「自分探しの旅」ってただの現実逃避じゃない? それで「本当の自分」が見つかった人はどれほどいるのか
自分探し。このワードってどうしてこうもイライラを誘うのだろう。これを聞くと「自分って探すものなの?」と思ってしまう。自分は自分。すでにある。なのにそれを探すべく、わざわざ自分探しの旅なんかに出かける人も、若い世代には多い。「おいおい旅行だろ(笑)」と思わずにはいられない。(文:松本ミゾレ)
ヤフー知恵袋の「哲学・倫理」カテゴリに、5月中旬、こんな投稿があった。
「よく本当の自分を探すために旅に出るとか、自分を見つめなおすとか言うけど、『本当の自分を見つけました』という人にお目にかかったことはありません。あれって何なのですか」
短いながらも、個人的には「ああ~」とニヤニヤしてしまう。(文:松本ミゾレ)
テンションが上がり、ストレスから解放される旅行中の自分は「普通ではない自分」
質問に寄せられた回答には、「一言で言ってしまえば現実逃避ですな」「(満足できる)自分を探しに行きます、な意味なのかも」と、自分探し旅行の効果に懐疑的な意見があった。
そりゃそうだ。本当の自分って普段の自分のことだろうに、自分探しの旅に出てしまう人って、旅行に何を求めているんだろう。旅行中の自分は、テンションが上がり、ストレスからも解放された状態の、言わば普通ではない自分だ。
そんな状態なのに「これが本当の自分なんだ!」と思っちゃうのって、勘違いなんじゃないだろうか。今はそうかもしれないけど、その心境は日常に溶け込むと滲んで消えるけど大丈夫?と心配になってしまう。
若い人は遠くに行って「出会いに感謝」などハッシュタグ多用しインスタに上げがち
僕は旅行が好きだ。あまり稼いでないけど、年に10回以上は飛行機、新幹線を用いてよそに出向いている。目的はただただ遠出をするのが好きだからであって、景勝地を見るとか、美味いものを食うだとか、そういうのが楽しいと感じているだけに過ぎない。つまり高尚なテーマなどはない。
しかし中には、旅行が特別な行いであるように演出したがる人もいる。特に大学生に毛が生えたぐらいの若い子。すぐに自分探しの旅に出たがる。刺激を外に求めるのは悪いことではないけど、アイデンティティの確立に自分探しの旅が必須であるかのように喧伝する者に出くわすと、胃もたれしそうにはなる。
そのくせ、「自分探し」だの「出会いに感謝」だの、ハッシュタグモリモリでインスタに画像アップしまくりがちだし。
要は軽いのだ。何度も書くけど、本当の自分とは日常の自分のことである。ちょっと遠出して気持ちをリフレッシュした状態の自分というのは、通常の自分ではない。「本当の自分探し」の旅なんかない!