ゼロ地点からライブ事業を率いてきた男の情熱とプライド | キャリコネニュース
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ゼロ地点からライブ事業を率いてきた男の情熱とプライド

▲本社移転を機会に新設されたアーティストルームにて。「普段はここでこんなにゆっくり座る暇などないですよ(笑)」

▲本社移転を機会に新設されたアーティストルームにて。「普段はここでこんなにゆっくり座る暇などないですよ(笑)」

音楽や映画、アニメなど、ポニーキャニオンはエンターテインメント領域で多数の事業を展開しています。今回ご紹介するのは、幅広い事業と横串でかかわるライブクリエイティブセクション。新規事業としてゼロからスタートし、いばら道を突き進んできた原動力は、音楽への情熱と、裏方のプロたる“黒子”の矜持でした。【talentbookで読む】

最初にして最難関──横浜アリーナでライブというミッションに挑む

日本屈指のイベントホール・横浜アリーナ。

毎日のようにアーティストのライブや大規模イベントが開催されているビッグステージです。

2013年、そんな大舞台であるイベントが行なわれました。

TVアニメ『進撃の巨人』のキャストによる朗読劇と劇中音楽の生演奏ライブ「Reading & Live Event『Attack 音 体感』」です。

主催者としてすべてを取り仕切っていたのは、ポニーキャニオンの新規事業推進室。

実は、たったふたりしかいないライブ専門の新設部署でした。

青柳 「事業部設立から半年後のことです。いわば、最初にして最高難易度の挑戦でした。コンテンツの強みがあったとはいえ、無謀ですよね、普通に考えて」

現在は、20名を超えるメンバーが在籍するライブクリエイティブセクションも、当時はまだ事業化の糸口を探っている段階。

新設に際し、もともと音楽部門のマーケティング担当として販促イベントを行っていたことから、青柳がアサインされたのでした。

青柳 「 2010年代に入った頃から音楽業界では配信サービスが普及し、 CDが売れない時代を迎えます。どうにか CDを販売するために積極展開したのが、アーティストやアイドルの販促イベント。『青柳はイベントが得意だから、やらせてみよう』という判断で異動が決まったんです」

時勢が厳しくなるなか、利益を生むために見出した活路がライブ事業だったのです。

自社所属のアーティストのライブを事業として手がけ、収益創出につなげるのが狙いでした。

青柳 「そもそも、販促イベントの最終目的は CDの売上枚数を増やすこと。実施にかかる費用も、宣伝費や販促費などの経費として考えます。一方、事業としてのライブは本質的にまったくの別物。他社なら、経験者の採用から始めるでしょうね。とはいえ、 “まずやってみよう ”という自前主義精神が、ポニーキャニオンらしい部分でもあります」

たったふたりで始まった新規事業推進室でしたが、1年も経たずしてもうひとりのスタッフは退職。青柳はひとりきり、知識も経験もないままに挑戦の荒波を乗り越えていかねばならなくなったのです。

華やかな舞台を裏側から徹底的に支える、プロの“黒子”として──。

自らの想いに正直に向き合い、音楽ビジネスの世界へ

▲いつも音楽がそばにあった。左:3~4歳、右20歳、青柳の後ろにはカセットテープやCDなど音楽ソフトがずらっと並ぶ。

▲いつも音楽がそばにあった。左:3~4歳、右20歳、青柳の後ろにはカセットテープやCDなど音楽ソフトがずらっと並ぶ。

今でこそポニーキャニオンのライブ事業における生き字引的存在となった青柳ですが、もともとは「世に音楽を広める仕事に携わりたい」という希望を抱いていました。

青柳 「一回り年上の兄の影響で、幼稚園児にして自分の好きなレコードを買ってもらって聴くような子どもだったんです。自分で選曲したカセットテープや MDをつくったり、社会人になってからは CD購入にお金をつぎこんだり」

人生の転機を引き寄せたのも、ある楽曲との出会いがきっかけでした。

青柳「『次の信号青になったら 走りだすことに決めたんだ』という歌詞が印象的で。当時は化粧品の容器メーカーで働いていたんですが、その曲がきっかけで『自分のやりたいことをやらないとダメだ』と考えるようになりました」

自作のミックステープを聴いた友達が、「すごくよかった」と言ってくれた喜びを思い出せ。

胸に秘めた志向の声に耳を傾けろ。

そして、本当にやりたい仕事──音楽にかかわれる仕事に就こう。

そんな想いから、青柳は2000年にポニーキャニオンに入社しました。

最初はルートセールスとして、契約先の店舗を回って販売サポートを担当。

現職になるまで青柳はずっと音楽畑を渡り歩き、営業もマーケティングも宣伝も、制作以外はすべて経験しています。

販促イベントの実施もその一環でしたが、実際にライブの企画運営を行なうようになり、青柳は決定的な違いを思い知ります。

青柳 「ライブの場合、予算はあくまでもチケットの売上から捻出しなければなりません。会場費やステージの制作費なども含むすべてです。一方で、仮にチケットが売れず予算が縮小しても、お客様に提供する “楽しみ ”を縮小はできない。収益モデルがまったく違うので、最初は途方に暮れました」

何もかも手探りで、ライブ運営のノウハウをゼロから考え、構築していった青柳。

「何をやればいいかわからないから、何もかもやった」という言葉からも、仕事の責任という言葉だけでは片づけられない音楽への情熱がにじみ出てくるようです。

青柳 「たとえば、ステージをつくる大道具、音響、照明、映像、運営……など、ライブの実施には細分化されたプロの力が必要になります。そして我々は、それらすべてをコーディネートする役割なんです。

特に部署立ち上げ当初はほぼ私ひとりしかいなかったので(笑)消防関連の書類申請、演者、スタッフの情報、車両申請や食事の手配を含んだリストのまとめまで、ありとあらゆる面の準備と管理を行なわねばなりませんでした」

そして『進撃の巨人』のイベントでは、10,000人もの観客を収容する横浜アリーナならではの壮絶な作業が待ち受けていたのです。

人の喜びが自分の喜び ポニーキャニオンの“黒子”マインド

▲ライブやイベントが決まったら何度も関係者と打ち合わせる。すべては本番当日、ファン一人ひとりに楽しんでもらうため。

▲ライブやイベントが決まったら何度も関係者と打ち合わせる。すべては本番当日、ファン一人ひとりに楽しんでもらうため。

ライブの企画運営を内製で事業化する。

これが、新規事業推進室のミッションでした。

多様な業務のなかには、ライブのチケット販売も含まれます。

そして、横浜アリーナでのイベントを控えた青柳は、驚愕の事実に気づきました。

10,000席の座席表を自力で何とかしないといけない……。

青柳 「プレイガイドに依頼すれば、そのあたりも対応してくれるんですよ。でも、自前でやる以上、もちろん座席の管理もチケットの発券も自社でやらなければならないわけです。その中で当時、座席番号のデータを持っていない当社は自身でデータを起こすしかない……」

そこから先は、Excelと、根気と、時間との戦いでした。

青柳 「結局、座席データをつくるのに 13時間かかりました。それが長いのか短いのかわかりませんが、とにかく自力でやるしかなかった。何かひとつが欠けても、ライブを成功させられませんから」

その言葉通り、青柳はすべてを自力で乗り切っていきます。

事業化への責任感はもちろん、青柳の心を支えていたのは、現場に集う人たちの存在でした。

青柳 「イベント・コンサート制作は、本番までが一番大変なんです。資料の準備、スケジュールの確認、リハーサル……やること、確認することが山積みですから。でも、それをきっちりできてはじめてライブは成功する。ただ本番中もステージのサポート(イベントならもののダシハケや音効)、場内の空調や終了後の段取りなど何かしら対応しています。とにかく本番が無事に終わるまでは気が抜けません……」

会場には一番に入り、出るのは最後。問題なくきっちりと運営できるよう、全方位への気配りが欠かせません。

まずはお客様が喜んでくれるように。

演者も楽しんで最高のパフォーマンスを発揮し、スタッフも気持ちよく仕事ができるように。

青柳 「無事にライブを終え、誰もが満足の表情を浮かべているのを目にしたときが、最も仕事の喜びを強く感じる瞬間です。 “良い音楽を世に広めたい ”との想いがすべてのはじまり。会場が一体となってエンターテインメントの魅力を楽しむ、その時間を演出できると、がんばって良かったと思えますね」

ライブ会場で、青柳たちは必ず黒いTシャツ、黒いパンツを身につけています。

文字通りの“黒子”として、あくまでも裏方に徹する存在だから。

舞台の華やかさを裏側から支える、どこまでも地道な仕事です。

青柳 「自分よりもお客様、一緒にライブをつくりあげる人たちの喜びがうれしいんですよね。メンバーについてもおなじで、滞りなく仕事をして成長できるサポートに力を尽くしたい」

いつもその目は、かかわるすべての人の喜びを見つめて──。

青柳のそのスタンスには、エンターテインメントを通して人々の喜びを追求するポニーキャニオンのマインドが根づいています。

視座を高く、情熱は忘れない。次なる夢はドームツアーの実現

▲アーティストルーム!デザイン施工には青柳もアイディアを出した。移転前は控室の代わりに各階に散らばる会議室を使わなければならなかった苦労からのアイディアだ。

▲アーティストルーム!デザイン施工には青柳もアイディアを出した。移転前は控室の代わりに各階に散らばる会議室を使わなければならなかった苦労からのアイディアだ。

愚直な歩みで経験を重ねながら、青柳はライブ事業を最前線で率いてきました。

想いの強さは変わらぬものの、今、求められる立場は変わってきたと感じています。

青柳 「自分が現場で動かすだけでなく、同じように動けるメンバーを育てるフェーズかな、と。指導においても、仕事を自分に属人化させない工夫を重視しています。資料作りでも伝票記入でも、誰が見ても理解できる客観性を意識させています。

アーティストの担当は若手に引き継いでいますが、これまで育んできた結びつきも大切ですよ。ときどきライブ本番を見に行って『来てくれたんだ。ありがとう』と声をかけられるとうれしいですし、自分の歩んできた道に確かな手ごたえを実感します」

ライブクリエイティブセクションとしては、その存在価値を社内外に発信し、理解を深めていくことも重要な課題です。

内製でのライブ事業運営はもちろん、現在では外部からの受託やオリジナル企画、コンサート以外の食フェスや神宮外苑花火大会など出資参画による事業も可能に。

まったくのゼロから産声を挙げた新設部署は今や、サービス部門として会社に利益をもたらすだけではなく、純粋に売上を生み出す事業部に発展を遂げたのです。

青柳 「ライブは、音楽も映像作品もアニメも横断的にかかわる事業。社内連携からさまざまな可能性を生み出せる部門だと自負している一方で、単なる “社内の代理店 ”として仕事を受託するだだけでは意味がない。

大切なのは、お互いの想いや強みを理解したうえで、チームとしてプロジェクトを進めていくこと。ポニーキャニオンとしての一体感を持てるのが、我々が社内に提供できる大きな価値ですから」

自分の想いに正直に生きようと始めた音楽の仕事。

そこから部門、そして会社へと、青柳は視座を高めてきました。

しかし、「次なる夢は?」との問いに対し、その答えはやはりエンターテインメント事業に携わる人間の野望に立ち返るのでした。

青柳 「本当にはじめてライブ運営をした場所は、新宿のライブハウスでした。いろいろなアーティストと一緒に横浜アリーナも武道館も経験しましたが、実はドーム公演はやったことがない。いつか必ず叶えたい夢ですね、ドームツアー」

冷静にビジネスを見つめながら、エンターテインメントへの想いは忘れない。

むしろ、胸に秘めた情熱があるからこそ、なすべきことを見失わずに進み続けられるのかもしれません。

これからも青柳が、そしてポニーキャニオンが描き続けていくライブ事業の未来は、限りない可能性とともに輝いているはずです。

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