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「ゴミだよ、この銀行。爆破したほうがいい」伝説発言の元拓銀マンはいま――その後の人生を聞いた

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伝説発言の彼はいま……

「どいつもこいつも馬鹿だからさ。潰れて当然なんだよ、こんなくそ銀行、悪いけど。遅いぐらいなんだ、もっと前に潰れるべきだった。ゴミだよ、この銀行は。ダイナマイト爆破かなんかしてブルドーザーで片した方が良い」

北海道拓殖銀行が破綻した1997年、本部前で取材に応じた若手社員がテレビカメラに向かって言い放った発言がこれだ。自分の勤務先が潰れたとき、ここまでキッパリ言い切れる人はいないだろう。

このロックすぎる発言は、ドキュメンタリー番組「破綻の爪痕~拓銀崩壊から1年~」(札幌テレビ放送)に収録されたもの。今でも「言ってみてえ」「本当に格好いい。あんな態度で退職届叩きつけてみたい」などと語り継がれている。

この発言をした「本人」を名乗る人物が、なんとツイッターにいた。アカウント名「哀愁の騎士 (旧 哀しみの貴公子)」さんだ。2021年9月16日にZoomで取材すると、風貌も話し方も当時とほぼ変わらない、そのままの人物がそこにいた。(取材・文:箕輪 健伸)

「今は大手IT企業に」

――取材を受けてくださり、ありがとうございます。早速ですが、ここ数日でアカウント名を変えられましたよね?

「うん。Twitterでバズってから、”50にもなるオッサンが貴公子を名乗っているんじゃねえよ”ってDMが来てさ。それにちょっとショックを受けて、哀しみの貴公子から哀愁の騎士 (旧 哀しみの貴公子)に変えた」

――意外とDMとか気にするんですね。哀愁の騎士(旧 哀しみの貴公子)さんは現在、何をなさっているんでしょうか?

「今は大手IT企業の国際部で管理職をしているよ。拓銀を辞めた後? まず、電機メーカーに数年務めてからフィリピンに4年くらいいた。日本に帰ってきてからグローバル企業でIT技術課長をやった後、現職といった感じかな」

――拓銀が潰れたときに制作されたドキュメンタリー、バズってますね。あの発言の真意を教えていただけますか?

「真意も何もあの通りだよ。本当にクソ銀行と思っていたからそう言っただけ。でも今見るとちょっと恥ずかしいけどね」

――当時、潰れるような予兆や雰囲気は感じていましたか?

「支店にいる行員は一部の幹部以外、誰も状況をわかっていなかったんじゃないかな。でも僕は本部勤務だったから、ヤバいなというのは感じてたよ。末期の頃になると毎日のように、金融庁の役人が本部に来ていたからね」

――かなり華々しいキャリアですが、拓銀にいたことはその後の人生に活かされていますか?

「それよく聞かれるんだよね。『拓銀で学んだことは?』とか。一切ないからそういうの。拓銀で学んだことはないし、時間の無駄でしかなかったと思っている」

――哀愁の騎士 (旧 哀しみの貴公子)さんは、慶応大学経済学部卒なのですよね? かなりのエリートですが、拓銀のほかにも内定はいっぱいもらったんじゃないですか?そのなかで、拓銀を選んだのはどういった理由でしょうか?

「当時の彼女が北海道にいたから」

――……。それだけですか?

「それだけ」

――なるほど。テレビカメラに向かってあれだけのことを言うっていうことは、普段から上司の耳に痛いことは言っていました?

「言っていたね。かなり疎まれていたんじゃないかな、特に支店勤務のときは。上司の言うことは例えどんなにおかしなことでも、ニコニコ聞いている人が出世するような社風だったし、かなりの異端だったと思うよ。理解しあえる人や尊敬できる人は皆無だった。孤立しまくっていました」

――拓銀後のキャリア形成で意識したポイントはありますか?

「好きなことに没頭すること。僕の場合は、2つめの会社で出会ったITと学生の時から得意だった英語。とにかくこの2つの知識や技術を身に付けることに時間をかけた。拓銀時代は、勤務時間後に英語の勉強をしていると上司から怒られたからね(笑)。『そんな暇があるなら銀行規定集を覚えろ』と。一切、無視していました。結果的にその時の努力が今のキャリアに生きている。若い人も自分の好きなことや得意なことを見つけて、それを極めていけば未来が開けていくんじゃないかな。まわりの言うことは気にするな!ですよ」

最後に、あらためて会社の人間関係に悩む若者に対するアドバイスを問うたところ、「会社は友達を作るところではない。友達が欲しいのであれば犬を飼え!」という金言をいただいた。ちなみに、猫でもいいのだそうだ。

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