学歴は、人柄を左右するだろうか。はてな匿名ダイアリーに6月中旬、「高学歴の世界に幻想を抱きすぎてた」というエントリがあり、注目を集めた。田舎の低学歴の世界から、旧帝大に入ったという投稿者は「想像していた高学歴の世界とは違うなと思うことが多々ある」と高学歴コミュニティの内側から見た残念さを語った。
投稿者は、残念な点として「誰と誰が付き合ってる、みたいなゴシップで盛り上がる」「競馬や麻雀に金を賭けて盛り上がる」などのほか、
「人を馬鹿にして笑いを取るのは低学歴の文化だと思ってたけど、高学歴でもちょっと浮いてる人をネタにしている人が結構いた。イジメに近いことなんて高学歴の世界では無縁だと思ってた」
と綴る。いわゆる下衆な話題や博打、いじめなどは”低学歴の文化”だと思っていたのに、意外と盛り上がる人が多いと失望していた。(文:okei)
「学歴と知性と品性はそれぞれ別の軸だよ」に同感
このほか、専門分野には優秀だが、「政治や経済について考えを持ってると思ってたけど、総理大臣の名前すら怪しい人もいた」「TPOをわきまえて他人の迷惑にならない行動を心掛けてると思ってた」などとガッカリした点を明かしている。
この投稿にはブックマークが500件近く付き、さまざまなコメントが寄せられた。多かったのが「その大学で常識を意識するなんて」というツッコミだ。投稿者が通う大学は高い偏差値を誇りつつ、常識にとらわれない自由な校風でも知られているため、常識を説くのは初めからおかしいというのだ。
だが、多かったのは、どの大学だろうと学歴と人柄は関係ないという指摘だ。
「学歴と知性と品性はそれぞれ別の軸だよ」
「人間性と学歴を同一俎上にする時点でズレていると思うよ」
などと「人間なんてそんなもの」といった声が相次いだ。また、中には「そりゃ東大出の検事長だって賭け麻雀をやるんだし」と先日辞任した黒川元検事長を引き合いにする人も。「高学歴だから品性がいいなんて幻想」という論調が大多数を占めていたが、筆者もこれに同感だ。
身内の恥をしのんで言えば、筆者の親戚の一人は親族の中でも有名大学卒で比較的高学歴の部類だが、親類のお通夜で酔いつぶれて告別式に出られなくなるわ、職場ではパワハラで厳重注意されるわ、とロクなものではない。確かに、学歴と人柄はイコールではないと思う。
高学歴の方が”残念な人たち”の確率は低い?
そもそも、何をもって人間性が良いなどと決められるのか疑問だが、コメントには「人間性がいい人の確率が高いのは、どちらかといえば高学歴」だという意見もあった。
確かに、投稿者は
「田舎の公立中学や高卒だらけの親戚コミュニティに比べればこういう人間の割合は確かに減った」
とも書いており、「良くも悪くも大事なのはここだろう」と指摘したコメントが賛同を集めていた。
また、低学歴だからといって偏見を持つべきでないと思っていたが、実際にそういう集団に接してみると「想像より遙かに卑劣下劣低劣で唖然とした」という声もある。”教育が人をつくる”という側面は否定できない。
もちろん、学歴がどうだろうと、自ら学び頭脳明晰で人柄の良い人は大勢いる。学歴で人柄を論じようとすること自体が乱暴な話ということは、肝に命じたい。