「学生時代、バカにされてても笑って誤魔化して…」 ぼっちが嫌で周りに合わせてた人たちの思い出 | キャリコネニュース
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「学生時代、バカにされてても笑って誤魔化して…」 ぼっちが嫌で周りに合わせてた人たちの思い出

ぼっちになるのが嫌で周りに合わせていた

ぼっちになるのが嫌で周りに合わせていた

小学校、中学校と僕は本当に友達には恵まれていたので、いつも何人かで遊んでいた。

喧嘩とかいじめもそんなに目にすることはなかった。

高校に入って環境が変わると、僕もできればぼっちにはなりたくないと思って、いろんな同級生と仲良くやろうとは努力した。でも結果的に、今思うと中学までの交友関係ほど良いものは築けなかったし、その経験もあってぼっちになることに対して、あんまり悪いこととは思わなくなった。

話が合わない人たちと一緒にいるって、苦痛だったもの。幸い高校時代は駅伝部に入っていたので、そのおかげで横と縦の繋がりはかろうじて保てたけど、あれがなかったらバキバキのぼっちだったに違いない。

学生時代はぼっちが嫌だったけど、社会人になってから、そういう考えに至った人って僕以外にもきっといるんだろう。(文:松本ミゾレ)

「ぼっちは嫌だ」とは言うものの、無理に周囲と仲良くするのもつらい

先日、ガールズちゃんねるで最新のトレンドをチェックしていると「ぼっちになるのが嫌で周りに合わせていた経験」というトピックを見つけた。トピックを立てた人物の主張を、以下に簡単に説明する。

ぼっちになるのが嫌で、小学生と高校生の頃に、嫌なことをされても我慢したり、グループからバカにされてるのを悟っても笑って誤魔化していたという。そうやって周りに合わせて、孤立を防いできたというわけだ。

しかし今にして「もっと早くそんなグループから抜けていたら、もっといい出会いがあったのかな?」と思うのだという。もちろん、「学生時代のぼっちは辛いから、あれで良かった」という思いもあるそうだ。

まあなんと言うか、クラスのメインを張れるような人気者以外は、みんな多かれ少なかれこんな気持ちを抱いて学生生活を歩んできたもんだよね。学校の中って教師と生徒っていう絶対の関係性以外に、生徒間のヒエラルキーも厳然と存在しているし。

そしてぼっちはその中でも最下層扱いされがち。「最下層は嫌だ」という思いが、たとえグループの中での扱いが悪くても、ぼっちに転落しないように、どうにか食い下がる要因になっていたんだろう。

「無理やりグループにしがみ付いても自分は余り物って気付いてとても虚しくなった」

もちろんこのトピックには、ぼっちになりたくないがために、かつて必死に周りに合わせていたという経験を持つ人たちの書き込みもある。

「学生の頃にあった。でも病気してから一人になることや悪口言われることがどうでもよくなった。死ぬことと向き合うことに比べたらどうでもいいなと思えた」
「高校の時合わせてたよ。自分が変わり者で合う人がなかなかいないのも一緒。グループのほとんどの人が嫌いだったけどぼっちになるよりはましだった」
「無理やりグループにしがみ付いても自分は余り物って気付いてとても虚しくなった。だってもともと私はグループにいらないわけだからバカバカしくなったわ」

女性が多い掲示板なので女性目線の話が多いけど、まあ男性も似たような感じだったよね。

「どう見てもお前三軍だろ?」って奴が無理やり一軍に入って、全然馴染んでないのに髪型とか服装とかもそっちに寄せちゃってね。ああいう痛々しい努力、見るにはしのびなかった。

そんでその三軍の奴がいないとき、普通に一軍グループの誰ともなしに「つうかアイツ何なん? ウザいわ」って言い出して、それからハブられてね。元々三軍レベルの奴なのに、同じ三軍扱いの同級生や、二軍をちょっと見下してたから、もうそうなったら卒業までぼっち確定だ。あれは当人にしてみると、針のむしろのような学生生活だったろうなぁ……。

まあ何にせよ、学校生活って狭い世界で似たような面々と何年も一緒に暮らすようなものだから、ぼっちを恐れるのはしょうがない。でも、大人になってみると「なんかバカみたいだったなぁ」って思っちゃうよね。バカにされながらも惨めな思いをひた隠しにして笑って付き従うなんて、奴隷だもの。

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