「いじめを見て見ぬふり」「かわいい子を贔屓」――「学校の先生あるある」を読んで子どもの頃の嫌な気分を再度味わう
子供の頃、学校が結構好きだった。家が貧乏だったので、小学校で給食を食べることができるのが、最高に嬉しかった。給食万歳。
しかし一方で、今思えば「あれはちょっとどうかと思うな」ということも多かった。特に先生たちの言動に、思うところが多かったのだ。すぐ暴力を振るったり、特定の可愛い女の子だけを大事にしたり。時には陰湿な生徒間のいじめ問題を見てみぬ振りをする場合もあった。(文:松本ミゾレ)
「うちの学校ではいじめの事実はないということにしておきたい」のがミエミエ
先日、ガールズちゃんねるにおいて、「学校の先生あるある」というトピックが立った。このトピックを立てた人物は「いじめを見て見ぬ振りをする」と書いていた。
どこの学校でも、やっぱりそういうものなんだろう。生徒がいじめをしている、あるいはいじめの被害に遭っているという状況に際して、いちいち親身になって止めようという骨のある先生なんてのは、全体を俯瞰してみれば、やっぱり本当にごく少数だ。
明らかにいじめが原因で子どもが自殺しているのに、それを認めない教育委員会なんかを見ると、どこの学校も「うちの学校ではいじめの事実はないということにしておきたい」と考えていることがわかる。おかしな話である。
いじめが存在しない前提で学校を運営しているものだから、いざ本当にいじめが起きてもどうにもできないし、見て見ぬ振りをするだけ。そういう状態なので、いつまで経ってもこの問題が改善されることもない。
「若いころから先生と言われてるので人よりエライと勘違いしてる」
このトピックに寄せられた、「先生あるある」もいくつか紹介していきたい。
「急にヒステリー起こす。地雷ポイントがわかりずらい」
「結局、可愛い人綺麗な人をひいきする。ブスで要領悪い私にはすごく冷たかった」
「世間知らず。謙虚さが乏しい。若いころから先生と言われてるので人よりエライと勘違いしてる」
色々とコメントのバリエーションはあるけど、ポジティブな「あるある」はほとんど目に付かなかった。代わりに寄せられているのは、先生に対しての不満やら恨みつらみがこもっていそうな意見ばかり……。
いい先生も間違いなくいるはずなんだけど、こういうときに表面化しやすいのは、自分の心を傷つけてきた大人たちについての思い出なんだろうか。大人として、その対応はどうなのか?みたいなことは、やっぱり子供ながらに感じる部分はあるもの。そういう強烈な違和感は、いくつになっても拭えないものである。
ところで、こういう話題を取り上げてみると、しばしば「先生だって人間なのだから」という声もでる。批判し過ぎるのも酷だというのだ。
たしかに先生と言えども一人の人間。完璧な対応なんてのもできないだろう。誰だって欠点はある。それはわかっている。しかし生徒だって立派な一人の人間なのだ。その生徒の心に、暗い影を落としてしまう原因を作っているのが先生なのだから、僕はあんまりこういう先生たちを庇う気はない。
ダメな大人を庇っても、改心なんかしないわけだし。