留学先で学んだ「気遣い」や「思いやり」。理想のリーダー像を追い求めて
高校卒業後、地元高知の菓子店から社会人としての歩みをスタートさせた西村 颯貴。21歳で留学を経験し、その後20社あまりの企業の面接を経てAIGATEへ入社しました。成長を求めて入社したAIGATEで、2020年現在ではチームリーダーを任されるまでに。強い使命感のもと理想のリーダーになるべく日々奮闘しています。【talentbookで読む】
外の世界に興味が湧くほど感じた将来への焦り
西村 「高校を卒業した後、地元・高知のお菓子店に勤めました。正直、強いこだわりがあって入ったわけではないんです。消去法的に、販売なら自分にもできるかなという想いで入りました。箱の梱包や在庫の管理など、店頭での販売に付随する業務をこなしていました」
もともとは、その菓子店でしっかりと長い期間働くつもりでいたと言う西村。しかし、現実はルーティンワークをこなす淡々とした日々でした。そんな中で、大学に行った友人の話を聞いたり、県外で就職した同級生に「ボーナスをもらった」といった話をされたりするたびに、焦りを感じ始めていたそうです。
西村 「周りの友達の話を聞けば聞くほど、『羨ましいな』という気持ちが湧いてきました。私は高校を出てからずっと働き詰めだったので、少し引け目を感じていたのかもしれません。ずっと販売勤務で、資格を習得できたわけでもなく、特別な知識もない。社会的経験も乏しい。何か自分に武器をつくらなくてはと思い、それなら思い切って海外に留学して、語学を身につけてみようと考えたんです 」
留学を決意した後、中途半端に仕事はやめたくないという想いから、3年という期限を決めて働いたと西村は言います。それでも家族には留学を反対されたそうです。
西村 「親や周りの人たちには反対されましたね。『せっかく落ち着いて仕事ができているのに。いずれ戻るとはいえ、仕事を辞めてまで海外に行く必要はあるのか』と強く言われました。親の心配する気持ちもよくわかります。
でもそのときは、『今行かないと、多分もう一生行けない』という心境でした。当時21歳くらいだったんですけど、留学の機会を遅らせると、戻ってきた後仕事につけるのかという心配があったので」
「自分の中に武器を作りたい」。勢いで渡ったカナダで得たもの
かくして21歳で海外に飛び出した西村。ワーキングホリデーの期間も含め約1年半、カナダのトロントとバンクーバーで過ごしました。英語も十分に話せない中、アルバイト先や人間関係でとても苦労したと言います。そんな状況で、下宿先で出会った人たちから思いやりや親切さを深く学ぶことになりました。
西村 「楽しいことも多かったんですが、結構しんどかったです。お金に余裕があったわけではないので、アルバイトもしなければいけませんでした。
ドーナツ屋さんでレジ打ちや掃除といった仕事をしていたんですが、まだ十分に英語を話せない中での仕事はとても大変で。職場の人たちが全員外国人というのもあって、コミュニケーションをとるのに苦労しましたね。そのときは、何もできない自分にすごく落ち込みました」
もともと引っ込み思案という性格もあり、言いたいことがうまく伝えられないというジレンマにも苦しんだと言います。留学先では「自分からアクションをしないと誰も見向きもしてくれない」と学び、自ら積極的にコミュニケーションをとるように努力を重ねていきました。
その後、幸運にも現地のフィリピン人とカナダ人カップルの家に住まわせてもらうことになり、そこで受けた親切がとても印象に残っていると西村は話します。
西村 「現地の人との食事に私も連れて行ってくれるなど、ふたりはいろんな体験を与えてくれました。自分が思っている以上に私のことを気にかけてくれているのが伝わってきて。
私が困っているときはもちろん、それ以外のときも、私が何も言わなくても手助けをしてくれました。これまで地元にいたときは、『自分でなんでもできる』みたいな感覚でいたんです。
でもそんなことは決してありませんでした。だからこそ、細かいところまで察してくれる親切がとても心に沁みましたね。同時に、他人への気遣いや思いやりをあらためて学べました。
すると不思議と現地の環境にも慣れてきて、以前より英語も話せるようになったことから、徐々に自信がついてきたんです」
見返りを求めない援助や先読みした気遣い。そうした現地ホストの姿勢を見て、自らも行動できるようになった西村。カナダで過ごした1年半という貴重な期間にさまざまな経験をしたことで、多くのことを学び帰国しました。
「努力する自信」だけを握りしめ、20社以上の企業から選んだAIGATE
カナダから帰国後、生活資金を稼ぐために地元の大手家具屋でアルバイトをすることにした西村。しかし、一時的に働くだけだった当初の予定を上回り、約1年間働くことになりました。
西村 「とりあえず生活のためにという想いで暫定的にアルバイトを始めました。でも久しぶりに地元にいると居心地が良くて、友達や親がいるという環境に甘えている自分がいたんです。それに気づいて『このままではダメだ』と思い、半年くらい経ったときから徐々に就職活動を始めました」
そこから西村は強いこだわりを持って、就職活動を行っていきました。20社以上の企業を受けたと言います。西村は企業を選ぶにあたって、3つの条件を設けました。
西村 「まずは、これまで心配をかけた親を安心させて、親孝行をしてあげたいと思いました。そのために『安定したお給料をもらえるところ』であるかが重要でした。
あとは、長い目で見たときに社会人としてのスキルや精神的な部分を鍛えられるんじゃないかという想いから、営業職を希望していました。高校を卒業して3年間社会人として働いたんですが、まだまだ何も身についてない感じがあったんです。
加えて、自分自身が責任を負うような仕事をしたことがなかったので、次は責任を感じられるような仕事を求めていました」
いくつもの企業を受ける中で、西村はどのようにAIGATEを選んだのでしょう。
西村 「正直、就職活動をしているときは自分に自信がありませんでした。学歴もなく、飛び抜けた資格や専門的な知識もない。県内外のいろいろな場所で面接を受けたんですが、実際のところ高卒で入らせてもらえるところは多くありませんでした。
そんな中で、自分の求めている条件に合う求人をたまたま見つけたんです。これまでの求人の中で一番目を引いた、それがAIGATEでした。自分自身の経歴やスキルに自信はなかったんですが、それでも“努力する自信“はあったんです。
『何も持っていないから人より頑張らないといけない』という気持ちがあったので。ここなら頑張れるんじゃないかという希望を持って受けました」
地元から遠く離れた東京という場所に、少なからず不安や迷いはあったと西村は言います。しかし、行かずに後悔するくらいなら面接を受けに行ったほうがいいという気持ちで、AIGATEを受けることを決めました。
自立した女性へと変貌を遂げた彼女。リーダーとしてさらなる成長を求める
カナダから帰国して約1年。AIGATEに入社した西村は、地元から離れ自身が求め選び抜いた新たな環境で、社会人としての経験を積んでいきます。
西村 「仕事に関しては、本当に文字通りゼロからのスタートです。初めはすべてが難しくて。考えて、勉強して、反省しての繰り返しでした。最初はメールを打つことさえ、ままなりませんでしたね。
そういう自分に対して、出向先の職場の方が実務的なことを含め、仕事への向き合い方や取り組み方を基本中の基本から丁寧に教えてくださったんです。大変ではあるんですが、私には負けず嫌いなところもあるので、諦めず自発的に取り組みを続けました」
入社当初はすべてが手探りの状態でしたが、カナダでの生活で培ったバイタリティや主体性を生かし学びや努力を続けました。そして業績が認められ、入社後約1年が経つころにはチームリーダーになるまでに成長を遂げました。
西村 「コミュニケーションの部分であったり、自分の立ち位置であったり、今も試行錯誤の最中ではあるのですが、自分の成長を感じ取っています。チームリーダーになったことで、仕事のやり方や考え方も自分ひとりの目線ではなくなり、周囲との関わり合いの中で物事を決めていくことができるようになりました。
なので、入社する前に求めていた『責任を感じる』仕事ができていると感じています。自立することに関しても、クリアできているんじゃないかと思いますね」
求めていた成長を自身で感じ取り、AIGATEでさらなる高みを目指して努力を重ねる西村。
西村 「人生をかけた夢みたいなものがとくにないんですよ。普通に仕事ができて、家庭を持って、健康でいられたらそれがベストなんですよね。なぜならそれが一番難しいんじゃないかと思っているから。
だからそのためにも仕事で自立できていないといけないし、目の前の与えられたことや今足元にあることをしっかり頑張りたいと思っています。それを続けた先にチャンスがあれば、いろんなことに意欲的に挑戦したいです」
生まれ育った地元を離れ、「自分の中に武器をつくりたい」という想いからカナダへと渡った西村。日本から離れた場所で多くの学びを得て、自分の人生を飛躍させることに成功しました。
地元の高知を出たころから変わらない信念と直感力で、AIGATEでも自身のさらなる成長を探し求め、理想の自分への道をまい進し続けるでしょう。
AIGATE株式会社
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