イケハヤ氏の「まだ会社で朝礼やってるの?」に完全同意! 無駄な朝礼は簡素化してさっさと業務を始めるべき
かつてイケダ氏が大企業に勤めていた時代、彼は毎日同じ時間に出社し、朝礼は9時に行われていたという。
「非常に素朴な疑問として、毎日みんなで集まって朝礼をする意味って、なくないですか?何? 学校なの? 校長先生の話聞くの? その間に仕事した方がいいんじゃない?」
会社と学校は違うわけだし、僕も学校みたく日々朝礼をする意味は、業種にもよるけど、ほとんどないように思える。さらにイケダ氏は、自分の事務所には現在10人の人材がいるが、朝礼などないどころか、そもそも出社という概念もないとみ語っている。ただ、それでも十分に仕事は回るという。
もちろん、すべての企業に朝礼が不要と考えているわけではない。かつて半導体工場に研修で行った経験のあるイケダ氏は、工場では、全員が集まって仕事をするという業務の性質上、朝礼で出席確認は不可欠だったと語る。そのため、朝礼について「工場労働が主流だった文化の名残なんでしょうね」と自論を述べている。
朝礼が「公開処刑」の場として使われ最悪の空気になることも
ただ、世の中には余りに非効率的でくだらない朝礼が多すぎる。僕が新社会人として初めて入った会社では、馬鹿らしい朝礼に右往左往させられた。
持ち回りで朝礼の司会を担当させられ、ついこの前まで大学生、高校生だった若者がその日の抱負を述べたり、売上目標を達成するための秘訣を考えて発表する時間をあたえられる。売上も何も、まだまだ何も分からないという状況なので、抽象的なことしか言えない。
するとその場にいた上司が「違うだろ!」と檄を飛ばす。しまいには30分ほどかけて会社の人材育成VTRを眺める羽目になったり、もう朝っぱらから笑えない時間を過ごすことがとにかく多かった。
あるとき、そんな朝礼が日課になっている職場に、他の支店から仕事のできる上司がやってきた。この上司が、現場で横行している無駄な朝礼を目の当たりにして「こんな無駄はやめて、さっさと仕事に移ろう」と鶴の一声。
たったこれだけでの言葉で、これまで課せられていた無意味な朝礼はかなり簡素化された。今までアホみたいな朝礼を強いてきた連中の、あのなんとも言えない表情が忘れられない。
無駄に長い朝礼は、時として公開処刑の場としても機能する。大勢のいる前で、1人のやらかしたミスを上司が糾弾して、朝から最悪の空気で業務がスタートする場合もある。そういう光景も結構見てきた。
そうそう。接客業に従事していた時には、クソ長い接客用語を覚えさせられ、暗唱するように求められたこともあった。ただでさえ嫌な朝礼が、より嫌な気分になったものだ。
さて、御社は朝礼の意味を、どこかではき違えたまま、なあなあで何となく続けてはいないだろうか? 業種にもよるが、あんなもんなくなっても誰も困らないんじゃない?
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