「誕生日になると自分の友達のいなさに絶望」に共感の声 「カーナビには祝われた」「SNSのおめコメも虚しい」
この雰囲気を崩すかのようにはてなブックマークでは「お誕生日おめでとう!」と投稿者の誕生日を祝う声や共感の声が相次いだ。誕生日に同じような気持ちになったことのある人も少なくないようだ。
「同じく!!(略)祝ってくれたのは眼科(コンタクト作りませんか)と美容室と銀行のDMだけである。あとはねんきん定期便」
「カーナビから『ハッピーバースデー』と言われて余計がっくり来たことがある」
その一方で、投稿者に祝ってもらえない原因があるのでは?と考えている人もいる。「あなたが誰にも誕生日を祝ってもらえないのは、あなたがだれの誕生日も祝わないから」というのだ。
また「祝ってもらっている人は何らかのアピールをしてると思うよ」という声もあがっている。一番簡単なアピール方法はフェイスブックなどのSNSで誕生日を公開することだろう。そうすると「今日は〇〇さんの誕生日です」と通知が行き、祝ってもらえる可能性が高くなる。
しかしこれについては、
「あれでおめコメもらっても虚しい気持ちにしかならないのなんなんだろう。ホントは寂しいのに」
と感じている人もいるようだ。
「当日が寂しいならオタクになってファンクラブに入るといいよ」
この薄い付き合いが嫌だと感じている人も少なくはなく、
「(SNSの)義理祝が嫌で誕生日を非公開にした。誰からも何も言われなくなってスッキリした」
という声も。35年以上付き合いがあり、月1で会っている友人がいるという人は「一度たりとも誕生日の話したことないな…。中途半端な友人関係ほど誕生日祝いするんじゃないのか?」という意見を寄せていた。
たしかに年を重ねるほど仕事や家族に時間を取られ、人の誕生日を祝う余力がなくなるというのももっともだ。だからこそ祝ってくれる友人を大切にしたいし、そのような友人・恋人を求める気持ちも分かる。しかしそれが難しいのであれば、自分で自分を祝った方が絶対いい。ある人は、
「当日が寂しいなら、何かのオタクになってファンクラブ入るといいよ。お誕生日に推しからおめでとう動画とかカードが届くと、それが他の人に届いてる物と同じと分かってても嬉しいものだよ…!」
と力説する。筆者は今年、日曜日が誕生日だったので朝からスポーツクラブのお気に入りのインストラクターにマッサージをしてもらい、昼にはビールを飲んだ。投稿者に申し訳ないくらい楽しかった。
投稿翌日の8月1日、投稿者は同記事に追記をしていた。
「こんなに祝ってもらえて凄く嬉しいです。自分からも積極的にお祝いしていこうと思う。今日が誕生日の人おめでとうございます!」
今までは「毎年産まれてきてごめんなさいって思う」誕生日が、いつかは「楽しみ過ぎてごめんなさい」になるのではないだろうか。
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