いい成績を取った子どもに「お金をあげる」 そのご褒美が逆効果になりかねない理由
トラヴィリアン氏は、子どものモチベーションをお金で高めることに否定的です。その理由は「長い人生において、学びは学校だけのものではないから」というもの。
人生を通じて、人は学び続けます。新しい仕事に就くときも、親になるなど新しい役割を得るときも、新しい趣味を始めるときにも。「学びたい」という本質的な欲求がなくなると、これらの学びは難しくなるというのです。
モチベーションには本来備わっている「本質的なもの」と、「外来的なもの」があります。本質的なモチベーションは「その行動自体が楽しいので行う」というもので、外来的なモチベーションは「外部からの報酬がその行動の理由となっている」ものです。
子どものよい点数に金銭的報酬を与えることは、外来的なモチベーションを築くことになります。ここで問題なのは「褒美を与えることがその人の本質的なモチベーションを失わせることにつながる」という最近の研究結果です。
言い換えれば、それによって子どもは学ぶことへの本質的な興味を失うことになります。この仮説に基づけば、よい点数を取った子どもにお金を与えることは、徐々に学びへの興味を失わせることになるのです。
成果や特性ではなく「努力」を評価した方がいい
ほとんどの人は子どもを褒めることで、彼らの自尊心を築いていると信じています。しかしこれも、何を褒めているのかに依るといいます。
子どもに対して「通信簿がオール5ですごいね!」といった成果や、「○○ちゃんは頭がいいね!」といった特性で褒めることには、負の効果があるといいます。それ以降、子どもは自分自身を鼓舞したり、努力したりしようとしなくなることがあるからです。
キャロル・デュエック博士はあるテストの後で、半数の子どもを「頭がいい」と褒め、残りの半数に「よく努力した」という言葉をかける調査をしました。そして次はどのようなテストを受けたいかと聞くと、前者は前と同じテストを希望し、後者は前よりも高いレベルのテストを希望しました。
これは「頭がいい」と言われた子どもたちは、その地位を失いたくないと考えてしまうことを意味します。そして「よく努力した」と言われた子どもたちは、次はもっと努力しようと考えたことを意味します。
報酬を与えることは、成果を評価することです。最高点を取れるほど賢いなら報酬がもらえる。これが繰り返されると、子どもはより容易なものを求めるようになります。簡単なテストでお金を稼げるなら、難しいテストを受ける必要がなくなります。
組織のマネジメントにも応用できる?
同時に、最大限に努力しても最高点を取れない子どもは、お金をもらえないのですから、そのために罰を受けることになります。これでは努力自体が否定されると解釈されても仕方ありません。よい成績にお金を払うより、努力したことを褒めて、内面の動機や作業倫理、学びへの意欲を育む方が、親の目的に則していないでしょうか。
これは組織のマネジメントにも当てはまるかもしれません。いわゆる成果主義を徹底すると、社員の新しい努力や工夫への意欲が削がれてしまうおそれがあるということです。だからといって、経営者が「業績の報酬は金銭ではない」と言い出すと、恐ろしいことになってしまうのですが……。
(参照)Should You Be Paying Your Kids for Good Grades (about.com)
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