東京「銀座」は、誰もが知っている繁華街だ。東側に「東銀座駅」があるのも、東京の人なら知っているだろう。では、「西銀座駅」となるとどうか? 聞き覚えがないのは当然で、もはや存在しないからである。なぜ「西銀座駅」は消えてしまったのか?(文・昼間たかし)
「西銀座駅」が消えた理由
「西銀座駅」は1957年12月、地下鉄丸ノ内線の駅としてオープンした。駅名の理由は、銀座の中心部から見て西側に位置している、というシンプルなものだった。しかし、この西銀座駅という名称が使われたのは、わずか7年あまりにすぎなかった。
1964年の日比谷線開業に伴い、丸ノ内線の「西銀座駅」は、銀座線の「銀座駅」や日比谷線の駅と地下道で一体化した、現在の「銀座駅」として生まれ変わったからだ。
こうして西銀座駅の名は、あっけなく消えていった。ちなみに、東銀座駅ができたのは1963年2月28日、駅名が統合されたのは1964年8月29日なので、1年半ほどは「東銀座」と「西銀座」の両方の駅名が共存していたことになる。
「西銀座」がメジャーでなくなった理由
さて、「西銀座駅」がなくなった経緯はこれだが、実は「西銀座」という名称がメジャーではなくなったのにも理由がある。きっかけの一つは「そごう」のキャンペーンだった。
戦後、西銀座界隈には闇市が多く出ていて、1957年ごろはまだその名残が色濃く残っていた。そこにオープンしたのが「有楽町そごう」(1957年5月)だ。大阪を本拠地とするそごうにとって、東京への出店は大きな挑戦だった。
そのとき彼らが打ち出したのが「有楽町高級化キャンペーン」で、当時人気絶頂だった歌手、フランク永井に『有楽町で逢いましょう』を歌わせ、同名のテレビ番組や小説、映画とのタイアップを次々と仕掛けていった。こうして、このエリアはすっかり「有楽町」になってしまったのである。
「有楽町」がメジャーになるにつれ、西銀座の存在感は失速していく。1958年には、やはりフランク永井の歌唱で『西銀座駅前』という歌が売り出され、同名の映画も公開された。この歌、サビの部分で「いかすじゃないか西銀座駅前」とまでヨイショをしている。ところが、露骨な二番煎じだったためか、こちらは見る影もなくなってしまった。
とはいえ、今も「西銀座」の名前が使われているケースもある。有楽町駅前には、長蛇の列ができることで有名な宝くじ売り場があるが、その名は「西銀座チャンスセンター」。隣接するモールは堂々と「NISHIGINZA」と名乗り、その経営会社は今も「株式会社西銀座デパート」だ。
ちなみに「東銀座」の方は映画も作られず、大ヒット曲もなく、ブームにもならなかったが、普通に定着したし、駅もそのまま残っている。まあそんなもんだよね。