パチンコに“爆発力”があった時代の光と影 勝ちまくって車を買った人、再起不能なまでに絶望を見た人……
僕は2000年代前半、高卒でパチンコホールグループに就職し、そこで「パチンコ屋で働く以上、お客さんのクレームを100%理解するためにも、自分のお金で打たないとダメだよ」と上司に言われた。
そこで5000円札を手にしてはじめてパチンコをしたところ、音速でお金がなくなってしまった。その5000円、食費から捻出したまさに虎の子で本当に泣きそうになった。
当時はパチンコだと最新台は『新海物語M56』、パチスロは『ゴールドX』が導入されたばっかりで、これは攻略法が発覚してすぐに撤去されたという記憶がある。
この時期のパチンコホールは、割とパチンコが大人しく、パチスロ機種に爆裂機が目立った。もっとも、爆裂機の全盛期は僕がパチンコホールに出入りする数年ほど前だった。それでもあの頃のパチンコホールはまだまだ鉄火場の印象が強かった。大勝ちするか大負けするかの大博打だったのだ。(文:松本ミゾレ)
「パチンコで食えていた時代があった?」 条件付きでYESと答えたい
先日、5ちゃんねるに「パチンコやパチスロを専業にして食えてた時代があったってマジなん?」というスレッドが立った。スレ主は80~90年代にそういったプロが多くいたと聞いたことがあるという。
僕は80年代生まれなので、その当時のことは全然知らない。でも90年代後半ぐらいには、地上波でも芸能人のパチンコ対決番組とかがあった。下手すると今より大勢にあのギャンブルは認知されていたんだろう。遊技人口もたしか00年代の終わりごろまではかなり高くて、1500万人以上はいたと聞いたことがある。
あくまでも、僕が知っているのが00年代の状況なので、一番アツい時期のことはもうちょっと年上の人に聞くべきなんだろうけど、それでもあの時期は割と勝っている人は目にした。
というのも、パチスロだと4号機の時代。ストック機がかなり人気で、一定の条件(たとえば設定変更後128G以内とか)で連荘しまくる機種は人気が高かった。人気もあって導入台数も多かった『キングパルサー』は、朝からとりあえず設定変更狙いで座る人がいたなぁ。
それから初代『ミリオンゴッド』もまだホールによっては設置されていたので、50万ぐらい勝ってる人を見たことも2回ほどある。
今のパチンコ、パチスロもそうだけど、攻め時というか、収支がプラスになりやすいゾーンというのが存在して、機種ごとのそういうタイミングを狙って勝つ人は多かった。僕の先輩は4号機のパチスロで貯金して車を購入していたし、生活費をまるごとパチスロで捻出する人が、僕の勤務先のホールにも毎日来ていた。その人はフィリピン人を数人使って、人海戦術で立ち回っていたなぁ。
タイミングをシビアに見定めて攻めれば、プラス収支になるのは今以上に難しくなかった。
なので80~90年代はさておき、00年代はしっかり勝とうと思えば今よりラクには勝てる時代だったんじゃなかろうか。
僕も巨人ファンの店長のいるホールで、毎日設定5、6の『巨人の星』だけ打って楽しく勝ってたなぁ……。
今はパチンコが本来の“娯楽”に戻ったとも言えるかも
スレッドには、往時のパチンコ、パチスロ事情を知る古参の書き込みも目立つ。多分もう50とか60ぐらいの人の声だろうけど、ちょっと引用したい。
「昔は目押しできれば食えたぞ」
「4号機ハイエナは誰がやっても勝てたやろ」
「来店ポイントで設定6確認ありが打てたりしてたよな」
「不思議な事に当時は何故か働くより儲かった」
このように、まあ過去のことなので楽しかった思い出ばかり並んでる感じではあるけど、それでも今のパチンコホールとは比較にできない程度には夢があった。ただ、夢を見過ぎて借金まみれになる奴も本当に多かった。
パチンコホールのすぐ隣、あるいはほぼ敷地内にサラ金を借りれる自動契約機なんかがあって、頭に血が上ったビギナーがまんまと多額の負債を抱えていた。何度もお金が尽きて、その都度店を出て数分後に5万円握りしめて、目を血走らせて戻ってくる人はどこにでもいた。
なまじ爆発力のあるような台にハマッてしまえば地獄。パチンコ、パチスロのせいで首が回らなくなり、自ら命を絶つ人も多くいた。やっぱり何事も射幸性や過剰さを突き詰めると色んな人が不幸になるのだろう。
今、設置されている機種は昔に比べるとかなりスペックも低いし、負ける以前に大勝ちのビジョンが浮かばないので、自然と自殺するまで打ち込む人も少なくなる。そういう意味では大衆の娯楽としてのパチンコというものに、回帰しつつあるんだろうなぁ。
このまま、ますます出玉性能を控えめにしていって、本当に時間つぶし程度にしかならない遊びに退化していってもいいように感じる側面もある。やっぱり他人事とは言え、大負けぶっこいて落涙してる人なんか見たくないもん。