全国どこでも在宅生活という“人生の選択肢”を。人生の可能性を広げる新たな挑戦 | キャリコネニュース
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全国どこでも在宅生活という“人生の選択肢”を。人生の可能性を広げる新たな挑戦

土屋のCMにも登場する池田 憲治は、ホームケア土屋鳥取のオフィスマネージャーとして活躍しています。鳥取オフィスの立ち上げから関わり、重度訪問介護を利用して在宅生活を送るという選択肢を広めるため、広報活動に尽力。かつてはサッカーの道を志していた池田が、重度訪問介護という仕事に掛ける想いなどを熱く語ります。【talentbookで読む】

サッカーでプロになるという夢を断念して選んだのは、介護の仕事

2021年6月にオープンしたホームケア土屋鳥取の立ち上げから携わり、オフィスマネージャー(管理者)を務める池田 憲治。鳥取事業所の現在のメンバーは池田を含め4名です。シフト作成などの労務管理や国保連などへの請求業務、現場での支援のほか、スタッフの採用や研修も進めており、担当する業務は非常に多岐にわたります。多忙な中で、池田が注力しているのは広報活動です。

池田 「ホームケア土屋では、重度訪問介護を主に行っています。しかし、私が管理者を務めさせていただいている鳥取事業所は6月に設立したばかりなので、鳥取ではまだまだ知られていないのが現状です。そのため、市町村の役所にあいさつに行ったり、関連する事業所に重度訪問介護の制度的なご説明をさせていただきに上がったり、実際の利用の方法や手順などをお話しすることもあります」

そんな池田は、かつてプロのサッカー選手を志していました。

池田 「幼少のころからずっとサッカーをやっていて、大学までずっと本気でプロを目指していました。同級生が実際にプロになるのを見ていたので、僕も負けていられないという気持ちがあり、大学を卒業して1年半後の2011年に、知人の知人でドイツに住んでいる方を頼ってドイツに行くという決断をしたんです。

ドイツに行ったときはチームも決まっていない状態でしたが、最終的にはセミプロリーグのチームに所属し、サッカーだけでギリギリ生活できるぐらいのお金をもらうことができました。しかし、ビザの期限である1年が経つときに、所属しているのがセミプロのチームだったために就労ビザが下りず、仕方なく日本に帰って来ました」

そこからは、サッカーでプロを目指すのは難しいという現実と自分の気持ちに折り合いをつける日々だったと当時を振り返ります。

池田 「日本に帰る前は、もう一度違う国でチャレンジしたいという気持ちもありました。でも、ドイツ語も英語も話せるわけではないので、想像以上に日常生活でストレスを感じていて。正直なところ、日本に帰ってきてほっとしたという気持ちが強かったです。

既に年齢ももう25、6歳になっていましたので、冷静に考えるとプロを目指すにはそろそろ時間切れかもしれないという気持ちもありました。でもなかなか割り切れずにいたので、帰ってきてから1年間ぐらいは逡巡してました。徐々に自分の気持ちと折り合いをつけました」

そして、日本に戻ってから1年ほど経ち、貯金が底をついてきたこともあって働こうと考えた池田。そのタイミングでやろうと決めた仕事が、介護だったのです。

池田 「海外に行ったことで、冷静に、客観的に日本という国を見られるようになって、やはり日本って住みやすいなと思ったんですよ。そこから、今の日本という国は、戦争という大変な思いをしながら戦後の高度経済成長を支えてきた人たちが礎になっている、という僕なりの考えに至りました。その人たちを支える仕事ができないかと思い、高齢者介護に携わろうと決意したんです」

矛盾を感じた介護の仕事、「我が子に熱く語れる仕事」を求めて転職を決意

まずは3年やってみよう。そんな気持ちで介護の世界に飛び込んだ池田。今でも介護の仕事を続けているのは、最初に勤めたデイサービスセンターでの経験が大きい影響を与えているといいます。

池田 「介護の仕事は意外といってはなんですが、楽しくて。最初に勤めたデイサービスセンターの利用者は認知症の方がほとんどでしたが、ある程度コミュニケーションがとれたり、私の名前を覚えてくれていたりして、かわいがってもらっていました」

その後、池田は次の転職先で特別養護老人ホームやグループホーム、デイサービスセンターの仕事を経験しました。そこで、一番長く配属されていた特別養護老人ホームの運営の難しさを目の当たりにしたことから、再度転職を決意することとなったのです。

池田 「研修では『高齢者本人に自己決定してもらう』と教わりましたが、実際の現場は常に時間に追われていて。施設側の時間配分に合わせて動いてもらっている状況だったんです。もっと利用者お一人お一人の考えや想いに沿う形で関わっていきたいという想いが芽生えました。

ちょうど子どもが生まれてくる時期でもあったので、そういう種の違和感を感じることなく、『熱く語れる仕事』がしたいという思いから、転職を決めたんです」

そして、池田は2020年に土屋に入社。ホームケア土屋岡山で重度訪問介護のヘルパーの仕事に取り組み始めました。

池田 「ヘルパーというと女性がやる、というイメージがあるかもしれませんが、土屋では男性の方も活躍しているんですよ。また、重度訪問介護は一対一での支援になるので、時間に追われて、利用者が施設の都合に合わせなければいけないということもないだろう、そう思ったことが決め手でした。

実際に仕事を始めてみて、対象が高齢者から障害者に変わったことによる接し方の違いはたしかにあるんですが、何より一対一であることで手厚い支援ができていると思います。複数の方を同時に支援しなければならない特別養護老人ホームの仕事では、利用者の方に何か頼まれても『ちょっと待って、ちょっと待って』と言わざるを得ない場面が多かくありました。

施設の都合と利用者の意思との間で板挟みになることは、自宅で過ごす重度訪問介護においてはそもそもないんですよね。長時間おひとりのクライアントのそばにいるので、仕事以外の話もして楽しい時間を過ごすこともできていました」

そんな池田は、夢中になったサッカーと介護はチームプレーという点で共通していると語ります。

池田 「サッカーも介護の仕事でも、一人ひとりに自分の役割あって、その役割を個々人がしっかり担うことによって、チームとしてうまくいくという点が共通していると思うんです。今は、私は管理者をしていますが、現場を主としている人もいる。それぞれの役割をしっかり果たす人がいるからこそ、チームとしてうまく回るのだと考えています。

ひとりのクライアントを支えるためには、社内だけではなく、ほかの事業所との連携も必要。訪問看護師が入ったり、主治医との連携があったり、もちろんクライアントのご家族も関わってきます。そういう意味でも、チーム一丸となってクライアントと向き合っていますね」

池田の経験も、人と人も、すべてがつながって今が成り立っているのです。

重度訪問介護による在宅での生活を“人生の選択肢”のひとつにしたい

ホームケア土屋鳥取で池田が広報活動に注力しているのは、ある想いからだといいます。

池田 「以前鳥取県では、重度の障害がある場合、病院や施設にいるという選択肢しかありませんでした。そこにホームケア土屋が入ることで、在宅のまま地域で生活する、という選択肢がひとつ増えるのはすごく大きなことだと思うんです。

選択するのはクライアントやご家族ですが、選択肢が病院や施設しかない状態で選ぶのと、在宅の選択肢もある中で結果的に選択するのでは、意味合いはまったく変わってくるはず。2025年問題を間近に見据えた今、ホームケア土屋の重度訪問介護が選択肢になれたら、鳥取県の福祉も、鳥取で人生の最期を迎えることのイメージ自体も、 変わってくるのでは、と考えています」

実際にホームケア土屋岡山で、重度訪問介護のクライアントや家族から掛けられた言葉がやりがいとなり、鳥取で広報活動を行う原動力になっています。

池田 「ホームケア土屋岡山にいたときに、初めて重度訪問介護を利用した方やご家族から、『こういう制度を早く知りたかった』『重度訪問介護を使うことで生活が充実した』といった声を聞いたとき、心の底から嬉しい気持ちになりました。

この重度訪問介護という仕事は、クライアントと、その家族の人生を変えるような選択肢のひとつになり得るんだ、と実感しましたね。重度訪問介護は知名度が低く、一般的な認知度はまだまだこれからというところもあり、私たちの頑張り次第で誰かの人生がより納得できるものになるかもしれない、そして世の中が少しでも良くなるかもしれない。そのことも、モチベーションを生み出す原動力です」

強い想いを持つ池田には、鳥取オフィスのメンバーと接する上で意識していることがあります。

池田 「なぜこの仕事が必要なのか、社会的背景といったところもきっちり説明して、この仕事の意義を伝えるように心掛けています。ただ単に表面的な作業のように仕事をこなすのではなく、この制度を作るために力を注いだ人たちの歴史や想いが個々人にリンクしていると、同じことをしていてもメンバーの意識ややりがいは大きく違ってくると信じています」

障害者と健常者がともに学んで感動や苦悩を分かち合えるスポーツチームを

池田は、ホームケア土屋での重度訪問介護の仕事を“福祉改革”だと捉えています。

池田 「今の仕事を一言で表すなら、“福祉改革”ですね。ホームケア土屋の重度訪問介護があることで、クライアントの方にとって人生をも変えるような選択肢になり得ることを実感しているので、改革に近いのではと思っています」

池田自身の価値観も、重度訪問介護を通じて障害者と触れ合う中で変わってきた部分があります。

池田 「海外に行って言葉の壁、文化の壁というのを肌で感じましたが、以前は私自身の中に、障害者の壁というものが構築されていたと思います。しかし、土屋での仕事を通じて、健常者も障害者も、触れ合うことでお互いに何か学ぶべきことが生まれてくるんじゃないか、と。

自分の子どもにも感じてほしいのは、障害があってもなくても、使っている言語が違っていても、肌の色が違っていても、人としての垣根はないんだ、所詮みんな同じ人間なんだ、ということなんです。自分の子供に限らず、人類みんなに感じてほしいことですけどね」

そんな池田が夢としているのは、障害者と健常者によるスポーツチームの結成です。

池田 「私は今でもサッカーがすごく好きなんですが、サッカーチームを作るとしたら、障害者と健常者が交流できるようなチームを作りたい。そうすれば、双方が成長できるという確信に近い想いを持っています。

重度訪問介護サービスを利用することで、難病、障害を持っている人も、家で自分が決めた暮らしを送れるようになります。でも、生活するだけが人生ではありません。私自身は、サッカーに関わったからこそ、人生がより充実したものになりました。

人生を輝かせるひとつの手段として、スポーツが果たす役割は大きいですよ。サッカーに限らなくてもいいんです。何かしらのスポーツチームを作って、障害を持っていてもいなくても、スポーツの感動や苦悩を共感できる場を私が提供できたらいいな、と考えています」

池田はこれからも、重度訪問介護を利用した在宅生活という“人生の選択肢”を社会に提供し続け、人と人の垣根のない世の中に向けたさらなる一歩を踏み出していきます。

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