リーマンショック後ということもあり、男性は大学在学中に内定が決まらなかった。卒業後に行ったハローワーク主催の合同就職説明会を経て入社した会社だった。説明会や面接では、「貿易関係の仕事で英語も生かせる。音楽関係の事業への参入も考えている」と説明を受けていた。
「焦って下調べもしなかったのですが、新卒だから最初の1か月は座学があって、名刺の渡し方やビジネスマナーを教えられ、3か月~半年くらいは先輩と一緒に仕事してから一人で任せられる、というようなOJTがあるものだと思っていました」
しかし、実際の仕事内容は貿易関係などではなかった。和菓子や即席麺を発泡スチロールの箱に入れて、リヤカーを転がしながら各家庭や企業を訪問する、いわゆる訪問販売だった。男性は壮絶な初日について綴る。
「朝礼では全員で円陣を組んで、一人ずつ『今日の目標イェー!今日は〇〇するぞ、オー!』と気合いを入れ、初日から真夏の炎天下の中で12時間労働。当日までどこに行くか知らされず、訪問場所までの交通費は自腹でした」
先輩と一緒ではあったものの見ず知らずの土地で歩き回された。フラフラになりながら会社に戻ると22時すぎだったという。
「帰りに先輩に呼び出され何かコソコソしてると思ったら、現金を渡されてその金額はわずか1500円。時給換算すると100円ちょっとでした」
また、初日の訪問販売では「A社の〇〇です」、2日目は「B社の〇〇です」、3日目は「C社の〇〇です」と毎日異なる企業名を使って訪問販売をしていた。社長はそのことについて、「これは屋号だから」と説明していたという。
そして4日目の夜、「じゃあ明日から一人でできるよね?明日から朝6時に出勤で」と言われた。
「何も知らずに面接で『定年まで勤めたい』と言っていた自分がバカみたいでした」
「その場はお茶を濁して翌日も頑張って出勤しましたが、帰宅して両親に相談し退社の電話をしました。いつの間にか独立するのが当たり前みたいな話になってるし、何も知らずに面接で『定年まで勤めたい』と言っていた自分がバカみたいでした」
男性は退職後、その会社が「お菓子の移動販売をするマルチ商法で有名な企業だった」ということを知った。
「色んな屋号を日々使い分け、首都圏などでよく見られる”駅前のフルーツ売り”と同じ商法です」
という。また、「大学を卒業した直後で天下のハローワークだからと信用しきっていたので、こんな企業を手助けしてるなんて知りませんでした」と綴っている。
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