生物研究の道から介護業界へ。「生き物」としての人生を見つめて | キャリコネニュース
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生物研究の道から介護業界へ。「生き物」としての人生を見つめて

2年前、全くの未経験から介護の仕事をスタートさせた坂下 陽一。1アテンダントからスタートし、現在はオフィスマネージャーへとその位置を変容させてきた彼の経歴は、これまでも生き物へのまなざしと共にありました。自身と、その外側にある生が重なり合う介護という現場で、坂下が見つめる「生の働き」とは。【talentbookで読む】

体の負担を最小限に。ケアカレッジで伝える介護の仕事を楽にする技術

ホームケア土屋 大阪でオフィスマネージャーとして活躍する坂下 陽一。

2020年に重度訪問介護(重訪)の仕事を始め、アテンダントからコーディネーターを経験し、その経験と姿勢を買われ、株式会社土屋に入社後にキャリア2年にしてオフィスマネージャーとなりました。

坂下は現在、介護資格取得専門の教育研修機関である土屋ケアカレッジ関西の講師を兼任。関西?北陸地域の受講生を対象に、重度訪問介護従業者養成研修・統合課程の実技を担当し、新人アテンダントたちの声を受け止めています。

坂下 「介護の仕事は、上半身・手や腕で行うという認識がみなさんの中に圧倒的にあるんですが、そうではないんです。だからって『下半身や全身を使いましょう、背中の筋肉を使いましょう』と言ってもイメージしづらい。ケアカレッジでは、『みなさんが日頃、無意識にやっている動作が実はボディメカニクスなんだよ』というふうにお伝えしています」

骨や筋肉、関節が相互に関係し合うことで、さまざまな動作を行なっている人間の体。ボディメカニクスはその作用を活用し、体の負担を少なく重たいものを持つことができるという介護技術です。

坂下 「例えば、2リットルのペットボトルをケースで買ったとすると、6本入っていて大体12、3キロあります。『では、車や荷台に積みたいとき、ケースをどう持ちますか?』と受講しているみなさんに聞くんです。

そのとき、足を開いて重心を低くして抱えますよね。これがボディメカニクスで言うところの『支持基底面を低くする/重心を低くする』という動作と関連しています。日常の動作から拾い上げて、介護現場での動作につなげていくんです」

オフィスマネージャーでありながら、支援現場には今も週3回ほど入っているという坂下。プライベートではジムでのトレーニングを20年以上続けてきました。鍛え抜いてきた体が今、介護の仕事で活きていると言います。

坂下 「担当しているクライアントには80キロの方がいるんですが、トレーニングをしてきたので介助のときにも体が勝手に動いてくれるんです。ベースの筋力にも余裕があるので、移乗介助の際に膝折れしても、踏ん張れますね。クライアントも『この人なら安心だよね』って仰ってくれています」

人間の体ってこんな不思議なんだ。生物への興味を育んだ学生時代

現在は介護という仕事で活躍する坂下ですが、「学生時代は遺伝子組み換えの研究をしていた」という異色の経歴の持ち主。彼が体や生き物への視線を意識しはじめたのは、10代の頃でした。

坂下 「理科という分野に興味を持った最初のきっかけは中学時代に遡ります。その時代の成績の良し悪しって先生との相性だと思うんですよ。この先生の授業が楽しい、面白い。だから興味を持って勉強する。勉強したらテストの成績も良くなった……。その繰り返しで、いい体験がいいループを回してくれました。理系の学部に進んだのは、高校の生物の先生との相性が良かったことが大きいです」

その後、「もっと生物を勉強したい」という想いから、岩手の大学の農学部へ進学。

坂下 「ただただ覚える学問より楽しかったですね。勉強したら、した分だけ先端技術や新しいものがどんどん出てくる。それによって、今まで自分の体の中で起きていたことを学問的に理解できるようになっていきました。体の中で食事がどういうふうに消化されるか、呼吸はどうなっているか。人間の体ってこんな不思議なことになってるんだ、と」

自身の外に広がる生と、体という内側の生をつないだ、坂下の好奇心。当時から生き物の仕組みやつくりに関心を持っていた彼は、研究に熱中する傍らで、ユニークなアルバイトも経験します。

坂下 「今の私を知っている人からすると『えっ』となるらしいんですけれど(笑)。ボウイの仕事をしていたんですよ。元々の私は内向的で、社交的ではなかったんです。でも呼び込みをしたり、チラシを配っているうちに『自分、このまま社会に出たら仕事ができないぞ』という気づきがありました。そのとき初めて、仕事というのは積極的に自分から動いて声をかけていかないと、難しいことに気づけたんです」

生が行き交う場で、坂下は顕微鏡を覗くようにその人間関係を観察していたのかもしれません。

その後、2年ほどボウイの仕事を続けたのち、地元・大阪へ戻った彼は大学での経験を活かし、大学の研究室や製薬会社、ベンチャー企業等で実験・研究補佐の仕事をのべ10年にわたり続けます。

40歳、生き物として中盤。どんな人生を歩みたいか、考えた。

30代半ばに研究職を辞し、派遣会社の営業職に就いた坂下。

40歳という年齢にさしかかる頃、これまで「興味があるかないか」だけで仕事を選んできた彼は、ふと自身のこれからに目を向けたと言います。

坂下 「それまではどちらかというと、その仕事が好きでやってきていて、今の部分しか見ていませんでした。でも目先だけで仕事を探していたところから、40歳を迎えるにあたって先々まで考えたときに、『自分がここでどれだけのキャリアを積み上げられるのか』『初任給レベルでこのままずっと働くのか』と自分に問いましたね。当時いた会社では、2年後、3年後の自分というものをイメージできなかったんですよ」

自身の将来への疑問が重なった坂下は、さっそく転職活動をはじめます。ところが40歳という年齢、技術職出身という経歴の中、転職活動は思うように進みません。坂下は、目にはしてはいたものの「正直、避けたいなと思っていた」介護職に業種を広げます。

坂下 「『一回やってみようかな』と介護の業界に選択肢を広げた瞬間、山ほど出てくるんですよ、求人が。その中で、介護の知識がなくても受け入れてもらえそうだったのが土屋でした」

「そういう意味で言うと、介護の仕事を選んだのは消極的な発想かもしれない」と話す坂下。採用面接では、今後のキャリア形成について具体的な話を聞けたことが入社の決め手になったと言います。

坂下 「当時、大阪にはいくつか事業所があったんですが、どこも上のポストに空きがある状態でした。だから『やればこれだけ上がれるよ』というお話を聞けたことで、最終的に踏ん切りがつきました。キャリアアップや上昇志向というものは、自分の中に元々あったと思います。

ただ、これまでの仕事では『どうすれば上に上がっていけるか』という手段や方法が見つかりづらかった。私は目の前の仕事をがむしゃらにやっちゃうタイプなので」

異業種を経た坂下の目は、今、介護という仕事をこう見つめています。

坂下 「一般的な仕事は、過程よりも結果を求められることが多い。営業であれば当然数字ですし、研究職だったときも結果がすべてでした。でも土屋に入ってからは、やればやった分だけクライアントや同僚からの評価があって、キャリアアップのルートがわかりやすかったですね。

介護の仕事は、うまくできなかったとしても、ちゃんと向き合って真面目にやっていれば正当に評価してもらえるんです。それはいい意味でもあり、アバウトな部分でもあるんですけれども」

一方で、仕事の姿勢として変わらないものもあると言います。

坂下 「ボウイのバイトをしていたときから、人との関係の中で、内向的なままだと仕事にならないな、というところは変わりませんね。最後は全部、そこに繋がってくるんだと思います」

行けるところまで行ってみよう。キャリアを積み、夢を体現していく

転職後、目の前に在る命へのまなざしを深め、キャリアアップという自身の目標に向かって進んできた坂下。

坂下 「この仕事は、いい意味で承認欲求が満たされます。クライアントからも『この人が来てくれてありがたい』と、アテンダントからは『この人が担当なら、何かあってもすぐに対処してくれるな』と言ってもらえます。

介護の仕事をする方は、ホスピタリティーが高い方が圧倒的に多い。それは、自分自身の承認欲求が高いことでもあると思うんですね。『人に何かをしてあげたい』という想いは、感謝や『自分にいてほしい』と思ってもらいたい欲求でもあるので。その欲求は自分も高いんじゃないかな、と分析しています」

「アテンダントのときはもちろん、コーディネーター、マネージャーとキャリアを積んでいっても、承認欲求は形を変えて残っていくもの」と語る坂下。

短期間で自身のポジションを変容させてきた彼が、今、抱えるのは現場を支えるアテンダントたちへの想いです。

坂下 「1アテンダント時代は、とにかく自分対クライアントの間で物事が進んでいたのが、コーディネーター以上になるとその中継ポイントとしての仕事に変わります。今はオフィスマネージャーとして、アテンダントにとってどうしてあげるのがいいのかを一番に考えるようになりました。

重訪は直行直帰の仕事なので、対面で話す機会がどうしても少ないんです。その分、文字のやりとりが多くなるんですが『じゃあ、どういう言い方をしたらいいかな』と慎重に言葉を選ぶようになりましたね」

そんな坂下が描く、自身のこれからとは。

坂下 「とりあえず行けるとこまでは行こうかな、と思います(笑)。まずはそこが大きな目標です。ただ、そこまでの手段や経路は現時点では決めていません。

というのは、もしかしたら自分の持っている能力や特性を活かした別のルートがあるかもしれないと思っているからなんです。例えば、私はずっと体を鍛えてきたので、リハビリや介護予防として、またスタッフの体の使い方の指導者として、社内で運動的な視点を活かす先は多方面にあるんじゃないかと考えています。そのために今の役職になったところもあって、オフィスマネージャーはゴールではないんです」

そう語る視線の先にはキャリアモデルとなる人の姿が映っています。

坂下 「大阪に所属できたおかげで、ポストを上り詰めてきたブロックマネージャーの姿を間近で見られた経験は自分にとって大きかったですね。

その方は私と同じように全くの未経験から入社されて、現場からあっという間にマネージャーまで、今は執行役員にまでなっています。私がアテンダントのときも、気軽に話を聞いてくれました。追うべき背中のひとつです」

「既に体現された先輩がいるので、今、自分が夢を見れる」と語る坂下。

40という年齢を区切りに自身の生の方向を新たにした彼は、今、土屋でその根を張り、夢に向かって邁進中。今日も新人アテンダントたちをしっかりと支え、ひとり、またひとりと現場へ送り出しています。

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