「今日と同じように明日が来るとは限らない」一度は社会復帰を諦めた銀行員の夢 | キャリコネニュース
おかげさまで9周年 メルマガ読者数
65万人以上!

「今日と同じように明日が来るとは限らない」一度は社会復帰を諦めた銀行員の夢

▲入院中、厳しいリハビリ生活を送る日々

▲入院中、厳しいリハビリ生活を送る日々

「人生100年時代」を迎える中〈みずほ〉では、病気に罹っても治療をしながらしっかりと仕事を続けることができるよう、「治療と仕事の両立」を支援する取り組みを推進しています。心臓移植を待ちながら、みずほ銀行審査部で活躍する橋詰 正良。一度は社会生活の復帰も諦めた彼の前向きに生きる姿をお伝えします。【talentbookで読む】

元の生活には戻れない──それはいつも通りの朝、突然の出来事だった

2017年2月3日の朝7:30、それは会社の喫茶室でコーヒーを飲んでいたときのことでした。

みずほ銀行審査部の橋詰 正良はその日のことを今でも鮮明に覚えています。

当時は役員から依頼される案件も多くこなす忙しい日々。仕事終わりには毎晩のように仲間と酒を酌み交わし、食生活を気にすることはありませんでした。

……ブチッ……ブチブチッ

橋詰の身体の中で何かが破れるような音。その時の感覚を橋詰は今でもハッキリと覚えています。

橋詰 「身体の中で何かが破れるような音が聞こえ、足の力が抜けて立っていられなくなりました。心臓の血管が破れたと瞬間的に分かりました。たまたま近くにいた同僚に救急車を呼んでほしいとお願いしました」

オフィスから救急車で運ばれる橋詰。しかし、救急車の中から職場に電話をし、その日入っていた打合せをキャンセル。部下にお願いしていた書類を取りに行けないことを伝えたという。

──ここはどこの病院ですか?

救急車で付き添ってくれた同僚の声を聞いたのを最後に橋詰は意識を失います。

彼に突然襲いかかった病は、多くの人が命を落とす大動脈解離。約18時間にも及ぶ緊急手術の末、彼は一命をとりとめました。手術には同意書が必要でしたが、病院から電話を受けた橋詰の妻が「今すぐ手術をしてほしい」と頼んだことが、彼の命を救った要因でした。大手術を終え、意識が戻ったときにはICUの中にいました。

橋詰 「ICUで2カ月を過ごしましたが、その期間はとにかく苦しかった。肺に水が溜まるので息もまともにできない。麻酔も強く、生きているのか死んでいるのかもわからない日々が続きました。この頃は社会生活に戻れないことは覚悟していました」

しかし幸いにもその後の容体は安定し、一般病棟に移ってからの回復は早く、2017年6月中旬に退院、7月には職場復帰を果たしました。入院中は上司、同期、部下、昔の同僚など多くの人が病院に駆けつけてくれ、非常に心強かったと振り返ります。

橋詰 「復帰してから体調は安定していましたが、当時服用していた薬を飲み続けると心臓が5年もたないと言われました。まだ子ども二人が高校生だったこともあり『ここでリタイアできない』と思い、弱った心臓のポンプ機能を代行してくれる補助人工心臓の埋め込み手術を決断しました」

そうして2019年3月に再手術を行った橋詰。自宅療養を経て 同年12月に無事に現職に復帰しました。2020年現在は、平均5-7年はかかるというドナーを待ちながら心臓移植までの橋渡しとして、補助人工心臓でその命を繋いでいます。

感謝しかない ──〈みずほ〉の制度と人の温かさに支えられて

▲橋詰の復帰を信じ、席を空けて待っていた当時の部下と

▲橋詰の復帰を信じ、席を空けて待っていた当時の部下と

大動脈解離で倒れてから最初の職場復帰を果たすまでに約半年。救急車で運ばれた「あの日」以来のオフィスに向かうと、橋詰の席はそのまま残されていました。

橋詰 「戻っても同じ仕事はできないだろうと覚悟していました。でも、会社は私の席を空けて待っていてくれていた。復帰できるかも分からない私のために。胸がいっぱいになりました。当時の部長が『橋詰の席を空けておいてくれ』と言ってくれたそうで、副部長が仕事の肩代わりをしてくれ、部下が一生懸命頑張ってくれたと聞きました。感謝しかありません」

補助人工心臓をつけている人が職場復帰をする場合には、機器トラブルや合併症が起きたときに備え、職場メンバーに対する医療関係者による研修が必須。患者に近い職場の同僚が数名病院に行って受講するのが一般的ですが、橋詰の場合は同僚に加えて、産業医や常駐の看護師含め約30名もの人が参加することになり、会社で出張研修を開催することに。これは前例のないことだといいます。

橋詰 「看護師の方に、これほど協力的な職場は初めてだと言われました。周囲の温かく手厚いケアのおかげで、安心して業務ができています。そして病気になる前と変わらず、同じように接してくれているんです」

病気をきっかけに社内制度やサポートの手厚さにも改めて気付かされたといいます。有給休暇・積立休暇を利用して復帰することができ、2度目の入院時も、傷病欠勤・傷病休職の制度が用意されていたため、入院生活が長くなっても安心して過ごすことができました。

さらに、復職時には、健康面について定期的に上司と面談を行うとともに、保護勤務や配慮勤務等といった制度により、時差出勤や短時間勤務等で徐々に体を慣らしながら仕事のペースを取り戻していきました。こうして安心して治療に専念することができ、復職後は治療と仕事の両立をしっかりとサポートする制度が整っていると感じたと話します。以前のようにアルコールを飲んだり車を運転したりすることはできない。補助人工心臓の機器トラブルや合併症が起きたときのために、誰かが常に近くにいる必要があり、単独行動ができない。好きだったカラオケも声を張ることはできない。

ストレスが溜まることもあるけれど、橋詰は「生きていること」自体に感謝して日々を過ごしています。

学生時代の経験がつくりあげた“人”に熱い銀行員

▲入社6年目の若手時代、当時の先輩や上司と (橋詰左から2番目)

▲入社6年目の若手時代、当時の先輩や上司と (橋詰左から2番目)

大きな病気を乗り越え、仲間からのサポートを受けて職場に復帰した橋詰が入社したのは1993年。

幅広い業種の企業と関わりながら老若男女問わない個人とも接点をもてる職業に就きたいという思いから金融業界を選びました。

橋詰 「就職活動は多くの企業と接点を持てるせっかくの機会ですから、業種を問わず50社以上回りました。他の企業からも内定をもらっていましたが、最後は“人”で選びました。何より〈みずほ〉で働く大学OBの方々の人間性が素晴らしかった。学生への接し方がとても親切だったんです」

“人”が一番の決め手となって〈みずほ〉に入社してから27年。橋詰がこれまでの仕事で大切にしてきたのも“人”。すべての社員が共有する価値観・行動軸として示している5つの「みずほValue」の中で、「お客さま第一」を常に優先しつつも、働くなかで常々意識し続けてきたのは「チームワーク」だといいます。

橋詰 「学生時代の部活での経験から仲間と信頼関係を構築して一致団結しないと目指す成果は得られないことを体感していたからだと思います。できない人を見捨てるのではなく、みんなでやっていく。〈みずほ〉に入社してから貫いてきたことの一つです」

橋詰 「横山町支店は部下との距離も近くて。月末案件に追われるときには、課の先輩たちが後輩たちをよくサポートしていました。私の大切にしてきた、みんなでやっていく姿勢が伝わったのかなと思います。月末の打ち上げを部下から誘ってくれるんですよ。気を遣ってくれただけなのかな(笑)部下を偉くさせてあげる、部下のミスは全力でフォローする、そんな上司でありたいと思っていました」

そんな橋詰はお客さまとも深い信頼関係を築くべく希望部署への異動に挑戦できる「社内公募制度」で審査部への異動に応募し、合格しました。

橋詰 「案件への対応が遅くなってしまえば、お客さまを待たせてしまう。スピードを上げてより満足いただくためには、案件の審査が通るまでのプロセスをしっかり認識しておくことが不可欠だと感じたんです」

共に働く仲間とのチームワークと、お客様との信頼関係の構築──。橋詰は入社以来、一貫してこの二つを大切に守り続けてきたのでした。

今日と同じように明日が来るとは限らない──今この瞬間を大切に

▲補助人工心臓をつけ、今日も笑顔で働く橋詰

▲補助人工心臓をつけ、今日も笑顔で働く橋詰

〈みずほ〉でよかった。橋詰はその言葉を繰り返します。

橋詰 「若い時は仕事が大変で辞めたいと思ったこともありました。今は転職する若手も増えているし、自分のやりたいことのためならもちろん挑戦したらいいと思います。ですが、私はあのとき、少なくとも仕事が苦しいというのを理由に辞めなくてよかったと思っています」

会社を作っているのは“人”──。

橋詰 「時代が変わっても、組織のカルチャーは脈々と受け継がれているんだと思います。あのとき素晴らしい先輩方を見て入社を決めた選択は間違っていなかった。と今、心からそう思います」

入社当時の上司に言われた「俺に恩を返すのではなく、将来の部下に同じことをしてくれ」という言葉をきっかけに、彼の中で今でも大切にしている信念があります。どんな形であれ、もらった恩には報いようという強い決意。

そんな橋詰の今の夢とは?

橋詰 「今日と同じように明日が来るとは限らない。今は目の前にある業務一つひとつに真摯に向き合っています。出張や接待はできなくても、自分が組織のためにできることが必ずある。運よく拾った命を大切にするとともに、会社に貢献することでこれまでの恩に報いていきたいと思っています」

審査部時代の部下は、橋詰のことをこう語る。

当時の部下 「周りからの信頼がとても厚い人。できない人を切り捨てることは絶対にしない。いつも味方でいてくれ、対等に向き合ってくれました。こんな素晴らしい上司、それはみんなついていきますよ。橋詰さんのような存在になりたいと、私自身が部下をもった今改めてそう思います。こうして〈みずほ〉の文化が受け継がれていくんですかね」

橋詰が入院していた期間に関係先やお客さまから彼を心配する電話がたくさん来ていました。その思いに応えるかのように橋詰の身体は自然と動いたのかもしれません。彼は何度も周りへの感謝の言葉を口にします。周りの人が素晴らしいと言う。ただ、彼がこれほどに周りから温かいサポートを得て、信頼され、愛される理由は、言うまでもなく彼自身の“人”なのでしょう。

だからみんな彼の夢を応援する。

彼は、今の自分を形作ってくれたこれまでの上司・同僚・部下、そして一番近くでいつも支えてくれている家族に日々感謝しながら、毎日を大切に今日も〈みずほ〉で働いています。

株式会社みずほフィナンシャルグループ

この会社にアクションする

アーカイブ