被災から生まれた想い──エンジニアを通して未来を変えていきたい
東日本大震災での体験から、「周りを助けたい」「影響を与えられる人になりたい」という想いを持った早川 康平。法学部へ進学し公務員を目指すも、さまざまな経験を経てエンジニアの道を選びます。転職先のキュービックでも着実に成長をしていく早川、そんな彼が抱えてきた今までとこれからの想いを語ります。【talentbookで読む】
被災の体験から公務員を目指して
僕の原体験は、地元仙台での東日本大震災の被災です。
忘れもしない2011年3月。当時、中学3年生でした。授業中に携帯の警報が鳴り、学校が沿岸部だったこともあってすぐさま屋上に避難しました。その屋上から見たガスタービンの施設が燃えていた景色は、9年経った今でも鮮明に覚えています。津波はギリギリのところで学校にはきませんでしたが、友人の中には身近な人を亡くした人もたくさんいましたし、僕の親戚も震災関連で亡くなりました。
避難生活は一週間ほど続き、その間にいろいろと考えました。親戚を助けられなかった自分、周りの大人たちに助けてもらってばかりの自分。中学生は子どもでありながら、考え方や行動は大人に近づく年頃です。当時、何もできなかった自分に歯がゆさを感じていました。
周りに助けてもらった命で恩返ししたい、災害で困っている人を助けたい。その想いから、国家公務員を目指すため、大学では法学部に進学しました。大学進学後は、地域の市役所でインターンを始めました。
福祉センターでスポーツのイベントを開催したのですが、PRが十分にできておらず集客がうまくいかないことがあったんです。せっかく市民の税金を使って行っているのに……ほかにも大学生ながら、感じる出来事が多々ありました。
現場からも生き生きとした雰囲気を感じることができず、それが結果的に違和感へとつながりましたね。とくに役所は、仕事の構造上、仕方がないのですがリスクを取れません。そのため、学生インターンは裁量などは与えてもらえず、状況を改善することもできませんでした。
市役所でインターンをしていくうちに、もっと大きな価値を発揮したいという考えに変わり始めました。将来に対する考えが変わると同時に、ITに関心を持ち始めていました。世界中どこへでもつながるインターネットならば、「日本だけではなく世界に価値を貢献できる」と思いました。
法学部からエンジニアへ。新卒で入社した大手企業で感じたギャップ
就職活動はエンジニア一本に。日系大手と外資系を受け、最終的には日系のSler大手に新卒で入社しました。入社理由はふたつあり、ひとつは人生で一度大企業を経験したいということ。もうひとつは、新卒のうちにエンジニアとしての知識をインプットしたいと思ったことでした。
入社後の研修期は非常に楽しかったです。3カ月間授業を取り、試験を受けました。研修施設も豪華で授業内容も充実していて。知り合いも増え、非常に刺激的な日々でしたね。まずはスキルの土台を固めるという観点で、入社を決めた僕の選択は間違っていなかったと感じました。
その企業では、世の中のIT業界を引っ張っていこうと専門施設をつくるなどしていたんです。そのため、研修後は期待に胸を膨らませて、配属された部署に行ったのですが……現場は違いました。形式的な作業が多く、自分の想像と大きなギャップを感じてしまったんです。
研修後、僕のチームは金融系のシステムを担当していました。金融系はバグが許されず、リスクを取れないという点から、プログラミング言語は非常に古い言語のままなんです。古い言語を継ぎ足してつくっていくのですが、その過程は老舗の秘伝のタレのようなものをイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれないですね。
このようなシステムをつくる上で、一番の苦労はチームメンバーからの承認を得ることでした。これまでと異なるやり方を承認することに抵抗を持つメンバーも多かったのです。そんな状況にまたしても僕は歯がゆさを感じました。
もちろん、大手ならではの素晴らしい点もありました。しかし、自身の目標として掲げていた「100万人の人生に影響を与える」ことを考えたとき、大規模システムが故の当事者意識の欠如などの課題に直面し、その企業で目標を達成するビジョンが見えませんでした。そんな想いがあって、徐々に転職を考え始めたんです。
成長し自信を重ねた転職前、そしてキュービックと出会う
前職を辞めようかなと、入社2年目ですでに思い始めていましたが、せっかく辞めるならば結果を出してから辞めようと思っていました。ある程度、自分が成長したという証がない限り、自信を持って転職できないと考えていたので。そして、ちょうど2年目の終わりごろに、新人賞に選ばれたんですが、それがかなり自信につながりました。
また、新しい試みを自分なりに行っていました。人と話すのが好きで、ゴルフもクライアントさんと話すために始めましたね。結構貪欲に情報を取りにいっていました。こうして取りに行ったクライアントの声を軸に判断し、これまでとは別の提案ができたことが周りから評価されたこともあって。その評価も自分の自信となりましたね。
そうして自信を重ねていくにつれ、前職を辞める決意も固まっていきました。また業務を通して、開発力をつけたいなとも考え始めました。
マネジメントが中心で開発の経験はあまりなかったので、未経験のエンジニアでも入れる会社がいいなと思っていて。そのときに友人からキュービックの話を聞き、面接を受けたんです。
転職活動をしていると「君って何ができるの?うちでどう還元できるの?」という会社主体の質問が多いんです。それって会社側からしたら当たり前の立ち位置なんですが、キュービックでの面接は違いました。
入社後、最初の上司になる人から「君はこれからどうキャリアを積み重ねていきたいの?それがキュービックで実現できるか一緒に考えよう」と言ってくれて……。それが強烈に印象に残り、ヒトの魅力に惹かれ、「この会社で働きたい」と直感で思いました。
実際にキュービックに入ってみると、良い意味でも悪い意味でもベンチャー感がありませんでした。周りの人や環境は本当にポジティブでいい人ばかりなんですが、ベンチャーならではの競争というかガツガツ感がなくて。そこで自分がいろいろな企画を考えて部全体を盛り上げようと決めました。まずは、朝会でチームで集まる時間があるので、お互いのメンバーの最近あったいいことや新しいことを共有する時間『Good&NEW』を始めました。
今では他のチームもまねしてくれるようになりました。
もちろん中途で入ってきたばかりで、周りからしたらやりたくない人もいたかもしれません。でも、たとえ批判されたとしても、自分が変えたいと思ったことは行動に移したかったんです。社内のチャットツールslackで新しいスタンプつくったり、FAM※の家長に応募してみたり、さまざまなことを行ってきました。
そうしたやりとりの中で、だんだんICTセンターのメンバー同士の距離が近くなっていったようにも感じますし、議論することが多くなりました。これは、心理的安全性が確保された結果だと考えています。コロナ禍で全社リモートワークになりましたが、それでも毎朝Good&Newは続けています。こんな状況だからこそ意識的にコミュニケーションをとらないとだめだと思うんです。
※FAM(ファム):FAMは “Family” の略です。社内メンバーで10人前後から成るコミュニティをつくって「FAM」と呼び、普段の業務ではあまり接する機会のない他チームの人ともコミュニケーションを取り、業務ラインでは解決できない組織課題にアプローチしていこう!というキュービックの制度です。FAMは、部署や年齢や社歴がバラバラになるようにグルーピングされます。
とにかくやってみる。その先に見据えるエンジニアとしての未来
みなさんはエンジニアにどんなイメージをお持ちでしょうか?
指示に対して、完璧な仕事をしている。きっちりやるべきことをやる。
そんな世間のイメージと僕が目指すエンジニアは大きく乖離があります。僕は、エンジニアはむしろ一番コミュニケーション能力が大事な職種ではないかと考えています。相手が本当に何をしたいかを探る力、いわゆるマーケターに必要とされる力と同等、それ以上を身につけなくてはいけないのではないかと思っているんです。
もちろんマーケターが望んだことを100点で返すのがエンジニアだという意見はいまだに根強いのですが、僕自身としては、エンジニアっぽくないと思われることを目指していますね。
DX※時代となった今、キュービック内のICTセンターが持つ印象を変えたいという想いもあります。現在は業務の性質上、受け身がちな印象が強いICTセンター。これからはエンジニアチームの業務についてなど、より「発信力」を強くし、他部署への提案を増やせればと考えていますね。
社外においても同様に発信することで、未来の仲間がキュービックを目指すきっかけになってくれるかもしれないとも思っています。自分自身、働きやすい環境をつくれるようまだまだ変化していきたいと考えています。同じように、変えていこうという想いがある人、推進力がある人と一緒に働きたいです。未来の話を楽しくできる、そんなあなたをお待ちしています。
※DX(デジタルトランスフォーメーション):デジタル技術が浸透し、新たなサービスやビジネスのしくみが生み出され、人々の生活をより良いものへと変革すること。
株式会社キュービック
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