僕がSEからITコンサルタントになった理由── “流転”のキャリアストーリー

SEからコンサルに転職したい人は、少なくないと思います。僕もそんなキャリアチェンジをしたひとりです。

僕は兵庫県尼崎市で野球少年として幼少期を過ごしました。

中学3年生のとき、友人に勧められた『フルメタル・パニック』というライトノベルを読んで原子力の核分裂に興味を持ちました。近未来兵器が登場するミリタリー系のストーリーで、核技術などテクノロジーの細かい描写に、子どもながらに感動したことを今でも覚えています。

そこから興味の矛先が、数学や物理といった理系に向いていきました。父から、「数学がすべての学問の基礎だ」と耳にタコができるくらい聞かされていたこともあって、理系科目ばかり頑張っていました。高校時代はとくにその傾向が顕著で、理系だけテストの点が良かった記憶があります。

一方で自分なりに将来を考えて「英語は絶対必要だ」とESS部に入ったのですが、周りは女子ばかり。だんだん気まずくなったのと、生徒会に駆り出されたこともあって実質は帰宅部状態でした(笑)。

大学は一年浪人をして神戸大の海事科学部へ進学しました。海事科学とは、理工学をベースに社会科学までを含んで「海洋を舞台とした人の活動」に関わる問題を探求する学問領域です。

海事科学部の前身である神戸商船大学には、原子力を動力として船舶への利用を考える学科が設立されていた背景があり、原子力研究も盛んでした。結果的には原子力関連だけでなく、工学や理学、経済、法律などさまざまなことを学ぶことになりました。

そこで、船舶実習で一カ月間海の上にいるという、希少な経験もしました。ただ、実習で使う船にはひとりのミスが大事故につながるという危機意識から厳しい規則がありました。

朝は6時に起床。船内清掃から始まります。ヤシの実を使って「ワッショイ!ワッショイ!」と大きな声で叫びながら裸足でデッキをゴシゴシと磨きます。これがとてもつらかったことを覚えています。

しかも乗船したのが冬だったため、汚れを流す海水がとにかく冷たく感じました。途中から「ワッショイ」が掛け声なのか、やけくそなのかわからなくなるほどです。終わった後足を洗うために常温の水道水をかけたら、ものすごく温かく感じました。

大学院へ進学するも研究テーマとは無関係のソーシャルゲーム会社へ就職

▲ 原子力の研究に没頭した海事科学部時代の文野

▲ 原子力の研究に没頭した海事科学部時代の文野

学部4年には研究室への配属が決まり、「原子力船の経済性」について研究しました。研究テーマが興味のあった原子力だったのは良かったのですが、経済性という全然違うフィールドの内容を教授から割り当てられて、かなり戸惑いました。経済学なんてやったことないし、経済学をやりたいなら経済学部に行くよという話です。

最初は納得できなかったのですが、実は先行研究がほとんどなく、国際海運市場で原油価格が高騰していた当時の時代背景もあって、どこへいっても強い関心を持ってもらえました。研究を続ける中で、非常に意義のあるテーマだとわかったのです。

自分の研究をもっと深めたいという理由から、大学院にも進みました。

研究というものは一度取り組むと端的に終わりがありませんし、学部1年間でできるレベルはそう高くありません。やればやるほど、ここをもっと掘り下げたいと、どんどん新しい観点が出てきました。

大学院での2年間で専門分野を確立することができた上に、その研究成果を持ってアメリカの国際学会で発表するというありがたい経験もできたので、大学院へ進んだことはとても良かったと思っています。

しかし、そんな大学院時代に福島第一原発事故が起こりました。その影響で、出るはずだったシンポジウムや学会はすべて自粛になりました。原子力業界そのものが、犯人探しのような不毛な責任論で埋め尽くされたのです。

自分はただ研究がしたかっただけなのに、原子力と聞くと途端に脱原発か原発推進かと2択を迫られて、誹謗対象になるような状況でした。現実の原子力は、夢やロマンよりもノイズの多い環境であることをと痛感しました。

そうして、中3から続いていた原子力への熱がすっかり冷めてしまい、違う道を模索することにしたのです。

大学では、システムダイナミクスというコンピュータシミュレーションを使うというプログラミング寄りの研究をしていたこともあり、理系ゆえ何かしらの技術に関わりたい想いがありました。

結局、大学院卒業後は、東証一部上場のソーシャルゲーム会社に就職しました。

なぜ原子力関連の企業や海事系の会社に就職しなかったのかと、よく聞かれるのですが、僕の想いとマッチする会社に出会えなかったからです。

就職活動していた当時は某企業が「優秀な新卒には1,000万出す」なんて言っていたほどソーシャルゲームがバブル期で、成長中のホットな業界はチャンスが多く優秀な人も集まってくる。そんな環境に身を置くのはおもしろいのではないかという好奇心が、僕を突き動かしました。

エンジニアとして方向性に悩んでいたころにコンサルを目指す転機が訪れる

▲最新テクノロジーに興味があり、仕事には直接関係ない範囲のものにもアンテナを張るようにしています

▲最新テクノロジーに興味があり、仕事には直接関係ない範囲のものにもアンテナを張るようにしています

期待に胸を膨らませて入社したものの、入社3カ月で企業とのミスマッチが起こりました。1.5カ月の技術研修で現場に入りバリバリプログラムを書くという、非常に高いレベルが新卒に対して求められたのです。プログラミングの基礎知識がなく真っ白な状態の僕には、扱う幅の広い研修はつらいものがありました。努力はしたもののなかなか積み上がらず、残念ながら求められるレベルに至りませんでした。

エンジニア職で入社したにも関わらず、だんだん総合職系の違う仕事をこなすようになっていったことと、当時の上司とうまくいかなかったことなどが重なり 、入社9カ月で退社しました。

その後、プログラマーとしてリスタートしたいという想いから転職した先が、中小企業向けのクラウドサービスとSES事業を持つIT企業でした。

そこで2年間ぐらいSESをやった後に、自分のリスクでやりたい開発を行いたいとフリーランスエンジニアになりました。

やっていくうちに気付くのですが、SESもフリーランスのエンジニアも職種の性格上ある程度要件がまとまったものが切り出されての作業です。そのため、「なぜその要件として整理されたのか」や、「全体としてどうあるべきか」という所までは踏み込ません。

このとき年齢が30歳手前だったこともあり、もっと深堀していくか、上流に向かうかなど、どうキャリアを進めていくべきか悩み始めました。もっと言えば、エンジニアとしての限界を感じていた時期ともいえます。

しかし悩みながらも、もう少しエンジニアとして粘りたい気持ちがあり、ご縁があった常駐先の会社に入社しました。ここで僕は転機となる出会いを果たします。

僕が加わっていたプロジェクトに、外資系コンサルティングファームの出身者が上司としてアサインされました。言葉のキツさこそあったものの、面倒見がよくとても思いやりのある方でした。

この方からさまざまなことを学びました。中でも、「やりきることの大切さ」を学べたことは大きかったと思います。

できないことをどう解決するか、あらゆる角度から考えてトライしていくダイナミックさに気付かせてもらいました。「顧客の期待値を超えて何かを届けることこそ仕事の醍醐味だ」。そんな職業観の変化をもたらしてくれたのです。

この方と出会ったことで自分の中に生じた変化が、僕をコンサルの道に導きました。

入社初日に社員旅行。顔も名前も知らないまま合流して気まずさマックス

▲自ら主宰したBBQも大成功。結局すぐに打ち解けることができました

▲自ら主宰したBBQも大成功。結局すぐに打ち解けることができました

前職での出会いからコンサルの道を志し、「企画構想からも入っていけるコンサルティング会社」という観点で転職活動をする中で、KeepAliveに出会い、入社しました。そこで、ありえない入社1日目を迎えます。

社員旅行。それが僕の入社初日でした。

内定をもらい、前職の有休消化を終えてからの入社になるよう調整をしたら、見事にかぶりました。ただ社員旅行先が和歌山県の白浜で、帰省しようと考えていた地元からわりとすぐに行けそうだったので、あまり難しく考えずにお誘いを受けました。度胸があるのか、鈍感なのか自分でもよくわかりません。

当初は気にならなかったのですが、いざ社員旅行が近づくにつれて、自分の判断を深く後悔することになります。顔も名前も知らない人たちと旅行って、どう考えても気まずいですよね?それだけでも緊張と気まずさでつぶれそうなのに、現地合流後の顔合わせのタイミングが、なんの因果かアドベンチャーワールドのイルカショーとなってしまったのです。

客席で社員の皆さんにさあ自己紹介しようという瞬間に、「これからイルカショーを開始します」というアナウンスが鳴ります。自己紹介できないまま、着席することになってしまいました。顔も名前も知らない人と一緒にイルカショーを見るのは、なかなかの認知的不協和が働きます。人見知りな性格もあり、すっかり頭が真っ白になりました。あのときの僕は、「まな板の鯉」という表現が一番適切だったと思います。

イルカショーが終わって自由行動になり、なんとかタイミングを見つけてひとりひとりに自己紹介して回りました。途中で、「これは一体なんの試練だろう?」と何度も自分に問いかけたくなったものの、どうにか輪の中に入ることができました。

偶然に偶然が重なった華麗なるKeepAliveデビューでしたが、今では非常に仲良くしてもらい、楽しく仕事をしています。まだコンサルとしては未熟ですが、ゆくゆくは企画構想や事業領域のような部分を目指していきたいと思っています。

僕がその後、この会社でどのような日常を送り働いているか、それは次の機会にまたお話ししたいと思います。

KeepAlive株式会社

この会社にアクションする