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ギャルゲーが趣味というスレ主の悩みとは?
「趣味が仕事になった」という人は羨ましがられることが多い。機械いじり、造形、外国語などなど仕事に有利に働く可能性のある趣味はいくらでもある。僕は子どもの頃から本を読んだり作文を書いたりするのが好きだった。
なので今、こういう仕事をやれているのはある意味で趣味の延長線なのかもしれない。でも、僕には他に人形集めだのパチンコだのゲームだの、趣味がいくつかある。そしてそのほとんどは、受け身の姿勢で楽しんでいるものばかり。
スポーツやモノづくりを除いて、趣味って大体は能動的に楽しむものじゃない気がする。今回は受動的な趣味の意義について考えてみたい。(文:松本ミゾレ)
「絵を描いたり小説を書いたりすれば?」というアドバイスも寄せられるが……
先日、5ちゃんねるに「受動的な趣味ってなんの生産性もないよな」というスレッドが立った。スレ主は時間を忘れて寝食すら忘れるくらいギャルゲーが好きだという。
が、ふとそのギャルゲーに比肩するぐらい夢中になれる趣味がもっと別にあったら、それが仕事に役立ったかもしれないのに……と思うようになったという。そして、”そうならなかったこと”を悔しいと感じているというのだ。
「なんで?別にいいじゃん、君が好きなギャルゲーやってれば」と僕なんかは思うんだけど、そういうわけにもいかないらしい。趣味に対してただ受動的で、感動や興奮を享受するだけではダメと思ってしまうというのは、なんかえらいシビアだなぁと感じてしまった。
そんな人が普段虚構の恋愛シミュレーションをやってて、ある瞬間までそれに気付かなかったってのもちょっと面白い。僕はギャルゲーはしないからわからないけど、遊ぶ前に「これは全部架空の恋愛だから、虚しいとか思わないようにしよう」って考えないのだろうか。
これに対してスレッドでは「(ギャルゲーを題材にした)絵を描いたり、小説を書いたりしたら?」というアドバイスがあった。あくまでもギャルゲーを起点に有意義で能動的な趣味に格上げさせるための、理想的かつ前向きな意見である。
ただスレ主は既にどちらも試していた。「続かなかったし全然ダメだった」と書き込んでいるので、絵や文の才能が、まだ今の段階では開花していないのかもしれない。まあ、趣味って興味がないと続かないから、こう書いてるってことは”そういうこと”なんだろう。
さらに別のアドバイスでは「釣りでも始めな」というものも。これにスレ主は「やってみたいけど敷居高いんだよな」と二の足を踏んでいる。釣りって全くの未経験者だったら、まず何が必要なのかも分からないし、しょうがないか。
結局このスレ主は、ただ悶々と自分のギャルゲー趣味に対して、良い折り合いも付けられないままスレッドからフェードアウト。ギャルゲーだけってのもアレなので、なんかいい趣味が見つかるといいんだけど……。
趣味に意義や生産性を求めだしたら、いずれ人生にも同じことを求めるんじゃない?
でも、大体にして趣味に意味とか求めるのは悪手なんじゃないだろうか。元々趣味なんて暇な時間を自分の好き勝手に楽しむためのものであって、ホビーは余暇ありきなのだ。ホビーありきの余暇になってしまうのはあまり良くないと感じる。
自分が空いた時間になんとなく好きなことをやる。その程度でも十分趣味は成り立つと思うし、意義とか生産性とか大多数の人は考えてないって。それに、趣味に「これって意味があるんだろうか」って悩んで後ろ向きなことを考えるだけ考えて、「じゃあこうしよう」みたいに前向きに改善できないなら考え損だ。
本来、暇つぶしを楽しく味わうための趣味を「これって意味あるんかな」とか思うようになっちゃ、それこそ自分の生き方や仕事に対しても、思わなくていい懸念を抱いてしまいそう。
「恋人がほしい。でも恋人作って意味ある?」とか「貯金したい。ただ、どうせあの世にはお金は持っていけないし」みたいな思考にも通じそうなんだよね。だって世の中のことの大半は、そもそも最初っから意味なんてないんだから。
趣味がきっかけで身を立てる人はたしかにいるけど、世の中の趣味人がみんなそれで食っていけるはずがない。大多数の趣味持ちはみんな、大なり小なり受け身で楽しんでいる。
そもそも生産性を念頭に入れて趣味に取り組むようになったら、その時点で”趣味を楽しむ目線”は損なわれていると思う。ギャルゲーでもゴルフでも麻雀でも、趣味にそこまで意味を持つことはなし! しょせん趣味は趣味!