映画『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』が10月16日に公開されるや否や、ツイッター上には「ハンカチ必須」「替えのマスクも準備して」といった投稿が相次いだ。
原作は、2019年のアニメ化を契機に大ヒットを記録した漫画『鬼滅の刃』。映画部分はアニメの続編にあたるが、単行本では2017年発売の7~8巻に当たり、既にシナリオを知りながら観賞した人も多かったはずだ。それなのに、多くのファンが劇場で涙を流している。
原作を3周以上は読んだ筆者も、ご多分に漏れず劇場で号泣してきた一人。劇場版に秘められた、原作とは異なる魅力を探っていきたい。(文:谷本拓也)
「炎の呼吸」の作画に注目!
筆者は、18日に埼玉県内の劇場で鑑賞。この日は、8時から22時前まで20回以上にわたり上映されていた。新型コロナ以前はレイトショーによく行っていたが、シアター内の292席のうち9割以上が埋まっているのを見たのは初めてだ。
座席間隔のない映画館も久しぶり。ぎっしりと席を埋めた観客はみな感染対策のマスクを着用し、劇場ではドリンク以外の販売を取り止めていた。
映画は原作になかったオリジナルのシーンから始まり、いきなり期待を上回ってくる。劇場版アニメは蓋を開けてみると、実質的にはテレビ放送分の総集編だったりすることも多い。だが、今作に関しては振り返りが一切なかった。個人的には好印象だが、裏を返せば、劇場に足を運ぶ前にアニメ1~26話を少なくとも見ておく必要がある。
このほかにも、原作になかったシーンを随所に織り交ぜており、炭治郎、善逸、伊之助から成る通称”かまぼこ隊”のコミカルなやり取りを強調したり、呼吸や血気術などのアクションでは劇場版ならではのダイナミクスを生かしたりする演出が光った。
とりわけ目を見張ったのは、今作の主役とも言える炎柱・煉獄杏寿郎の放つ「炎の呼吸」のアニメーションの美しさだ。制作を手掛けたufotableは『劇場版「空の境界」』『Fate』シリーズなどで作画のクオリティーに定評のあるアニメーション制作会社。アニメ放送時にも、水柱・冨岡義勇が放つ「水の呼吸 拾壱の型 凪」が美しすぎると話題になっていた。
決して揺らがない煉獄杏寿郎の生き様で”心を燃やせ”!
“無限列車編”は、大きく2つのパートに分かれている。前半は、煉獄杏寿郎、かまぼこ隊、禰豆子と下弦の壱・魘夢との対決。後半は、煉獄杏寿郎と上弦の参・猗窩座との対決だ。
前座の魘夢は『鬼滅の刃』では特殊な扱いを受けている。同作の特徴として、ほぼすべてのメインキャラクターは敵味方関係なく、死の直前に幼少期のエピソードに振り返るシーンがある。これが各キャラクターの生い立ちを知るきっかけになっており、同作に登場するキャラクター人気が高い理由の一つにもなっている。
ところが、魘夢の場合は過去には一切触れずにあっさりと炭治郎たちにやられていく。この後、疲弊した5人の前に立ちはだかる猗窩座戦の前座と言われる所以だ。
メインの猗窩座戦では鬼になることを勧める猗窩座に対し、煉獄は断固として拒否して対峙する。傷を負っても”瞬きする間”に完治する鬼の猗窩座に対し、煉獄は戦闘が長期化するにつれて左目が潰れ、肋骨が砕け、内臓には傷がついていく。
原作で結論を知っていた筆者は、その姿を見て「もう鬼になると言ってくれ」とさえ思ってしまった。だが、それでも猗窩座の誘いに耳を貸さずに戦い続けるのが煉獄杏寿郎という男の生き様だろう。そのまま煉獄が幼少期に亡くした母親との記憶にさかのぼり、同作ではお決まりの”死亡フラグ”が立ってしまう。
最期まで「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務」という母親の教えを忠実に守った炎柱・煉獄杏寿郎。死に際の煉獄は猗窩座に対し、
「俺は俺の責務を全うする!!ここにいる者は誰も死なせない!!」
とはっきり宣言し、自身の命と引き換えにこれを達成してしまう。炭治郎たちと初めて出会った柱合会議では、炭治郎と禰豆子の斬首を提案するなど冷酷な印象すらあった煉獄だが、今作で見せたこの正義感の強さこそが多くのファンの心を打った理由と言えるのではなかろうか。
煉獄役の声優は「とてもリアルな感覚がありました」
煉獄杏寿郎の声優を担当した日野聡さんは、インタビューで
「本当に自分が一度死んだんじゃないか?と思うくらい、とてもリアルな感覚がありました」(パンフレット一部抜粋)
と制作時の話を明かしている。他の声優の台詞を受けるうちに感極まり、声が震えてしまう瞬間が何度もあったという。
エンドロールで流れるLiSAさんの主題歌「炎」も、感動に拍車を掛ける一因だろう。
「さよなら ありがとう 声の限り」
「悲しみよりもっと大事な事 去りゆく背中に伝えたくて」
の歌い出しから始まる同曲は、見事なまでに映画の世界観にぴったりと合っていた。エンドロールが終わって劇場が明転するまで誰一人として席を立たなかったのは、多くのファンがLiSAさんの儚くも力強い歌声に聴き入っていたからではないだろうか。
筆者は最後列中央で鑑賞したが、エンドロールが流れている間は、劇場の所々で嗚咽や鼻をすする音が聞こえていた。子どもから大人までの感動を誘う同作、筆者は期間中にもう一度、観に行きたいと思っている。