もう一度ここで───。挑戦者は、なぜ一休に戻ってきたのか
2016年12月に一休に入社をしてから、半年で退職・起業・一休に再入社と、怒涛の4年間を過ごしてきた井上 尚也。再入社後も人事、新チームの立ち上げ、営業チームのリーダーとさまざまなミッションを遂行している。なぜ彼は新しいことに取り組むのか?なぜ取り組めるのか?【talentbookで読む】
「起業をしたいから」という理由で踏み出したファーストキャリア
大学卒業前は就職する気がなくて、農業ビジネスでの起業を考えていました。そんなときに知人から『それならシンガポールでやったほうがいい』とアドバイスをもらったので、卒業後はシンガポールへ行くつもりだったんですけど。ちょうどそのタイミングで就労ビザの発行規制が厳しくなって頓挫してしまったんです(笑)。
じゃあ、就職するかということになり、「就職するならおもしろい会社がいいな。大きな会社より小さい会社で先頭走れる会社がいいな」と、地方の小規模の会社を受けていました。そのときに出会ったのが広島にあるスーパーマーケットです。
入社後は現場に配属されました。朝3時くらいから市場に野菜を仕入れにいって、店頭で並べて、売っての繰り返しでした。
そして現場での勤務が半年くらい経ったときに急に本部に呼ばれ、新分野開発室という新設の部署に配属され新商品の開発担当になりました。ミッションは「日本の流通を変える」50億円分の商品を仕入れて販売すること。それだけを言い渡されてあとは「好きにやってみて」と言う感じでしたね(笑)。
異動してからの1年間は本当に何をやってもダメでした。
PB商品を企画するにしても NBのラベルだけ変えただけのようなものは「ここでしか買えない独自商品ではない」とNGでしたし、また個店主義を大事にしている会社だったので、私が企画したところで、各店舗の店長、バイヤー、現場がOKじゃなないと置いてくれない/売ってくれないで、なかなかミッション達成の兆しが見えませんでした。
とはいえ、何かしら動かないと始まらないので、平日は農家さんや工場回って仕入れたり、土日に店舗回って試食販売したり──とにかく動きました。
そんな中、ある商品をきっかけにブレークスルーしたんです。
その商品とは、長野県から仕入れていた牛乳です。
低温殺菌牛乳といって、非常においしい製法の牛乳なのですが、賞味期限が極端に短い。仕入れ始めた当初はまったく売れず、在庫の山。店舗からはクレームの嵐でした。
週末は毎週、店舗に立って試食販売。そのときは売れるのですが、平日はまったく売れない。いよいよ「この商品はもうやめよう」と当時の上司から言われる始末。今までの僕だったら、「売れないので辞めますか」と言ってたと思います。でもそのときは何故か「あと1カ月ください」と言ったんです。
そこから本気で模索しましたね。本当に売れないのか?どうやったらおいしさが伝わるのか。結果、たどり着いた答えは、その牛乳でつくったプリンでした。
当時1日10個売れればよかった店内手づくりプリン。この牛乳でプリンをつくりだした途端、1日1000個売れる大ヒット商品に。さらにプリンに使われている牛乳として紹介したところ牛乳も大ヒット。
そこからは本当に何をやってもうまくいくようになりました。まさに破竹の勢いでしたね。
当時も仕事はおもしろかったですし、辞める直前も新聞に取り上げられるような取り組みが始まったばっかりでした。
一休で得た“成長”と、起業を経て経験した“挫折”
仕事に対するやりがいがあったのに転職を決めたのは、成長を求めていたからです。今いる環境よりも成長できる場所があるならば行ってみたいなぁ、と。
そのタイミングで一休と縁があったんです。昔から起業を意識していたこともあり、一休以外はスタートアップを中心に見ていたのですが、一休は面接であった人すべてが魅力的で、仕事に一生懸命な人が多くて。
気が付けば選考中には配属先の話はしておらず、「観光IT」あるいは宿泊事業なものだと思っている状態で入社。配属されたのはレストランの新規掲載の営業部署と、全然違っていたのでちょっと戸惑ったのを覚えています(笑)。
これまでガッツリ営業をしてきたわけではありませんでしたが、スーパーでも工場や、農場に飛び込み営業をしていたので、結構できるんじゃないかと思っていました。ですが、2カ月間で新規掲載できたのはたった1件。
このままではダメだと思い、何がダメなのか徹底的に洗い出しました。売れている営業に同行したり、社内のさまざまな人に教えてもらったり、自分のトークを録音しレビューして見つめなおしたり、いろんな営業本を読みました。
一個一個ダメなポイントを改善していった結果、3カ月目から急激に実績がでるようになりました。が、そこで転機が訪れてしまったんです。
東京に来て一休で働くかたわら、「せっかく東京に来たのだから」と週末はいろんなところに顔を出してさまざまな会社やビジネスのインプットしていました。その中で自分より年下で起業している人がたくさんいることに気付き、自分も「卒業して3年で起業する」と宣言していながらできてないことに危機感を感じました。
まず何かやってみようと動き出したら、知り合いに共感してくれるエンジニアやデザイナーがいたり、出資してくれる協力者との出会いがあったりで。予期せずそのタイミングで「ヒト、モノ、カネ」がそろっちゃったんですよね(笑)。
今やらないと後悔するかもと思いました。こうして当時一休に入って4カ月目くらいでしたがやめることを決めたんです。
一休には入社までも半年近く待ってもらっていたので、その上4か月でやめるのは本当に心苦しかったんですが、起業を応援するというか。逆に周りから背中を押してもらって退職する運びとなりました。
こうして約1年間事業を運営したのですが、結局軌道に乗せることができずサービスを閉じることに。今振り返ると、結局自分が甘かったんです。
ただ起業がしてみたかった。『起業』が目的だった。だから失敗したんだと思います。
一休に戻り、“世界一”の実現のために奔走
サービスを閉じると決めたときは一休に戻ることなんてまったく考えておらず、次に挑戦したいことも明確にありました。
そんな折にCHROの植村 弘子から食事の誘いをいただいて。
話をする中で、あらためて一休の今の課題や目指したい世界観。そこに向かうことの困難さを聞いて。そしてその上であらためて一緒にやろうと誘っていただき心が揺れました。最終的には僕の軸である『何をするかよりも誰とするか』から「この人と一緒に仕事をしたらおもしろそうだな。一緒に挑戦できたらな」と思い再入社を決意しました。
復職後の配属先は人事部でした。ミッションは「世界一採用がイケてる会社になる」。当然ですが、人事は未経験です。世界一採用がイケてるを自分なりに定義し、どうすれば良いのかを考えては実行する。という日々でした。自由に考えて自由に行動できるので、ミッションは重いですが全力で取り組みましたね。
世界一を実現するために、さまざまな施策を行いました。その中でもとくに某経済メディアとタイアップで行った採用イベントはステークホルダーも多いし、企画も集客も当日の運営もめちゃくちゃ大変でした。終わるまでの数カ月はめちゃくちゃヒリヒリした日々でしたね。
正直、一休の仲間が助けてくれていなかったら挫折していたと思います。僕は仕事を進めるのは早いと思うんですが、その分、雑になることや、ヌケモレするのを皆さん知ってくださっていて。かなり助けられました。
そんな大変な想いをしてまで行ったイベントは自分で言うのもなんですが大盛況でしたし、採用にもつながりました。面接に来る方もそのイベントや記事を見たと言ってくださる方がいらっしゃって、世界一に少し近づいたかな、と。
あと、大きな取り組みとしては、『Labo』という組織を立ち上げてメンバーも採用し、人事ですが営業も行っていました。人事として事業部に何か貢献できないかなと思っていく中で、外から見て意見を言うだけでなく、どうやったらもっと良くなるのか、生産性が最大化するのか実験しようという試みですね。なので、人事で戻って1年半所属していたんですが最後の半年は営業メインでした。
一休のいいところは、事業間の壁がほとんどないし、想いを持って『やりたい』って言えば新しいことにやらせてくれること。その分責任はともないますが、同じことをやり続けるほうが僕はつらいのでありがたかったです(笑)。
これからも、目の前のことに全力で──
2020年現在は、レストランの中でもハイレイヤーのクライアントを担当している営業チームのリーダーをしています。レストラン事業部を大きく再編成する。という話があがったので、思い切って手を挙げ、今のポジションを任せていただけることになりました。
現チームは自分以外に8人。内、営業メンバーが6人。2人が営業初心者+4人半年未満となかなかチャレンジングな状況です。ただ、今は「一休.comレストラン」にとって重要なタイミングなので、その最前線で勝つことができたら、と思っています。
そのためには、メンバー8人をどうやってマキシマイズさせるかがテーマですね。マネジメント論ではないのですが、これまで一休でやらせてもらった通り、みんなにも個性/強みを生かしてもらうためにはどうしていこうかと考えています。
営業戦術やマネジメントはリーダーに裁量が渡されているのでその選択肢も多いんです。全社的に裁量が大きいんですよね。
その中で意識しているのは個性をフル活用し、目標を振り分けること。たとえば、データの分析やロジカルな商談構築が得意なら法人系を担当してもらうとか。食が大好きで想いの強い個店のオーナー対応にはまるだろうなと思えば個店系を多くするとか。結果、目標数字はかなりいびつ。
はたから見るとなぜそんな割り振りなの?と思われるかもしれませんが、その方がパフォーマンスは高いと感じています。お互いを理解し、補い合うような環境づくりをしていきたいんです。僕自身も一休のそういう環境に救われてきましたから。
その上で、部下に多くを任せるようにしていきたいです。昔は全部自分でやらないと気が済まなかったんですが、ひとりで仕事はできないし、人にゆだねることは大事だと思うようになりました。
そうやって目の前の課題解決に一生懸命に生きてきたので人生の高い目標はとくに思い浮かばなくて。これからも目の前のことを一生懸命やっていくだけだと考えています。
よく『チャレンジをしている』と言われますが、その認識は本当になくて。ずっと同じことをやるのが苦手なんです。自分が飽きないようにするために、次をするために今に注力していて、その連続なんですね。
これからも「おもしろそう」と思ったものをまずやってみて、目の前のことに全力をかけた結果、いいものを生み出していければいいなと思っています。
株式会社一休
この会社にアクションする