を裏切り者扱いするのではなく、将来の日本社会を背負う前途ある若者が、自分の進路を自分自身で選択することを祝福するスタンスを保つということです。

これは「社会最適」の採用方法といえるでしょう。おそらく表面的な辞退率は増加します。志望度が低い人と付き合ったり、ガツガツ口説いたりしなければ当然の帰結です。

しかし、その一方で自社に対するファンは増える可能性があります。「自分は行かなかったが(合わなかったが)、あの会社はいい会社だ」と思う人が増えるからです。

要は、志望度の低い人や辞退者に対してフラットに接する、つまり相手の立場に立って相手の幸せを願う「負荷」と、「アンチを作る」「ファンを作る機会を逃す」ことのトレードオフをどう考えるか、ということです。

このことは、会社が「自社最適」ばかりを追うのか、「社会最適」も考えるのかにつながります。負荷の方が大きいと思うなら自社最適になり、相対的に小さいと思うなら社会最適の手法を取るわけです。

私が見ている限りにおいては、どうも「社会最適」の負荷が過大であると思う会社は多そうです。「オワハラ」(就職活動終われハラスメント)や圧迫面接、過重なエントリーシートなどがまだまだあるのがその象徴です。

「世間は狭い」を知らない人が自社最適に走る

しかし、このソーシャルネットークの発達した「スモールワールド」な時代において、答えは明白ではないでしょうか。いわゆる「六次の隔たり」(Six Degrees of Separation)説では、全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっているということです。

実際、リファラル採用(社員や内定者の知り合いの紹介によって候補者集団形成を行う採用手法)をちゃんと行なっている人事担当者であれば、社員の友人の友人をたどるだけで、とてつもない数の人に出会えるため、こういう実感を持っているのではないでしょうか。

「世間は狭い」のです。落としたり別れたりした人とは二度と会わない、などということはありえません。

また、お互い協力した方がよりよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる「囚人のジレンマ」においても、何回目の勝負で終わるかお互いに分かっている「有限回のゲーム」では裏切りが最適解になるが、終わりの分からない「無限回のゲーム」では協調の可能性が生まれるといいます。

長く人生を生きていれば、実体験として自分のしたことの結果が後で返ってくることが分かるわけですが、若い人ほどそれぞれの出会いが単発のものであると思えることもあるでしょう。でも、人生は死ぬまで長く続くゲームなのです。

情けは人のためならず

冒頭で申し上げたことを繰り返すことになりますが、「世のため人のため」になるような「社会最適」な採用をすることが、結局は「自社最適」になるということです。

そして、そのことを納得しながら行うためには、「世間の狭さ」と「人生の長さ」に思いを馳せましょう、ということです。昔の人のいう通り、「情けは人のためならず」。人にかけた情けは、結局自分に返ってくるのです。

最初にキレイゴトとは言いましたが、実は実利的に考えても「世のため人のため」に採用を行うべきなのです。そう考えれば「社会最適」は決して道徳の問題などではなく、ふつうに目指すべき経営方針といえるのではないでしょうか。

【筆者プロフィール】曽和利光
組織人事コンサルタント。京都大学教育学部教育心理学科卒。リクルート人事部ゼネラルマネジャーを経てライフネット生命、オープンハウスと一貫として人事畑を進み、2011年に株式会社人材研究所を設立。近著に『人事と採用のセオリー』(ソシム)、『コミュ障のための面接戦略』(星海社新書)。

■株式会社人材研究所ウェブサイト
http://jinzai-kenkyusho.co.jp/

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