なんで、こんなにひっそりとオープンしているんだ? かつて全国の大盛りユーザーの間に知られていた国会図書館の食堂。その食堂が、密かに営業を再開していたのである。かつて国会図書館食堂の名物といえば、やたらと大盛りなカレーだったが、現状はどうなっているのか……?(取材・文:昼間たかし)
2020年10月に営業終了していたが……
今回は、国会図書館のカレーを食すべく訪問したのではない。であったのはあくまで偶然だ。4月、別の記事のために資料を探そうと筆者は国会図書館を訪れた。この日の国会図書館はけっこうな混雑、なかなか請求した資料が出て来ないと判断し缶コーヒーでも飲むことにした。
飲食禁止の図書館内で自販機や売店があるのは最上階。ここ数年、そこを利用するたびに暗澹たる想いに打ちひしがれていた。というのも、規格外の重量1.3キロの「国会図書館カレー」で知られた食堂は2020年10月で営業を終了してしまったからだ。
以来、国会図書館で腹が減った時には最上階の売店か昼食時間だけの弁当の販売、あるいは新館にある喫茶店を利用するしかなくなっていた。
つまり、この2年余り、国会図書館の食糧事情は極めて悪かったのである。ところが……である。エレベーターに乗った筆者の目に飛び込んで来たのは、こんな貼り紙
「東京本館6階食堂の営業を再開しました」
なんということだろう。特に入口付近に掲示があるわけでもない。ただエレベーターの中でひっそりと営業再開の告知が行われていたのである。ならば、あのカレーも復活しているのだろうか。胸を躍らせてエレベーターを降りた筆者は食堂へ直行する。
こんなに食べられるか……
そこには、定食、麺類、そしてカレーの写真が燦然と輝いていた。間違いなく食堂は復活していたのである。券売機にもちゃんと「国会図書館カレー」の表示はあった。値段は普通盛り500円、大盛り600円ナリ。大都会東京の中心で、こんな値段でカレーが食べられるなんて、やっぱり公共施設はありがたい。
既に昼下がりの時間で客の姿は少ない。カウンターで大盛りの食券を差し出すとすぐにご飯をカレー皿に盛りだした。大量に盛られる白米、水気の多いルーをサラっとかけた後に、さらにトングで載せられるのはジャガイモのかたまりが2コ。
この時点で嫌な予感がした。
「こんなに食べられるわけがない……」
そう、以前の「国会図書館カレー」は角皿に、とても食い切れない量の白米が盛られた異様な逸品であった。ここは誰もが目的をもってやってきて私語など皆無の静かな図書館である。腹いっぱいに米など詰め込めば、自然に睡魔が襲ってきて作業など進まない。それに、
大量の白米が必要になるほど空腹にはならない。
不安に駆られながら、カレーを受け取り着席する。しばし眺めるカレーは、記憶に残る以前に比べるとサイズは縮小している。しかし、平均的な大盛りに比べたら間違いなしの過剰な盛りだ。とりわけ強烈なのは2コのジャガイモ。肉は欠片がひとつだけ。ほかには具材の見当たらないルーの中でジャガイモだけが光っている。
とにかく食い尽くす勢いでスプーンに手を伸ばす。まず一口……味は表現しがたいものだ。よくいえば、ごく一般的な業務用の味。不味くもないが「美味い!!」と小躍りすることもない平均的な味付けだ。ジャガイモも特段目立つところはない。食堂とはいえ、図書館内なのだから黙々と箸を(スプーンだけど)進めろという思想で調理されているのだろうか。
そんななんの変哲もない味なのに、白米の量だけはとにかく多い。ジャガイモを先に食べて処理したために膨れあがった胃袋が悲鳴をあげる。
しかも、このカレーには恐るべき問題があった。白米に対してルーの量が明らかに少ないのだ。個人差はあるだろうがルーをスプーンにひとすくいしたならば、その勢いでご飯をスプーンで5回は口に押し込まないと間に合わない配分だ。計算を間違えると福神漬けで、白米を流し込むことになってしまう。
そんな食べるというより、皿のものを口に運ぶ作業を繰り返すうちに、次第にノスタルジックな想いにかられてきた。このカレーと白米の配分に「一日に玄米を五合」という宮沢賢治的なものを感じたからである。かつては、少ないおかずで白米を大量に食べていた日本人。過去の文化を未来へ残す役目を担う国会図書館だからこそ、あえて、そんな古い食習慣でなければ食べきれないカレーを出しているのだろうか。
米の宇宙のブラックホールに落ちたような気分で食べきったカレー。下の階に下りると、請求した資料は既に届いていた。その資料を手に閲覧室で、筆者は「もう、喰えない」と一人呟きながら爆睡した。