失敗を恐れないチャレンジ精神と強い意志。ゼロからプロフェッショナルへと至った軌跡 | キャリコネニュース
おかげさまで6周年 メルマガ読者数
50万人以上!

失敗を恐れないチャレンジ精神と強い意志。ゼロからプロフェッショナルへと至った軌跡

▲3年目の時に仕入先関係者との一枚(左から二番目)

▲3年目の時に仕入先関係者との一枚(左から二番目)

いくつもの試練を乗り越え、「豚肉のプロフェッショナル」として活躍している片桐 竜馬。そんな片桐が豚肉のプロフェッショナルにいたるまでの道は険しかった。しかし、その経験は確かに片桐に根付き、現在にも活かされるものとなっている。入社以来、試行錯誤を重ね、失敗を恐れずに挑戦してきた片桐の軌跡を紹介する。【talentbookで読む】

ゼロから出発し、一人前のプロフェッショナルへ

華麗に見える商社の仕事は実は泥臭く、想像もつかないようなこともしている。顧客の取引先まで同行して、提案をし、スーパーでの試食販売をすることも。

日鉄物産はプロを育てる社風であり、走りながら、やり方を覚えることができる。そんな環境の中で、右も左もわからないところからスタートし、失敗を恐れずに挑戦し、試行錯誤を重ねて「豚肉のプロフェッショナル」として活躍しているのが片桐だ。

2020年12月現在、片桐は日鉄物産の畜産第二部のフローズンポーク食肉課の営業担当として、北中米・EU各国より冷凍された豚肉を輸入し、多くの人が認知している飲食店をはじめとする外食産業向けに販売している。また、テーブルミートという、一般家庭の食卓に並ぶような豚肉も現地から輸入をして量販店などに販売している。

片桐 「外食産業向けの営業担当の業務としては、お客さんは自分たちでメニューを決めることが多いので『次はこういうメニューを作りたいから、条件が合う肉はありますか?』というようなご相談に対して、ソリューションをご提案することが多々あります。

例えば『次のカレー商品でジャンボヒレカツを3ヵ月の期間限定でやりたいから、それに合う規格を作って欲しい』というような要望もあります。

一方で、お客さんからの要望を待っているだけではビジネスとして先ゆかなくなってしまいますので、現在業界や海外で流行している食文化や情報を拾い、当社から提案することも多々あります」

片桐は入社当初、メキシコ産のチルドポークという、いわゆる冷蔵豚肉の輸入を担当し、主に量販店向けに商品の販売を行っていた。直接店舗に出向き、営業をするだけでなく、商品棚作りも量販店のバイヤーと一緒に行ったり、時には試食販売の場に立ったりもしていた。

商社の営業パーソンが試食販売をする必要があるかと疑問を持つ人もいるだろうが、実はその時の経験は片桐にとって、現場の大切さを知る上で非常に貴重な経験となっている。自ら、現場に立ち、直接エンドユーザーである一般消費者の声を聞くことで、具体的かつ的確な販売提案なども行うことができるようになったのだ。

片桐 「商社は、主に海外から仕入れたものをお客さんに売って終わりというイメージを強く持たれていますが、実際は現場に入り込み、泥臭くやっている部分もあります。当社は他商社に比べると泥臭く、現場に行くことが多いのが特徴ですね。

営業パーソンとして、成長の一歩を踏み出したのは、1年目の秋でした。当時、指導員という形で先輩はついてくれていましたが、基本的には仕事を任せてもらえる環境だったので、一人で考えながら行動することができました。

もちろんピンチになると助けてくれますが、ほとんど自分の意志や想いでビジネスを行っていました。今となってはその経験が良かったなと思っています」

担当に仕事を任せて、実践させながら業務を覚えさせていくのは当社の若手指導方法でもある。そんな中で、正直逃げたかった時期もあったという。

片桐 「入社1年目で配属されてから半年もたってない頃、担当を任されている歴史のあるお客さんから、肉が臭いという異臭クレームが入りました。その後も他の店舗から同様のクレームが発生し続けました。数か月経っても同じような問題がちょこちょこ出てしまい、最悪なことに。

お客さんからは『もうあなたから二度と肉を仕入れない』と言われたことは、今でも鮮明に覚えています。クレームを解決するため、仕入先とお客さんのもとに足を運び、先方の会長・社長もいる場の会議で事情を説明しました。

元々、自分の中での商社のイメージは、海外とのやり取りが中心で、時差や為替を気にしながら仕事をするものだと思っていました。ですから、“なぜ、地方のスーパーの会議に、一商社の人間が参加するのか?”と思った瞬間は多々ありました。しかし、後からそれは間違いだと気づきました」

顧客にとって、片桐が入社1年目かベテランかは関係ない。仕入れた商品に何か問題があれば、それは輸入者の責任であり、対応するのも当然輸入者になる。自分たちが輸入している商品について一番分かっているのは輸入者であるのだから、異臭が起きた原因についても把握しなければならない。

1年目にとって大変な出来事ではあったが、「輸入者責任」としての責任の重大さや自分が扱う商材について、とことん知識を突き詰めていく、いわゆるプロフェッショナルとして仕事をするという点において、とても勉強になったと片桐は当時を振り返る。

片桐 「当時は焦りやプレッシャーから逃げてしまいたいという気持ちもありましたが、先輩たちの手によって築き上げられてきたお客さんとの信頼の歴史を自分で崩すわけにはいかないという想いや、担当者としてお客さんの要望に応えたいという想いもあり、問題解決に向けて頑張れました。今思えば、逃げていなかった自分に感謝したいです」

3年目のときには、これまでの経験の中でも最も大変な事態が起きた。仕入先の工場が火事で燃えて、商品の生産が止まってしまい、商品の出荷が全くできなくなってしまったのだ。現地に行くこともできず、そして誰のせいでもないので、責める相手もいない。客先の対応に追われる片桐は途方にくれた。

片桐 「正直、どうしようもありませんでした。しかし、お客さんはもうすでに販売予定商品を次週のチラシに入れていて、欠品できない状況なので、『発注して商品が届かないのはあり得ない』と言われました。

お客さんも仕入れ先が火事という、思わぬ事件で納品できないことについて理解をしていますが、仕入れ先である商社からお肉を買っているため、当然当社にクレームを入れてくることになります。お客さんにどんなに怒られても仕方ないと割り切り、誠実に、一生懸命対応しました」

客先は片桐に様々な要望を伝えてくる。その時に片桐がいかに誠実に対応できるかどうかが、その先の信頼につながってくることを片桐は感じていた。逃げ出したらそこで終わっていただろうが、ふっと思い出したのが、1年目の経験で学んだ“逃げないこと”だった。

そして、その時に逃げずに対応できたからこそ、顧客との信頼関係もより一層深めることができたし、今では当時のことを笑い話にもできている。商売は人と人のつながりがあってこそ成り立つもの。信頼を失うのは一瞬だが、信頼を取り戻すのは、何十年何百年とかかることを片桐は肝に銘じているのだ。

片桐 「本当に辛い経験ではありましたが、プラス思考をモットーにしているので、良い意味に捉え直し、自分に言い聞かせながら対応していましたね」

そんな片桐がプロになるまでの道でひとつ成長できたと感じた瞬間は、客先と年間契約を決められたときだったという。

片桐 「その時の価格相場や為替状況などのタイミングがよかったこともありますが、お客さんとの関係性も良好だったので、自分で年間契約が取れたときは初めて上司に『よくやった』と褒められました。

基本的にチルドポークは月々での契約なのですが、そこで年間契約を決めることができ、目標数量よりも多く達成できたのは自分の中でも仕入先・お客様にも貢献できたと思った瞬間で、嬉しかったです」

最初は週に300、400キロという小さかった取引が、1トン2トンの取り引きになり、最終的には20トン以上の取り引きになったこの出来事は、片桐が顧客との信頼を深め、ゼロをイチ以上にできた瞬間だった。

「行きたい」と言い続けた。だからこそ掴めたアメリカ行きの切符

▲ニューヨークにて、語学研修の仲間たちとの休日

▲ニューヨークにて、語学研修の仲間たちとの休日

営業パーソンとして仕事をしながらも、片桐は入社式の時から「アメリカに行きたい。アメリカでビジネスがしたい」ということを周りや、当時の人事部長にも言い続けてきた。

片桐は昔からアメリカの文化や人が好きで、学生時代には1年間留学もしていた。そこでの経験もあり、いつかアメリカでビジネスをしたいという気持ちが強かった。

現在、ラーメンや寿司などの和食文化がアメリカで浸透しているが、片桐が留学した2011年頃は今と比べるとまだまだであったこともあり、留学中にもっと日本の食文化を伝えたいと思ったという。

逆に日本にも、今でこそ有名な、タコベルやバーガーキングなどジャンキーな文化が伝わっていなかったので、それも広めたい、知ってほしいと思っており、それが実現できるのは商社だなと考え、商社に入社したいと決意したのだった。

片桐 「入社して最初に配属されたポーク食肉課は、北米を中心とする海外から輸入した豚肉を扱う課でした。就活時からも『アメリカに関わるビジネスがしたい』と言っていたので、この課に配属されたときは、アメリカに行けるチャンスだと嬉しかったですね」

そしてあるとき片桐に、ずっと持ち続けていた想いを実現できるチャンスが訪れる。社内で海外チャレンジ制度ができた時だった。

海外チャレンジ制度とは入社3年目から10年目までの社員を対象にした、計2年間の応募型留学研修制度だ。派遣先国は事業本部のニーズに合わせ、アメリカ、中国、タイ、メキシコ、など多岐にわたる。

基本的に1年目は現地の語学学校や大学に通い語学を習得し、2年目から海外の現地法人や関係会社で実務研修をすることになっているが、社員の語学レベルによって期間は変わるケースもある。片桐は元々語学がある程度出来ていた為、半年間アメリカの大学で語学や文化を学び、1年半の実務研修に取り組んだ。

片桐 「当社の海外チャレンジ制度に応募しようと思ったきっかけは簡単で、ずっと言い続けていたアメリカでのビジネスにチャレンジできると思ったから。『これは行くしかないでしょ!』と思いました」

当時、片桐の部署の先輩が応募して研修に臨んでいた。片桐はその先輩の次にアメリカにいこうと心に決めており、その先輩が帰ってきた次の社内募集のタイミングで、すぐに応募し、論文や面接を熱い想いで乗り切り、アメリカ行きの切符を手にした。

片桐 「当時の課長も『お前を行かせたい』と背中を押してくれました。もし1年遅れて応募していたら新型コロナウィルスの影響で、行けていけなかったかもしれません。

本当に全てのタイミングがばちっとあったんです。チャンスは二度と来ないかもしれないと思い、その時に掴めるのならば、その時に掴む。それだけだと思います。環境、タイミング、縁が全て重なったときでした。そして何よりも口に出していたことが言霊になったのだと思います」

日本でもアメリカでも、ブレない軸があるから踏ん張れた

▲実務研修中にアメリカで和牛を販売している写真(取引先のインスタグラムより)

▲実務研修中にアメリカで和牛を販売している写真(取引先のインスタグラムより)

片桐は海外チャレンジ制度の実務研修期間中、シカゴにある当社の米国現地法人で営業を担当していた。日本にいたころは豚肉のみを担当していたがシカゴでは豚肉の他、和牛や食肉加工品など、幅広く扱っていた。

片桐 「海外でのビジネスも初めてで、扱う商材もこれまでの豚肉とは異なる為、アメリカでの営業には当初、戸惑っていました。しかし、場所や商品を問わず、営業で最も大事なことは“人”です。どのビジネスでも最終的には人と人が関わっているものなので、自分を好きになってもらい、愛してもらえれば、どんな商品も買ってもらえる。

文化、人種は違えどもその根幹は一緒だと感じました。私は“個性を捨てない”というのを大事にしていたので、アメリカでも猫をかぶらず、自分という個性を出しながらお客さんと接していました」

海外での営業では、言語の壁が大きいとよく言われる。そして、語学研修を経た片桐でさえもその壁を経験することになる。アメリカ国内でも地域によって英語の訛りは強く、日本でいう関西弁と標準語以上に地域に差があり、聞き取りにくいと感じたことが多々あったという。

上手く相手が言っていることが聞き取れないために、「もういいや」と相手がコミュニケーションを取ってくれなくなるような悔しい経験もあったという。

片桐 「その時も逃げようと思えば、逃げられました。しかし、逃げてもどうにもならないので電話でお客さんと話す時はスピーカーフォンで話し、わからないときはナショナルスタッフに助けてもらいながらコミュニケーションしていました。そして、わからない部分は後からスタッフに聞き、理解をしていきました。

そんなふうに仕事をしていたら、いつの間にか聞き取れるようになっており、英語力も成長ができました。最後は、そのお客様とも良い関係になれましたね」

ここでの経験も、片桐が日本で学んだ”逃げないこと”とつながっている。言語の壁は大きかったが、アメリカ人のフランクさとフレンドリーさがあったからこそ片桐は自分の個性を出しやすかったところもあった。

言語以外でアメリカの文化に驚いた瞬間もあった。アメリカはいい意味でも悪い意味でも、白黒はっきりしているところだ。日本では、提案をした時に顧客の方で検討する時間があるが、アメリカは「いる」「いらない」がはっきりしている。

片桐 「アメリカのお客さんはフレンドリーかつ、YES・NOがはっきりしているので、飛び込み営業をしたときも、受け入れられればすごく深く入り込める部分もありますし、逆に『和牛いる?』『いらない』という会話で終わってしまうこともありました。最初は冷たいと感じていましたが、現在は、それが一番効率的だと思っています」

アメリカでの実務研修の後半は、新型コロナウイルスが流行し、その影響も少なからず受けたという。対面での商談がなくなり、すべてオンライン商談になり、画面越しでのプレゼンにハードルを感じる部分もあった。

それまでリモートでのプレゼンや商談も経験しておらず、また、食品を扱っているので、試食が出来ないオンラインでのプレゼンだけでは伝わらないことも多い。試食しながらプレゼンを聞くのと、資料だけ見ながら聞くのとでは感じ方が全然違うのだ。

客先に試食をしてもらえるように、サンプルを家に送るなどの工夫はしたものの、調理方法が違えば味も変わるというような難問もあった。また、顧客も集まって会議ができないため、新しい提案をしにくい環境であった。

新型コロナウィルスで営業の仕方が変わった中でも、一つ成功したビジネスがあった。既存の和牛の客先は高級レストランやリゾート地の飲食店がほとんどであったが、一般消費者をターゲットに、オンライン販売に移行したことで新たなビジネスチャンスを掴んだのだ。

今までは肉を塊や枝肉などの状態で卸していたが、一般消費者向けに小分けパック製品を作ることにした。このビジネスはチーム全員の予想よりヒットし、和牛の売り上げはコロナ禍以前より好調となった。

新型コロナウイルスの流行がなければ考えなかった商品であり、まさにチーム一丸となってピンチをチャンスにすることができたという。

いつか再びアメリカへ──強い意志がチャンスを引き寄せる

▲2020年現在の片桐

▲2020年現在の片桐

片桐はアメリカでの経験を経て、仕入れなど現地とのやり取りにおいて、今まで以上に自分の想いやチームでやりたいことを伝える英語力を身に付けることができた。

そして2020年8月に日本に帰国。片桐は今、アメリカで身につけた英語で伝える力やこれまでの経験を活かしていきたいという強い想いを抱いている。

アメリカへ行く前は豚肉だけしか販売していなかったが、和牛や加工品の販売を通して、売り方や発想の転換を学び、視野も以前より広げることができた。だからこそ、目の前の仕事だけでなく、見たこと経験したこと感じたことを入れながらビジネスを作り上げていきたいと片桐は言う。

片桐 「あくまで自分の想いではありますが、30代半ばまでにはもう一度アメリカに戻りたいです。その時は研修生ではなく、営業駐在員として行きたいです。

様々なことを学ばせてもらったアメリカの現地法人に、数字という形で恩返しをしたいという気持ちもありますが、1番の理由はアメリカでは1年半しか仕事ができなく、もっとできることがある、もっとやりたいことがあると思っているからです。

自分の手で築き上げたビジネスや、自分発信でゼロからイチにできたこともあるので、しっかりとやりきりたいと思っています。コロナの影響で、帰国前に挨拶に伺えなかったお客さんもいたので寂しかったですし、まだまだやれるなという自信がある志半ばの状態で帰任してきたので、もう一度チャレンジしたいです。そして後悔のないよう、やりきりたいです。

日本で仕事をしていずれマネージャーにならなければならない時がきます。きっと、そこにはまた違うフィールドがあると思っています。しかし、私は営業として現場に足を運んでお客さんとやり取りするのが好きなので、これから5年くらいは日本で修行をして、30代半ばというまだまだ現場で仕事をできるタイミングでアメリカに戻り、やり残したことをやっていきたいです」

営業パーソンが強い想いを持って泥臭く顧客のもとへ足を運び、客先と一緒になってビジネスをするのが日鉄物産の特徴ともいえる。単純にものを売るのではなく、常に顧客の目線に立ち、ソリューションを売ることを大切にしているのだ。

片桐 「日鉄物産で働く上で大事なのは、自分の想い・やりたいことを口に出し、先輩や周りに伝えられることです。自分自身も、『こんなことがしたい!』と言ってきたからこそ、やりたい仕事をやれています。私は夢・目標を語れる人間が好きです。

そのような人と一緒に働いていて楽しいと感じます。言霊もあると思うので、一緒に仕事をするなら、夢や想いを語り合っていけるような仲間が理想だと思っています」

片桐はこれからも好きなアメリカに戻れるよう、どんな環境でも熱く夢を持ち、前に向けて走り続けいくだろう。

アメリカでの営業経験を経て、語学・食肉分野の幅広い知見を武器に、再び豚肉のプロフェッショナルとして活躍している片桐。どんな環境でも熱く夢を持ち続け、何事にもポジティブに全力で取り組む片桐が、再びアメリカへ駐在員として旅立つ日もそう遠くないだろう。

日鉄物産株式会社

この会社にアクションする

リサーチ

学生ですか? 社会人ですか?

結果を見る

Loading ... Loading ...
過去のアンケート結果はこちら

アーカイブ