飲み会が苦痛な人達の悩み「行けば孤立、行かなくても職場で孤立」「気配消して1次会で帰ろう」
他人に嫌われたり、波風を立てるのが苦手で、結果的に誰からも注目されない人というのが世間には数多い。出る杭になりたくないと、万人がそう思うものだから、かえってみんなで出る杭を打つために生きている。それが今の日本の社会だ。
まあ気持ちは分かる。孤立したくはないだろうし、はみ出し者をみんなで成敗するのは気持ちがいいものだし。でも、それにしたってそんな人生で後悔はないんだろうか。思うように生きることの何が恐ろしいのか。みんな何に怯えているんだろうか。(文:松本ミゾレ)
「居ない奴の悪口大会。あーやだやだ」「下戸でコミュ障だから飲み会は死ぬほど嫌」
去年のちょうど今頃の話になるが、2ちゃんねるに「飲み会が苦痛でしかない孤男Part3」というスレが立っていた。「行けば孤立行かなくても職場で孤立」と本文にあるこのスレッドには、タイトルに引き寄せられた連中が押し寄せている。
気付けばもう年の瀬。これから会社の飲み会も増えることだし、飲み会を嫌がっている人たちの声をいくつか引用して紹介していきたい。
「下戸でコミュ障だから飲み会はもう死ぬほど嫌。クソな季節になってきやがった」
「今年、忘年会で約200人の前でアキラ100%のモノマネやらされるわ」
「若い頃は飲み会苦手じゃなかったんだけど、おっさんになってからの飲み会って今までの人生の自慢話とか武勇伝ばかりだよね。つまらんし、自分は自慢できる人生じゃないから行かなくなったな」
「明日は忘年会だ。何も考えずに気配を消してメシ食って1次会で消えよう…」
「日本の飲み会って、基本居ない奴の悪口大会だからな。あーやだやだ」
とこういう具合に絶望に満ちていたり、恨み節だったりと、色んな怨嗟の声が目に付いた。アキラ100%は流石に可哀想だ。素人がこういうのやってウケるはずないし。
ただ、やっぱりこういう飲み会に出たくないんなら、出ないことも大事だと思うよ。「それじゃカドが立つ」とか言う奴もいるだろうけど、そもそも出ても孤立、欠席しても孤立なんだから、出る意味がない。意味がないことにわざわざ会費まで出してノコノコ顔を出すのもバカのやること。出たくないなら出ない。これでいいのだ。
「会社のつまらない飲み会なんかどうでもいい」孤高を貫く猛者も
ところでこのスレッドには、何も嫌々ながら飲み会に参加して意気消沈する人ばかりが集まっていたわけでもない。出たくないから出なかった、という人の声も少なからずある。そういった人たちの書き込みも、せっかくなので紹介したい。
「一度もしゃべったことのないやつが寿退社するのでこんな時期に送別会が開かれる。くっそどうでもいい。また欠席して孤立の道へ進むとするか」
「今度の飲み会、無事お断りしました。参加しても仕方ない。愛想笑い繰り返さないといけないだけ」
「断ればええやん。何回も断ってたら段々誘われなくなって楽」
恐らくこの人たちは職場で孤立しても、「それがなんなの?」と思えるタイプなんだろう。仕事にも適性が人それぞれあるように、人間関係にも絶対に適性の差はある。
孤立しても気にならない鈍感力というのは強みだ。しかしこの強みを有している人はそう多くない。社会人になる前から、金太郎飴よろしくみんながみんな同じことしか言わない面接をして、それから顔色を窺う日々を送るのだからそれも当然だ。気付くとあなたも私も、そんな異常の事態が当たり前の光景だと錯覚をして、そうして定年になるまで過ごす。これぞ負のループ。
不幸の輪に収まって耐えるか。いっそ抜け出して背中越しの陰口に耐えるか。飲み会一つでこれである。全く大人の世界は素晴らしい。