スパルタ指導が避けられるようになった背景の一つに、部活動における体罰問題があります。2012年、大阪の公立高校のバスケットボール部の生徒が、顧問からの激しい体罰を苦に自殺したという痛ましいニュースがありました。こうした報道を覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
一昔前であれば、「愛のムチ」という建前のもと、体罰は必要だという認識の人も一定数いたように思いますが、そもそも、教員の体罰は学校教育法で禁止されています。体罰とは、殴る・蹴るなど明らかな暴力に限りません。練習中に水を飲ませなかったり、長時間正座させたりするなども体罰に該当します。
また、2019年には親による体罰も児童虐待防止法で禁止されました。こうした流れもあって、体罰を含む部活動での理不尽に厳しい指導は不適切なものとして避けられるようになりました。
失敗を叱責するとチャレンジしようという気持ちがなくなってしまう
スパルタな指導は、子どもたちの人格形成の面においてもデメリットが大きいことが分かっています。「試合でミスをしたら叱責される」「負けたらグラウンドを10周しなければならない」などのペナルティがある状況では、人間はペナルティを避けるために行動するようになってしまいます。
その結果、純粋にスポーツを楽しむことができないだけでなく、部活動以外の場面でも失敗を恐れる子どもになってしまう可能性があります。失敗を恐れて挑戦しなくなるばかりか、他人の失敗を責めたり、失敗を隠したり、他人のせいにしたりする子になってしまうかもしれません。
また、必要以上に厳しい叱責も、子どもたちにとっては良い影響を与えないことが分かっています。
中学校でサッカー部の顧問をやっている教員から聞いた話です。その先生は声を荒げるような厳しい指導を止めただけでなく、試合中の保護者からの声掛けも禁止したそうです。「何やってるんだ!」「もっと走れ!」などと先生や保護者が怒号を飛ばしても、サッカーの技術が向上するわけではありません。このままでは子どもたちがサッカーを嫌いになってしまうと考え、その先生は声掛けの禁止を決断しました。
「せっかく体育会系の部活動に入ったのだから、生活態度も含めて厳しくしてもらいたい」という保護者も多く、これらの対応に対して最初は反発もありました。ですが、伸び伸びとプレイできるようになったことで試合の成績は向上し、チームの雰囲気が良くなったことから生活態度についても生徒たち同士で声掛けしあえるようになったそうです。
厳しく指導することだけが教育ではありません。時には子どもたちを信じて見守ることも、子どもたちの成長にとって非常に大切であることがわかります。
そもそも「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」のが部活動
粘り強さや協調性、スポーツを楽しむ気持ちなど、部活動を通して学べることはたくさんあります。試合に勝つことももちろん大切ですが、「子どもたちにどんな力を身に付けてほしいか」という視点で部活動の意義を考えていくべきでしょう。
これからの時代は、自ら考え、課題を見つけ解決していく力が必要になります。試合に勝っても負けても、「自分たちの力で、試行錯誤してやり遂げた」という経験は子どもたちにとって大きな自信になります。また、中高生の頃からチームメイトと協力し、課題を見つけ改善していくという経験を得ることは、社会に出てからも大きな糧となるでしょう。
学習指導要領では部活動は「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」と定義されています。令和になってやっと、部活動は子どもたち自身のものになり始めたのかもしれません。