「ずっとうちはお金がないんだと……」裕福なのにドケチな両親の元に生まれた男性の悲惨
親ガチャによって人生が左右されると考える人は多い。でも親ガチャの当たりとはなんだろうか。たいていの人は「実家が太い=裕福なことを当たり」と考えるだろう。でも、いくら家に財産があっても、親がドケチだったらどうだろうか。都内在住の30代後半の独身男性は「実家は裕福なはずなのに、その恩恵を受けたことが一度もありません」と打ち明ける。いったい、どんな人生を歩んできたのか。(取材・文:広中務)
肉や魚は滅多に買わず、質素すぎる食卓
男性は地方の県庁所在地になっている都市に生まれた。実家の周辺では開発が進み、移住者の多い人気の住宅地になっている。
「祖父は農家をやっていたのですが、早いうちに見切りをつけて土地を売り、所有地にファミリー向けのマンションを建てたりするやり手でした。父親は一人っ子なので財産を受け継ぎ、今は早期退職して不動産管理を仕事にしています」
もともと父親は地元の金融機関に勤務、母親は公務員だった。加えて不動産収入があったので地方にもかかわらず「年収は1000万円を軽く超えていたハズだ」と男性は話す。男性自身も子どもの頃から近所の人たちに「裕福な家の子だ」と言われることはあったという。
「でも、ずっとうちはお金がないんだと思っていました。とにかく、お金を遣わないのです」
男性の記憶に鮮明に残っているのは、毎日の食事の貧しさだ。
「ご飯は電気代が勿体ないからと、毎週月曜日に1週間分を炊いてしまいます。だから週の後半になると黄色く変色して硬くなったものが、茶碗に盛られていたんです。オカズもスーパーで買う食材は最小限です。肉や魚を買うことは滅多にありません。常に味付けの濃い野菜の煮物ばかり。例えば大きなカボチャがあれば、1週間ずっとオカズはカボチャの煮物ばかりとかでした」
それでも月に一度は休日に外食することはあった。ただし行き先はマクドナルドかファミレスである。
「自由に好きなものを注文することはできません。10歳くらいまではお子さまランチを強制されていましたね。それに食べている間ずっと両親は『世の中には食べ物のない人もいるんだ』と説教をするんです。外食はどちらかと言うと苦痛でしたね」
一応、お子さまランチは小学校高学年まで頼める店が多いようだ。とはいえ月に一度しかない外食で、好きなものを食べたかっただろう。また、両親は衣類や日用品などにも常に値段を気にしていた。
「服や靴もスーパー以外で買ってもらったことはありません。あと、小学生のときに学校で鉛筆を紛失したことがあるんですが『なぜ、物を大切にしないんだ』と何時間も説教され殴られたのを覚えています」
家電製品も同様で、テレビも地デジになるまでは、父親が大学時代に購入したという小型テレビがリビングに鎮座していたそうだ。
大学受験前に「なぜこの大学を選んだのか」を1週間プレゼンさせられた
さらに、高校生になってからは感謝を要求される機会が増えたという。
「公立高校なので決して学費は高くないんですが、毎月土下座してお礼を言うように命じられていました。そのたびに学校に通えることがいかに幸せなことかという説教が始まるんです。大学受験のときはもっと厳しくて、1週間近くなぜこの大学を選んだのかをプレゼンして、かつ学費を出してくれるようにお願いし続けました。勉強よりもよっぽど大変でしたよ」
ちなみに、男性の小遣いは中学生のときが月1000円。高校生になってからは3000円だった。当然足りないので、アルバイトを考えた男性だが、そのたびに両親からは「学生の本分は勉強」だと説教され阻止されたという。
そして、男性はなんとか志望校に合格を果たして上京した。学費以外の仕送りは月に3万円。「大学生活の思い出はアルバイトだった」と、男性は話す。
そして、今も実家で暮らす両親は節約の限りを尽くしている。
「父親の場合、つねに下着は2枚だけ。最低でも3カ所は穴があかないと変えようとはしません。エアコン代もケチってほとんど使ってません。冬は着込んでいるだけだからいいけど、夏は熱中症になるんじゃないかと呆れてます。家具も少ない実家は、ミニマリストが憧れる家みたいになってますよ」
そうした生活で貯まった金額はかなりの額になるはずだ。
「貯金額とかを聞くと、不機嫌になって教えてくれないんですよね。おまけに就職してからは仕送りを要求されて、毎月3万円を送っているんです」
財産は十分あるはずなのに、両親がとにかくケチケチした生活を徹底する理由を、男性は今でも不思議がっている。
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