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優先するのは“暮らす街”か“刺激”か。生きるように働くために

公益財団法人からエル・ティー・エスへ。そしてNPO法人をへて再びエル・ティー・エスへ戻ってきた小笠原 知広。2022年現在、エル・ティー・エス関西事業部でマネージャーとして活躍する小笠原が、“自分らしく働く”ために常に持っている“意識”と、これからの未来を担う世代への想いを語ります。【talentbookで読む】

お客様と信頼関係を築き確実に実行──事業変革への想い

2022年現在、大手製造業の製造現場のデジタル化、先進化を実現する「スマートファクトリー」の推進を担っています。工場を持っている企業様にとっては馴染み深い言葉になってきたのではないでしょうか?

多くの製造企業が抱えている課題として、国内・海外と複数の工場を持っているものの、各工場で製品のつくり方がバラバラになっていることが挙げられます。そこで、各工場の生産プロセスを標準化し、本来ありたい姿を描き、そこに対してデジタルツールやデータを有効活用できるようにしながらスマートファクトリーを実現し、事業の変革を目指しています。

当社は20人ほどのメンバーでアサインされ、複数のチームに分かれて支援を行っています。製造現場に対するプロジェクト推進を支援するチームもあれば、データを有効活用するためにデータの集め方・扱い方の検討を支援するチームなど多岐にわたっています。

その中で私は、アカウントマネジメント・プロジェクトマネージャーを担うとともに、プロジェクトの推進を支援するチームのPMOとして進捗管理や課題管理なども担当しています。プロジェクト開始当初は既存の業務の仕組みやプロセスを抜本的に見直すBPRが求められていたこともあり、成果物として要件定義書や業務プロセスチャートなどをお客様に納めることが多かったですね。

お客様の「どういったことを実現したいか」という要求事項に合わせて、どういった業務の在り方を目指すべきかをしっかりと検討し、要件定義書にまとめていました。

今後このプロジェクトは海外展開を含めて支援を進めていく予定で、数年単位の長期プロジェクトになる見込みです。お客様との信頼関係を築き、確実に実行していくことを心掛けていきたいですね。

一度は離れたエル・ティー・エス。再会から入社まで

▲合宿でのワークショップの様子

現在はマネージャーとして、エル・ティー・エスの関西事業部で働いていますが、大学卒業後は、公益財団法人に入職しました。当時は就職氷河期の末期で簡単には就職できない時代で、就職活動を順風満帆に進められたわけではありませんでした。

しかし幸いなことに、学生時代に携わっていた地域イベントの方から声を掛けていただき、公益財団法人に勤めることになりました。そこでは、政財界との折衝や広報活動、イベント企画、営業(協賛)活動、イベントの主体となる学生のサポートなどを担当しました。

2年ほど公益財団法人で働いたのち、2007年にエル・ティー・エスへ転職しました。エル・ティー・エス入社後は、航空会社のSAP導入・教育プロジェクトに参画し、SAPの操作マニュアルの作成を担当しました。

その後、現在のアサインナビ株式会社にあたる、キープライド株式会社の立ち上げに参画しました。キープライドでは、人材紹介事業や要員支援事業を行なっており、キャリアコンサルタントや営業など、幅広い業務を担当していましたね。

しかし、参画後しばらくしてリーマンショックが発生。多くの企業が採用活動をストップし、キープライドでも事業縮小を余儀なくされたことで、私はエル・ティー・エスに戻ることになりました。

コンサルタントとしてエル・ティー・エスへ戻ってからは、経理システムのヘルプデスク構築プロジェクトにプロジェクトリーダーとしてアサインされ、3カ月後にはヘルプデスク以外に、動画マニュアル作成などの教育まわりも含めたプロジェクトへ拡大するなど、一定の成果は出せたのではと考えています。

2年9カ月という期間でしたが、エル・ティー・エスに入社してさまざまな経験を積むことができました。そんな私がエル・ティー・エスを離れ、別の道を歩もうと考えたのが2010年12月のこと。

私は生まれが愛知で、学生時代は京都で過ごしていたため、馴染みのない東京で長い期間過ごそうとは考えていませんでしたし、リーマンショックで希望退職を募っているタイミングでもあったので、エル・ティー・エスで培った経験を生かし、新しいチャレンジをすることにしました。

そこで愛知に戻り、経営企画を担うNPO法人に転職しました。具体的にはファンドレイジング(資金調達)イベントの事業企画・推進・統括、ボランティアマネジメントなどですね。

どうすればNPO法人が経営を成り立たせることができるのか、どうすれば事業収入・寄付収入・会費収入を得ることができるのか……。さまざまな収入パターンがある中で、その団体に合った経営は何かを検討していました。

そんな折、元エル・ティー・エス社員(2022年現在はエル・ティー・エスに再入社)の結婚式に出席する機会があり、そこで社長と副社長に再会しました。

顔を合わせて、開口一番「なにしてるの?いつ戻ってくるの?」と声を掛けてもらったことを覚えています。私が入社したときは40人弱の社員数で社長、副社長とも距離感も近かったので、もしかしたら声を掛けられるかも……と予想はしていました。私のほかにも、出戻りの社員は数名いるので、卒業した社員にとっても、エル・ティー・エスはやさしい会社なんだと思います。

退職した理由もネガティブな理由ではありませんでしたし、エル・ティー・エスでやってきた仕事が嫌という訳ではありませんでした。

一方で在籍していたNPO法人は、地方特有の課題かも知れませんが、ビジネスに対する考え方が少し違う人が多いと思っていました。担当していたファンドレイジングイベントもひと段落し、日々受ける刺激も少なくなりつつあることもあり、エル・ティー・エスのほうが自分自身の成長にもつながるのではないかと感じていたことから、出戻りすることに決めました。

2度目のエル・ティー・エス。“言葉の定義”という壁

エル・ティー・エスに戻ってからは、自動車会社の新業務定着化のプロジェクトにアサインされました。それまでベンダー1社に大規模なシステム保守委託をしていたものを、複数社に分割し、ベンダー間を競わせることで、サービスの向上やコスト低減を図るプロジェクトです。

私は請求まわりのプロセス定着化と未定義事項の定義化、ベンダーのプロセス品質チェック(請求書様式、記入ルール、記載内容など)・管理を主に行なっていました。途中でベンダーが切り替わっても、顧客側の業務が着実に遂行できるようにするのが役割でしたね。

その後、少しずつ他の領域も見るようになり、最終的にはひとつのチームとして、複数部門に対する業務支援・業務改善を実施するようになりました。

公益財団法人やNPO法人で働いていたとき、事業全体を俯瞰して見ていた経験から、顧客側の業務全体を俯瞰して考えられるようになり、その視点が当時のプロジェクトでも生きてきたんだと思います。最終的にはチームの人数も増え、2015年ごろにチームからグループへと昇格し、私はグループ長を拝命しました。

私にとって、このコンサルティングという仕事のやりがいは、お客様に気づきを与え、理解してもらえたときだと考えています。 お客様はプロジェクトマネジメントへの知識や理解があまりなく、今までの業務の延長線上でプロジェクトを進めているということが多いんです。

そこで私が「この課題は、このような影響が起きる可能性があります。今のタイミングで、ここをしっかり決めておかないと手遅れになってしまうリスクがありますよ」と伝えることで、「そうか。その視点には気が付かなかった。確かに気を付けないといけないね」と気づきを与えられたとき、やってよかったなと思いますね。

とはいえ、プロジェクトが変わる度にお客様が変わるため、お客様のカルチャーや言葉の定義・捉え方が違っているなど、プロジェクトにアサインされた当初は苦戦することが多いです。

たとえば「システム」という単語ひとつとっても、Web系のシステムやパッケージ系のシステムをイメージする顧客もいれば、Excelでマクロを組んだものすべてを「システム」として表現する顧客もいます。そういった前提認識のすり合わせはその都度念入りに確認をし、言葉が示している内容を確認するようにしています。

基本的にはお客様の言葉の定義に合わせた表現にするように、私も意識してコミュニケーションを取っていますね。言葉をお客様の表現に合わせるという些細なことかも知れませんが、それらの積み重ねが信頼につながります。その信頼があるからこそ、お客様の中でもエル・ティー・エスや私自身の存在を認知してもらえることにつながるんだと考えています。

先日も、プロジェクトの飲み会にクライアントの役員の方が来られたとき、「君が小笠原くんか~!今度話を聞かせてほしい」と言われたことがありました。お客様の言葉に合わせて、お客様のことを理解しようとしていたことが、信頼関係を築くことにつながっていて、最終的にエル・ティー・エスや私の存在が伝わっていったんだと嬉しく思いました。

これからの未来で“自分らしく働く”を実現するために大切なもの

▲コロナ禍以前に行われた女性社員の歓迎会の様子(小笠原は女性社員の左隣)

2度目のエル・ティー・エス入社以降も、東京にずっと住み続けるということはイメージしていませんでした。個人的に、職住近接の環境かつ大学時代に過ごした京都が、仕事面や生活面において便利な場所と考えていたので、京都移住をしたい旨を社長、副社長に話しました。結果、新宿以外の初の事業所として、京都にオフィスを構えることになりました。

ただそのように言うと、個人のわがままなように映ってしまいますが、当時は2度目の入社から7年が経過する中で、地道に案件を増やし、規模を拡大していました。会社への貢献もできていたからこそ、会社としても京都移住を応援してくれたのだと思っています。

希望を伝えたときに、応援してもらえる関係性をあらかじめ築いておくことが必要となりますが、エル・ティー・エスは、こちらの希望を伝えたときに背中を押してもらえる良い会社です。

昨今、働き方改革などいろいろなワードが出ていますが、これから明らかに時代は変わっていきます。私の場合は暮らす街を変え、そこで「場と仕事を創る」ということにチャレンジしてきました。また、コロナ禍の前からリモートワークも行ない、新しい働き方も模索していました。

私の例は、一つのケースに過ぎませんが、自分たちで働き方を含めて、未来を変えていかなければならない、そんな時代になっていると考えています。

特に最近の若い世代は、新しい価値観や新しいワークスタイルを持っている人が多いと思います。そういった方々には、ぜひとも新しい“何か”を生み出すことを恐れず、チャレンジしてほしいですね。

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