トピック内は、本を読むことは「必要」と考える人から多くのコメントが寄せられた。
「読まない人は熟語とか慣用句とかとにかく言葉を知らないことが多い。私調べだけど」
「少なくともきちんとした出版社から出されてる本は、校閲が入ってるので、正しい日本語で書かれてる。綺麗な日本語の文章を読むことで、たしかな語彙力や読解力を得ることが出来る」
本を読めば語彙が増え、さまざまな知識を得られること、文章力やコミュニケーション能力にも差がでるとする意見が相次いだ。また、「読解力がないとネットで情報収集も出来ない」など、情報があふれるネット社会では余計に読解力が必要という声も。
「国語の勉強したことないけどいつもほぼ満点だったよ」など、読書好きは勉強しなくても国語の成績は良かったという経験談がたびたび出ていた。読解力がないと他の教科の問題文を読み解くこともできないという指摘もある。
このほか働いていて感じたこととして。
「会社で報告書とか稟議書とかの提出物がある人は、読んでいた方がいいよ。確認する側からしてみたら、読書してきた人と全く読んでこなかった人は、読んですぐ分かるくらいの差がある」
などと読書の必要性を説く人も。読書は「娯楽」というより、自分の成長に役立つものとして「しておいたほうがいい、やっておいて損はない」という意見が目立っていた。
「なくても生きてはいける」が……
一方で、読書は「しなくても生きてはいける」というコメントも入っている。
「ただ読むだけでは意味ないと思う。読んで理解して自分の財産にするのは意味がある。でもなくても生きてはいける」
「別に必ずではないよね。他にも情報はいろんなものから得られるんだし」
良書も悪書もあるし、「何でも読めばいいってもんじゃ無い」いうコメントもチラホラ。確かに読まなくても生きてはいけるし、娯楽ならゲームやスマホ動画など映像メディアが発達した現在、読書の旗色はどんどん悪くなるばかりだ。
しかし、依然として読書は必要だと強く訴える教育関係者も多い。明治大学文学部の齋藤孝教授は、自著『読書力』(岩波新書)で、冒頭からこう力説している。「日本ではいつのまにか、本は、『当然読むべき』ものから『別に読まなくてもいい』ものへと変化してしまった。これも時代の変化だ、とおだやかに受け入れてしまう人もいるかもしれないが、私はまったく反対だ。読書はしてもしなくてもいいものではなく、ぜひとも習慣化すべき『技』だと頑固に考えている。」
読書は自己形成の糧となり、コミュニケーション力の基礎となるなど、人間にとって必須なものと説いている。そのため、スポーツで体を鍛えるのと同様、多少無理にでも行うべきものだという。多くの学生を見ていて「読書力さえあればなんとかなる」という齋藤教授は、読書力がついたと言えるのは、完全な娯楽本を除いて「文庫100冊、新書50冊」を読んでからと基準を示してもいる。
おりしも夏休みの読書感想文のため、推薦図書や文庫の名作が書店に平積みされている時期だ。トピ主はもちろん、この機会に少しでも本を手に取る人が増えると良いのだが。