コメント欄には、2000を超え、まず「毒親認定わざわざする必要なんてない」と諭す声が上がりましたが、「毒親だと思います」と同情する声も相次ぎました。
「毒親だと思う。お金だけはある毒親」
「お金でなんでも解決できるわけないのにね」
「いくらお金貰えても運動会に親が来なかったりご飯作って貰えないのはキツい……」
放任主義というよりは「無関心」という印象が強いためでしょう、多くの人が「あなたが毒親だと感じるならそうなんだと思うよ」とトピ主を慰めています。
トピ主は返信で、父親は音楽関係の仕事でほとんど不在だったものの、母親は専業主婦だったと明かしてますから、「両親が共働き、自営業でそんなものだった」という批判もあまり当てはまりません。母親は他のことで多忙だったかもしれませんが、子どもの立場では寂しく不満に感じるのも無理はないでしょう。
毒親育ちの人は「お金に恵まれてて羨ましい」という声が出るが……
一方で、もっと酷い親の下で育ったという人からは、「甘え」「お金に恵まれてて羨ましい」という声が多数寄せられています。自身の境遇を振り返りつつ、
「お金があるだけマシ、本当の地獄はそんなレベルではない」
「支配的、過干渉、貧乏、暴力、暴言、ゴミ屋敷を併せ持った毒親がいるので放任でお金だけくれるのって羨ましいなと思ってしまった」
「怒鳴られるわ叩かれるわだし、進学先も制限されたし大学にも行ってない。毒親というには毒がなさすぎる」
と憤りをぶつける人も。投稿者の境遇に同情はしても、「経済的には恵まれていたなら毒親とまでは言えない」という意見は少なくありません。
精神科医の斎藤学氏の著書、『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)では、毒親として訴えの多い親の定義を次の4つとしています。
1、過干渉、統制型の親
2、無視親(ネグレクト)
3、ケダモノのような親(暴力や暴言・性的虐待など)
4、病気の親(周囲の適切な支援と保護が必要な精神障害の親)
同書によれば、毒親と「そうでないと親」との境界線はなく、人の成長過程で自分の親を毒親とみなす”はしかのようなもの”であることも多いとのこと。毒親と呼びたくなるような酷い親は確かに沢山いるが、どんなに酷い親に育てられたとしても、その人の未来には明るい可能性がある、と臨床医の立場から説いています。
トピ主の親が当てはまるとすれば2つめの「無視親」ですが、小学生までは母親が夕食だけは作ってくれたそうなので、最低限必要な世話まで放棄していたわけではないでしょう。どれだけ辛いかは本人にしか分かりませんから他人が下手に軽んじてはいけませんが、トピ主には過去に囚われず、前向きに生きて頂きたいです。