『Vガンダム』の最終回、カテジナの失明よりも恐ろしいと感じたこと | キャリコネニュース
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『Vガンダム』の最終回、カテジナの失明よりも恐ろしいと感じたこと

カテジナさんはかわいそう?

カテジナさんはかわいそう?

昔、友達とガンダムしりとりをしたことがあった。このとき、相手が「ガンダムヴァサーゴ」と言ったので、僕はとっさに「ゴトラタン」と言いそうになって「ん」がついて負けてしまうことに気付き、慌てて「ゴトラタン……のメガビームキャノン」と答えて負けた。

変に足掻かずにそのままスッキリ負けていればよかった。あるいは「ゴッグ」とか「ゴッゾーラ」でもよかったね。

さて、ゴトラタンと言えば、1993年放送の『機動戦士Vガンダム』で終盤にカテジナ・ルースが搭乗した高性能MSである。最終局面ではカテジナの強烈な個性の爆発を、このMSが活躍することで効果的に演出されており、今も印象深く記憶しているというファンも多いかもしれない。

その割にはゴトラタンの立体物って滅多にない。やっぱりパイロットのカテジナが強く影響しているのだろう(文:松本ミゾレ)

「シャアが付き合ってきた女に多かったタイプ」という声も

先般、5ちゃんねるに「Vガンダム見終わったけどカテジナさん可哀想じゃね」というスレッドが立っていた。スレ主は

「ベスパに潜入捜査するつもりがマリア教に洗脳され、パイロットにさせられて最終的に失明して生存とか。仲間をめちゃくそ失ったウッソも可哀想だけどあのラストの描写されるとカテジナに同情してしまうわ」

と書き込んでいる。さらに「んでなんで失明したん?」とも。

最終回でカテジナは目が見えていない様子で描写されていたのだけど、直接的に失明の原因といったものは描かれていない。そこに疑問があったようだ。

このスレッドには、カテジナというキャラに対して色んな意見が書き込まれている。

「カテジナはちょっと勘違いしちゃって、『クロノクルよりも自分の方が上だ』みたいな気になっちゃって見下しているような感じで描かれてるのが悪印象もたらしてる」
「カテジナって結局何がしたかったの?」
「カテジナはどうみてもそういう母性や包容力ない。むしろ父性を求め、包容(抱擁)してほしい女。シャアが付き合ってきた多くの女(レコアとかナナイとか)に多かったタイプ」

そもそも『Vガン』世界って敵も味方も頼れる、心強い、求心力めいたものを持つ人が少ない作品。カテジナは父にも辟易していたし、リガ・ミリティアも老人ばかりで早々に愛想を尽かしたし、クロノクルのことをも、多分そこまで愛してもいなかったんだろう。というかまだ若いので、愛を貫くような覚悟というか、そこに至るまでの経験も多くなかったはず。

元々カテジナにはエゴと美貌しかなかったが、最後にはエゴが抜け落ちて……

そもそもカテジナは、『Vガン』における準ヒロインのような存在。主人公のウッソ・エヴィンのハートを射止めていた時期もあったし、本人は豪商の娘で苦労知らず。家庭環境には難があったが。

序盤も序盤で故郷はザンスカールに空襲され、なんやかんやあってリガ・ミリティアに接触することになるが、そこで彼女が満足することはなかった。リガ・ミリティアに身を寄せることになった直後に、今度はザンスカール帝国のクロノクル・アシャーと遭遇し、彼に付いていってしまった。

これ以降、彼女は徐々に現実によくいる、”彼氏の立場の高さを自分の立場の高さと混同してる女”、あるいは”彼氏に対してどこか苛立っているような女”みたいな感じになっていく。

カテジナはちょっと勘違いしちゃったんだとする意見があったが、アレは間違ってないと思う。

その上で厄介なのが、若さからくる強烈なエゴと承認欲求が彼女の中に渦巻いていた点だ。個人的には元々カテジナという女性に何らかの強固な主義といったものはないが、代わりに強烈なエゴがあり、それは別に当時17歳だった娘には当たり前に備わっていたものと感じる。

自分は清廉潔白なつもりで他者に勝手に失望したり、見下すといった気持ちを抱かない17歳なんてそうそういないのが現実なんだし。カテジナは、そういう現実にいる、利己的な、当たり前の若者のアイコンみたいな人間かな? と思うところがある。

それが最終回で、失明し、記憶もほとんど欠落しているように見て取れる状態で登場し、もう空襲で廃墟になっている故郷に帰ろうとするカテジナ。作中通して描かれてきた彼女の強烈で最悪なエゴという個性が喪失していたのは、戦死や失明なんかよりも、ずっと恐ろしい結末だ。

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