「食べ放題」というと、まっさきに「バイキング」を思い浮かべる人も多いだろう。ホテルのランチ・バイキングやケーキ食べ放題イベントはすっかり定番になっている。これは北欧の「スモーガスボード」にヒントを得て、帝国ホテルが1958年に始めた、というのが通説だ(村上信夫『帝国ホテル厨房物語―私の履歴書』2002年 日本経済新聞社による)。
ただ「食べ放題」は、街場の定食屋なんかにもある。おかず取り放題とか、ごはんおかわり自由のような「大食い」のイメージもある。こちらは、いつから始まったのだろう?
そこで過去の新聞・雑誌記事を調べていくと「食べ放題」が見られるようになるのは、1980年代後半からだった。それまでは「食べ放題」よりも「大盛り」や「チャレンジメニュー」への言及が目立つ。
『週刊プレイボーイ』1982年10月5日号には「<大盛・食べ放題>の店・チャレンジガイド」という記事が掲載されていた。ただ、記事の中身を見ると、実態は「あまりに量が多すぎて事実上、食べ放題に近い」というものだった。
現代でも度を越えた大盛りで話題になる飲食店はあるが、この頃から既にそうした店が心を躍らせる存在だったことが見えてくる。
この記事に掲載されている店舗を拾って見ると、まず世田谷区経堂にあった「笑店」。ここの「チャレンジ・ラーメン」は2リットルのラーメンに5人前750グラムの麺が入っているというもの。20分以内に全部食べたら賞状と1000円を進呈するが、失敗した場合は650円の支払いというものだった。
1980年のラーメン価格の平均は311円(小売物価統計調査)だったので、失敗しても2杯分の価格と考えると、けっこう安い。なお、記事によれば成功率は男性で7%だったという。
同じ記事で紹介されている、飯田橋の「餃子会館・磐梯山」では、餃子1人前5個を男性は70分20人前。女性は50分10人前を完食すれば無料というメニューを実施。こちらは女性のほうが成功者が多く、7割は成功していたとある。
しかし、この『週刊プレイボーイ』の記事、見出しでいちいち「オエーッ<2Lスープ>の責め苦!!」「70分で餃子124個食うって、人間!?」など、食べ物に対する煽りが酷いのだが、当時はこれでも大丈夫だったのか……?
一方、ホテルなどで開かれる「バイキング」がメディアで存在感を見せてくるのは1980年代後半からである。『読売新聞』1987年4月11日付朝刊では、「当世はやるもの 千円でケーキ食べ放題」として池袋のホテル・メトロポリタンが実施しているケーキ食べ放題に20代の若い女性が行列をしていることを報じている。
この時期には、既にホテルのレストランが実施する「バイキング」は増加していたようで『読売新聞』1987年5月13日付夕刊では「ここ数年は、本格的料理だけでなく、主に女性向けにフルーツやサラダ類の食べ放題も登場している」として都内でバイキングを実施しているホテルのレストランの一覧を掲載。
帝国ホテルのほか、新橋第一ホテル、キャピトル東急ホテル、東京ヒルトンインターナショナル、六本木プリンスホテルなど多くのホテルで昼は1000~2000円程度、夜は5000~6000円程度でバイキングを実施していたことがわかる。
大衆化してきた「バイキング」
まったく別世界だった腹を満たす目的の「食べ放題」と、リッチな「バイキング」が次第に距離を近づけていったのは不況の始まった1990年代前半から。『DIME』1993年3月18日号では新宿の一流ホテルのランチバイキングを特集しているが、ここで一番人気として紹介されているのが新宿プリンスホテルのバイキングで1800円だ。
この記事中では、次のような利用者のコメントを紹介。
「定食で1000円。その後、喫茶店でコーヒーに500円払うなら大して変わらない」
ホテルのランチデートで1800円なら「お手軽」なのかもしれないが、それだけ払えばサイゼなら……おっと、誰か来たようだ。ちなみに現在、新宿プリンスホテルのバイキングは現在2700円である。
さて、この高級なイメージの「バイキング」という言葉が、庶民的な店でも使われるようになったのは2010年頃からのもよう。ちょうどこの時期から、注文した料理をテーブルまで運んでくれる「オーダーバイキング」が人気に。この形式は食品ロスを削減できたり、店内に料理を並べるスペースを設けなくていいことなどから、店側にも利点があった。また、この時期から普及したタッチパネル式のメニューも、普及を促進したようだ。
さて、このように、さまざまな進化と変遷を遂げてきた「食べ放題」だが、以前からまったく変わらない最大の弱点は、つい注文しすぎてしまうこと。どれだけ食べ放題が洗練されても、こればっかりは、おそらくなんともなりそうにない。