西原理恵子が「卒母」した心境語る 「子どもを産んで育てるってすごい面白かった。二人じゃ足りなかった」
番組では、下の子(娘)が16歳になったのを機に、「卒母」(”お母さん”を卒業することに)したという西原。それにともない漫画の連載も終了。「卒母」しようと思った理由を西原理恵子はこう話す。
「(子どもたちがやりたい事を見つけて)ドアの向こうに行っちゃったんですよ。その時に『あ、お母さんの役目は終わったな』と思って」
「子どもがまだ16歳なのに卒母するのは早過ぎる」という声や、「卒母」という言葉の意味を「母親業完全放棄」という捉え方をする人たちもいる。しかし西原のいう「卒母」とは子どもたちをしっかりと見つめ、日々観察し、自分で生きて行くチカラがあると判断した上での「これからは自分で責任を持って好きに生きなさい」なのである。
娘が16歳になったのを機に、朝は起こさず弁当を作るのも止めた。帰宅時間が深夜になっても行き先さえ告げていれば何も咎めたりはしない。しかし今後も勉強など、必要があれば資金も「全部出す」とし、
「私のドアはいつでも開いているから何か困ったことがあれば帰ってきてちょうだいって」
と優しく微笑む。つまり、もうほとんど子どもに干渉はしないが、「何かあればいつでも助けてあげますよ、ここでずっと待っていますよ」ということだ。
なんて優しい「卒母」のやり方だろう。自分から率先して「お母さんをやめる」といっているが、相当な寂しさを愛情で押さえているに違いない。
「船はちょうど港を出ていくところで、私は涙がとまらない」
「これからは人生のハッピーアワー。子どもの背中に『頑張ってねー』って手を振りながら、16時からビール飲んで楽しむ」と笑っているが、それも半分本音で半分強がりのような気がする。その証拠に以前漫画の中で、大きくなっていく子どもたちに対し、こう想いを綴っていた。
「あんなに抱っこしてほしがってたのに。もったいないことをしちゃったなぁ」
また、今回の番組インタビューでもこう語っている。
「(子どもを)産んで育てるってすっごい面白いことでした。二人じゃ足りなかった」
近年では親が子どもに依存し、子離れできずに子どもの自立を妨げているケースも多い。親が子どもの就職先に断りの電話を入れたり、子どもの結婚相手を見つけるために、本人不在での「親婚活(親同士でのお見合いパーティー)」に参加したりすることもある。そんな中、堂々と卒母宣言をした西原は清々しい。
「毎日かあさん」の最後のページはこう締め括られている。
「気がついたらもう背中しか見えない。青い空にすうっと風がふいて、今、張った帆がふくらんでいる。船はちょうど港を出ていくところで、私は涙がとまらない。母さん、楽しかった。ありがとう」
筆者にはまだ子どもはいないが、もしも自分が母親になった時、同じようにできるだろうか。少しずつ自立し、離れて行く子どものその背中に、笑って手を振れるだろうか。とっても心配なので、西原から感じる”かあちゃんの強い優しさ”を胸に刻んでおきたい。