「ゲームで時間を潰せる人が信じられない」に反論殺到 「ゲームのためにゲームやってる」
親が子どもに「ゲームばっかりしていないで勉強しろ」というシーンは珍しくなかったが、今は大人でもゲームを楽しむことが当たり前になった。ここ10年間でゲームが幅広い世代で受け入れられるようになった一方、懐疑的な視線を向ける人もいる。
はてな匿名ダイアリーに11月2日、「ゲームで時間を潰せる奴がちょっと信じられない」というエントリがあった。投稿者は、アニメや漫画などのオタク趣味は理解できるが、値段が高く、プレイ時間がかかり、話題を共有できる範囲が狭く、実生活でもプラスにならないなどの理由から「ゲームをやる人が理解できない」と語った。(文:石川祐介)
「こういう人が『ゴルフを趣味にしろ』って押し付けてくる」
「こういう人が『仕事に必用だからゴルフを趣味にしろ』って押し付けてくるんだろうな」
「時間を潰したり他人と共有するためにやるんじゃない。ゲームのためにゲームをやっているのです。それが趣味というもの」
投稿者の挑発的な主張に、反論のコメントが散見された。このほか、
「趣味で実生活へのフィードバックとか言ってる糞の言葉に価値はない」
「そもそも時間潰しの為に趣味やってるとかが勘違い。他の事をする時間を潰してやるものが趣味だろ」
といった主張も。趣味は何かしらのメリットを得るために取り組むものではない。「ゲームで時間を潰すのではなく、ゲームのために時間を作っている」という考え方が適切だろう。
また、「私は映画やアニメと同じで映像作品としてゲームを楽しんでいます。制作会社やスタッフによって色が有って面白いです」とゲームは映像を楽しんだり、声優の演技を堪能したりなど、投稿者が思うようなただ機械的かつ受動的に楽しむ娯楽ではない。
「どの辺に面白さを感じるのか聞いてみたい」という声も
しかし、投降者の他にも「自分もなんでゲームを続けられるのかは聞いてみたい。非難とか馬鹿にしてるわけではなく、純粋にどのへんに面白さを感じているのか」とゲームの楽しさをなかなか理解できない人はいるようだ。
「ゲーム性とはつまり”課題の克服”なので、それに楽しみを見出す人にとってはゲームは楽しいけど、そうでない人にとっては虚無にしか感じないと思う」
ゲームを楽しめる人は”ゲーム性”を楽しめる人なのか。自分で何かを選択することがない本や映画と違い、選択肢が与えられることで主体的に参加することができる。
さまざまなコメントが寄せられたが、「他人の趣味を理解できないからバカにする奴がちょっと信じられない」という書き込みが象徴するように、投稿者の偏った価値観が多くの人の反感を買ってしまったのだろう。
理解できない他人の言動は日常生活でも度々見かけるが、すぐに反発するのではなく、まずは低姿勢で耳を傾けるようにしたいところだ。