あのころの私が笑顔になれる未来をつくりたい。想いと仕組みの両輪で、私は夢を追いかける
“イノベーション・ハブ・ひろしまCamps”のコミュニティマネージャーを務める、今井 恭子。訪れる人にひたと寄り添い、想いの実現や課題の解決をサポートしています。葛藤を抱えながらも、「社会を変えたい」という切なる想いをぶれることなく持ち続けてきた今井。その想いの原点とは。【talentbookで読む】
「はだしのゲン」が私の原体験。政治家の養成塾をきっかけに始めた、NPOの取り組み
私は、自営業をいとなむ両親のあいだに、6人きょうだいの長女として生まれました。小学生のときから家事や弟・妹の世話などを任され、友達と遊ぶことはおろか自分の身だしなみさえ気づかえず、いじめにもあったのが子ども時代の記憶。
「お姉ちゃんなんだから良い子にしてね」と諭され、私自身も良い子であり続けようとして、SOSを発信することもできませんでした。
消えてしまいたい、とさえ思っていた当時、私の唯一の居場所だった図書館で出会ったのが「はだしのゲン」でした。子どもながらに、「生きたくても生きられなかった人がこんなにいたのだから、命を粗末にしてはいけない」と生きる力をもらったのを覚えています。そんな想いが、やがて地球環境への興味へと発展。大学院では環境に関する研究を行いました。
ところが、その研究が、社会からすごく遠いところにあると感じるようになって。やがて、「めざしている環境保全や環境にやさしい社会づくりを、経済抜きに語ることはできない」との想いから、ビジネスの最前線にいる会社の経営者と話ができる、経営コンサルタントになることを決意。大学院を卒業後、経営コンサルティングを行う会社に入社しました。
しかし、入社後に配属された先は、リスクマネジメントコンサルティングの部署。落胆の気持ちもありましたが、数カ月後にはまさに経営の守りの領域だと気づき、転職を1度はさみつつ、同じ分野で7年間を過ごしました。
転機となったのは、そのうちの3年目のころ。「社会を変えたい」との想いで、仕事をしながら政治家の養成塾に入ったんです。そこで、「いちばん最初にあなたが笑顔にしたい人は誰ですか?」と問いかけられ、内省を繰り返すうちに、かつての自分のような境遇にある子どもたちの力になりたいと思い至りました。
それまでは漠然と「環境を守りたい」「環境にやさしい社会づくりがしたい」と考えていただけだった私の視野が広がったのは、そのときでした。「かつての私のような“良い子”たちが、本音を言える場所をつくってあげたい。その子たちを笑顔にしたい」と、想いを新たにしたんです。
そのころから、子どもたちに無料で勉強を教えてあげられる場所を提供したいと思うように。地域活動に関わり始め、NPOとして、“良い子”たちが、親に迷惑をかけることなく、「勉強してくるよ」と胸を張ってでかけられるような居場所づくりが、当時の仕事と並行してスタートしました。
このNPOでの活動が、さらに視界が開けるきっかけになっています。
個人の想いを支援し、社会を変えたいのにできない。葛藤を経て、エル・ティー・エスへ
NPOスタッフの中には、人見知りの人もいれば、発達障がいの人もいます。だからでしょうか。人見知りの子どもが来てくれたり、障がいのある子どもが居場所だと感じてくれたりする様子を見るようになりました。
それを見て私が信じるようになったのが、自分らしく生きる大人が増えて、その背中を見せることができたら、周りの子どもたちが「自分らしく生きていいんだ」って自然に思えるような未来が実現できるのではないか、という夢。
そこから私は、誰もが自分の個性や経験を活かして、自分らしく輝ける生き方があるはずだと考えるようになりました。そんな社会に変えていきたいと、改めて未来図を定めたのです。
振り返ると、この考えに至ったのは、政治家の塾に通っていたときに、塾のみんなが話を聞いてくれて、自分では気づけなかった、蓋をしていた過去に気づかせてくれたから。同じように私も人をサポートしたい、やっぱり経営コンサルタントになって創業支援を行いたいと考え始めたのも、そうした気づきからでした。
そして私は、小さな組織で経営者と差し向かいで話せる仕事ができる、創業支援を行うNPO法人へ転職しました。
一見すると、念願のキャリアに見えるかもしれません。しかし、私はそこからさらに5回の転職を繰り返しました。創業支援側とスタートアップを行き来するキャリアを送ったんです。そうなったのは、私の葛藤からでした。
たとえば、ベンチャーキャピタルとして支援する側にいたときは、出資者であるお客様の意図を汲みながら出資先を選ばなくてはなりません。創業当初の出資対象とされる会社100社と出会ったとしても、そのうち支援できるのは数社だけ。
でも私は、一人ひとりの経営者を支援したい、100社のうちの100社全てを助けたくなってしまったんです。もっと相手に寄り添いたいとの想いで、スタートアップに転職しました。
ところが、スタートアップに入社して感じたのは、自社の事業の立ち上げに必死になるあまり、すぐには社会に大きなインパクトを与えられないもどかしさでした。その葛藤を立場を変えながら繰り返していったのです。
一人ひとりの想いを支援しつつも、社会を大きく変える方法はないのだろうか──エル・ティー・エスとは、そんな葛藤のなかで出会いました。
入社のきっかけとなったのは、当社の執行役員が書いた「Business Agility(ビジネスアジリティ)」という本を読んだこと。
遵守すべき会社の仕組みやルールと、個人が現場で柔軟に判断可能な領域とを明確に線引きすることで、現場での判断力を養おうとする内容だったと理解しています。この考え方を社会全体に当てはめれば、一人ひとりがより生きやすい仕組みづくりができるのではないかと思ったんです。そしてそれは、社会を変えることにもつながるはず。
そのマインドが醸成される過程を学び、社会で実践するためのヒントを得たいと考え、エル・ティー・エスへの入社を決めました。
Campsなら、100人全員を支援できる。ここは夢や想いが飛び交う、温かな空間
入社後は、1年弱にわたり“RING HIROSHIMA”というプロジェクトに携わりました。
RING HIROSHIMAは、広島の社会課題を解決したいと考える起業家と、起業家と伴走して事業成長を支える“セコンド”を市民から募集し、地域に根づいた創業支援の仕組みをつくるという取り組み。私は事務局として、参加者同士のコミュニケーションが円滑に進むようなサポートを行っていました。
セコンドが起業家と共に営業や現場視察を行うなど、支援に留まらず“伴走する”ところがこの取り組みのポイント。また、セコンドを市民から募集することで、事業期間が終わっても挑戦する人と支援する人の関係が広島で続き、支援やコミュニティがつながっていく仕組みになっています。温かくて私の大好きなプロジェクトです。
2022年12月現在は、エル・ティー・エスが広島県から受託して運営している“イノベーション・ハブ・ひろしまCamps(以下、Camps)”に携わっています。
Campsは、多様な人が集まり、そこからイノベーションを創出していく拠点として設立されました。“イノベーション”というと、市民の皆さまは自分には縁遠いと感じるかもしれません。しかし私たちは、“イノベーション”を、たとえば“新しい挑戦”のような、市民の皆さまにとって身近で自分ごととして捉えられる言葉にしたいと考えています。
それもあって、Campsは建物1階の道路に面した開かれた公共施設として、会社員や起業家だけでなく、フリーランスや一般市民の方々など、どなたでも気軽にご利用いただけるようにしています。実際、「暑いから涼みに来ました」と、ふらりと立ち寄ってくださる方もいるんですよ。
Campsでは、私はコミュニティマネージャーを務めていて、来てくださった方とコミュニケーションを取り、その方の想いの実現や課題の解決をサポートしています。コミュニティに愛着を持ち、コミュニティの一員だと感じてもらうことをミッションに、いわば窓口のような役割を務めています。
具体的な活動としては、来館者の方と雑談ベースの対話をしたり、一日2~3件のペースで起業家さんからの事業相談を受けたり、月1回のイベントを主催したり。また施設管理も私の仕事です。
ここでは、いろいろな方の夢や想いを聞けて、その時間が私はとても好きです。それに、Campsは自治体が行っている事業。効率や収益性を度外視して相手と徹底的に向き合い、とことん支援できるところに大きなやりがいを感じています。100人いたら、100人助けられる。以前葛藤した私の気持ちが、ここなら実現できているんですよね。
一人ひとりが自分らしく生きて自分を輝かせられる支援を続ける。その先に私の夢がある
つい先日、Campsでは起業家の短期集中支援プログラムが始まりました。私はその責任者として、プログラムの企画や運営、起業家のメンタリングなども担当しています。
また、社会の仕組みを変えるための仕掛けづくりにも取り組んでいます。Campsに来てくださった方に向き合ったことで得られた経験から、多くの人がもっと挑戦しやすくなる仕組みを検討したり、その仕組みを地域に根づかせたりする方法へ一段昇華させるにはどうすべきかと、常にエル・ティー・エスの仲間と考えているんです。
私たちが直接支援する数を増やすのには、限界があります。だからこそ、たくさんの方が一人ひとりの強みを生かして関われる仕組みを考え抜かなければなりません。それは、「可能性を解き放つ」という、エル・ティー・エスのミッションの体現そのものだと思っています。
将来的には、この取り組みをエル・ティー・エスの事業として育てたいです。ビジネスにできなければ、続かないし、違う拠点に広がっていきません。
さらに、“挑戦”に対して広島県の皆さんにワクワクするイメージを持っていただけるよう、Campsがエネルギーを与えられるような場所にしていくことも目標のひとつ。まず、受託事業の枠を超えて広島県全体を盛り上げ、広島の民間企業さんに対して提供できるものを増やしていけたらと思います。その上で、他の地域にも、Campsのような拠点を広げていきたいですね。
広島は、私の原点でもある「はだしのゲン」の舞台。個人的にとても思い入れがある場所です。戦後100年目を迎える2045年8月6日には、「一人ひとりがこんなにもしあわせを感じながら生きられる場所になった」と自信を持って言えるように、ビジネスとイノベーションの力を借りて社会課題を解決できるような事業を展開し、このまちの健全な発展に寄与していきたいですね。
私個人としては、世界中の皆さん一人ひとりが自分の人生の価値を認識し、命をより大切に感じながら、充実した人生を送れるような社会にしていくためのお手伝いができたらと考えています。今も続く、めだかの学校のNPO法人も、そうした想いから取り組んできましたから。
この先の自分のキャリアがどうなっていくか、正直なところ見えていません。ただ、Campsが大事なステップになっていることは確信しています。皆さんの新しい挑戦を応援し、一人ひとりが自分らしく生きて、自分を輝かせるための支援ができる今の仕事は、自分が大切にしてきたミッションにも通じているからです。
目の前の取り組みが、社会の大きな仕組みを変えていくことにつながっているのを実感できています。これからも今を楽しみながら、未来の夢の実現につなげていきたいですね。