人生の手綱を握るのは私──退職して再びゼネラルパートナーズへ。ワクワクできる社会を目指して | キャリコネニュース - Page 2
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人生の手綱を握るのは私──退職して再びゼネラルパートナーズへ。ワクワクできる社会を目指して

▲中国に留学していたとき

新規事業企画部門で新しいサービスの導入に携わる武田 幸。そのかたわら、フリーランスとして中小企業向け人材育成支援なども手掛けています。二足の草鞋で活躍する武田のバイタリティはどこにあるのでしょうか。これまでのキャリアと、人生への想いを武田が語ります。【talentbookで読む】

障がい者就労の定着を高めるためのプロジェクトを、ゼロの状態から作りだす

私は2023年2月現在、ゼネラルパートナーズ(以下、GP)の新規事業企画部門に所属しています。 担当しているのは、「定着ギャップ0プロジェクト」。

障がいのある社員たちの就業や体調面の課題を洗い出し、人事、上長、障がいのある社員の認識の乖離を少なくしていく取り組みです。新しいサービスですが、導入企業からは、「定期的に1on1を実施しているが、その話は初めて聞いた」「マネジメント方法が具体的になった」という高い評価を得ています。

実は数年前にGPを一度退職したのですが、2021年11月に新規事業を手伝ってほしいと声をかけてもらい、再び戻りました。現在は、週に25時間程度の範囲で勤務しています。

正社員としてGPに勤務していたときは、法人向け営業や求人掲載を集めるWebの業務、それから求職者へのカウンセリングを行っていました。今回のプロジェクトでは、それらの経験から、企業側と求職者側の両方の視点を持っていたことが役に立っていると思います。

ですが、新規事業開発に携わるのは今回が初めてです。オペレーションも含めてゼロからプロジェクトを作りだすというのは、やってみると難しく、細かいことが後手になりがちです。GPの中にはすでに確立した人材紹介や就労移行支援のシステムがあるのですが、そこまでに至るには、最初に苦労して作ったものを試行錯誤しながら洗練させていった結果だということを痛感しました。これまでとは違う頭の使い方を駆使した業務だと思います。

中国に留学して得た価値観を携えて、日本の企業への再就職へ挑む

私は新卒採用で大手書店に就職しました。就職氷河期と言われる時代でありながら、年功序列の終身雇用制度という安定企業に入り安心して働いていたところ、2年後に会社が経営破綻に陥ってしまい、人員整理が始まりました。あっという間に社員の半数が退職し、同じ支店の同期も10人のうち8人が辞めてしまったところで、私もこのままここにいたら駄目なのではないかと不安になり、流されるように退社しました。

あらためて何をやろうかと考えると、何もない。就職してから自分がやりたいことを見つけようと思っていたのに、見つける間もなく辞めることになってしまい……その中で、漠然と頭に浮かんだのが中国でした。もともと父の仕事の関係で香港で生まれたこともあり、言葉は身についていないけれども、行けば何とかなるような気がしました。

語学留学というかたちで中国に滞在し、時間が許す限り現地の人との交流をして過ごしました。中国の人たちはとてもエネルギッシュで、人に雇われるよりも自分で仕事を起こす方がいいという考えがあることを知りました。自分の人生は自分で舵を取って、何があっても自分が責任を取るという気概があるのでしょう。朝から元気で、たっぷりとご飯を食べて、とにかくよく喋る。残念ながらSARSが流行したことでビザの延長ができずに帰国することになりますが、中国のエネルギーを体いっぱいにもらって帰ってきました。

その勢いで挑んだのが、日本での再就職です。中国のエネルギーのまま、根拠はなくても自信満々で強気で面接に挑みました。その結果、まったく受かりません。文化が違うんですよね。日本では、調和を重んじて、謙虚な姿勢が好まれますから。でも、ここで順応してしまったら、せっかく中国に行った意味がなくなる気がして、この価値観を受け入れてくれる会社を探しました。

そこで見つけたのが英語の書籍を多く手掛ける出版社です。社員のほとんどは英語がペラペラ。一方で、私は英語をほとんど話せません。「私は英語がわからない人の気持ちをくみ取れる唯一の社員になれます。私を雇わないと損しますよ」と面接で訴えたところ、採用に至ったのです。海外で仕事をしている方が多い会社だったので、これくらいのアピールは普通に受けとめてもらえたようでした。

フリーランスとして活動したからこそ感じられた、組織で働くありがたさ

▲「生きがい発見講座」を定期的にお寺で実施

出版社では法人営業や中国書籍の版権の調整などを行っていましたが、数年後にデジタルコンテンツの部署に異動になり、自分の仕事として違和感を覚えたことから退社します。次は何をしようかと考えた際に、気にかかっていたのが自分の体の状態です。中国留学でビザを取得するときに精密な健康診断が実施されました。そのときに抗原抗体の数値が高く、膠原病の症状が出やすいことがわかりました。 いつか難病指定の病気になるかもしれず、次第に体が不自由になるかもしれないとわかり、常に不安要素として抱えていました。

もしそうなったら、どうやって働けばいいんだろうと考えたのが、障がい者の雇用について調べ始めたきっかけです。そこでGPを知りました。自分が障がいのある人になったときに頼りたい会社なら、自分が健康であるうちに頑張ってこの会社に貢献していけばいいんじゃないかと思い、中途採用の門戸をたたいたのです。

GPに入社して最初に携わった営業職は、出版社で経験していた業務ですが、片や書籍という形のあるものが対象であるのに対して、労働力という形のないものを売るということに戸惑いはありました。ですが、ここで頑張って自分の人生の流れを変えたいという気合で、乗り切っていった気がします。

東京で勤務していたところ、義理の父の介護が必要な状態になったため、希望を出して関西に異動させてもらいました。そのとき、上の子どもが3歳、私は妊娠中でした。その後、産休を取って復帰もしたのですが、子育てと介護に長距離の通勤が重なり、自分の気力と体力に限界を感じて退職を決意しました。しばらくは子育てと介護に専念するつもりでした。

ですが、辞めた翌月には義理の父が他の兄弟と同居することになり、急に時間が空くことになりました。そこで、まずは関西で人脈を作ろうと近所でアルバイトを始め、キャリアコンサルタントの仲間の交流会へも参加する中で、そこからの付き合いが広がって、就職関係のセミナーの講師などの依頼をもらえるようになりました。さらに自分でもイベントなどを企画し、フリーランスとしての活動につなげていったのです。

このころから、仕事の手綱をつかめたという手ごたえを感じ始めた一方で、すべてのことを自分でしなければならない大変さも思い知りました。経理や営業、広報までを一人でこなすのは、時間も労力もかなりかかります。これまでは、組織の役割分担の中で、さまざまな部署の人に支えられていたからこそ、スムーズに仕事ができていたことがわかって、組織のありがたみが身に染みました。

自分の人生をワクワク楽しく生きるには、人生の手綱は自分で握ること

▲新規事業企画部門のメンバー

フリーランスの経験は、自分は仕事ができる人だという過信を見事にくじいてくれました。そんなときにGPから仕事の打診をもらい、とても感謝しています。さまざまな組織の方がそれぞれの役割の中でがんばって積み重ねてきた結果が今につながっている。その土台がある中で、私ができることを全力でやっていけば、私もほかの人を支えられるかもしれないと思いました。

私の人生では、いつもピンチが来た後には必ず良いことが起こっています。だからピンチはチャンスの裏返しだと思って、その場その場で学ぶことを心掛けています。わからなかったら、あれこれと考えすぎずに聞くこと。人と人との関係でも、お互いの立場や考え方を理解するには、その人の話を聞かなければ始まりません。まずは聞いて学ぶという姿勢は、いつまでも持ち続けていたいですね。

これからは、発達障がいのある方の就労支援が大切になってくるのではないかと考えています。ニュースなどで報じられる以外にも、私の周りでも発達障がいの話題はよく耳にします。そのために、今年は社会福祉士の勉強を始めるつもりです。感覚ではなく、学問として身につけた上で、仕事として関わっていければと思います。

フリーランスとしては、今は同じキャリアコンサルタントの方と一緒に、中小企業を対象にした「わくわくプロジェクト」を進めています。ワクワクできるような職場づくりや人材育成を目的とした事業です。ワクワク感の源は「私」が自分の中心にいることです。現実の世界には、さまざまな職業や立場があります。ライトを浴びる人もいれば、裏方として支える人もいる。一人ひとりがワクワクした生き方ができれば、主体性が生まれ、生産性を育むカギになると考えました。

誰でも人生を楽しみたいですよね。障がいのあるなしに関わらず、結婚や子どもの有無に関わらず、誰もが前を向いてワクワクして生きていけるような社会を作っていくことが、私の大きな夢です。そのために、誰もが自分の人生の手綱を持てるようなお手伝いをし続けていたいと思います。

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