ゲームを通して得られたことは? 「慎重さが身についた」「地理に詳しくなった」などの声
いきなり愚痴を失礼。間もなくフロム・ソフトウェアの新作ゲーム『ELDEN RING』が発売となる。ここに至るまでに、是非ともプレステ5を購入したかったのに、未だに購入のチャンスもない。抽選販売は漏れちゃうし、店頭に出向いて現物を見れた試しもない。
転売屋は未だに出し惜しみしている様子だし、本当に馬鹿馬鹿しい。買いたいハードが欲しい層に行き渡らないこの馬鹿らしさ。
仕方ない、こうなったらプレステ4対応のやつを買って我慢しようかなという気持ちにもなってしまってる。でも、できれば最高の環境でプレイしたいというのがゲーム好きの性。いい環境で遊べばそれだけ没頭できるし、集中してやり込むことにも通じる。
そして集中してゲームをプレイすると、ときに意外なメリットに繋がることも。今日はそんな前向きな話をしたい。(文:松本ミゾレ)
昔は攻略情報もなしに必死にプレイしてたよね
先日、ガールズちゃんねるに「【あえて】ゲームで得たメリットを語りましょう!」なるトピックが立っていた。トピ主がメリットというのが「推理や謎解き要素が好きなので、ゲームでそういうジャンルをよく遊んでました。おかげで頭の回転が早くなったと思います」というもの。
謎解きゲームをしている間違いなく発想が柔軟にはなるので、それも十分メリットと言えるだろう。最近は攻略サイトも林立しているので謎解き要素やパズル系のミニゲームなんかも即座に答え合わせができてしまう。
でも、まだ攻略サイトなんかの数も乏しく、検索上位にも出ず、そもそもネット環境が一般に普及する以前には答えを知ろうにもなかなか難しいところがあった。だから泣きながら試行錯誤するゲーマーも結構いたと思うんだけど、アレって無駄ではなかったはず。
苦悩の末に導き出した答えが見事問題を解決すると、とんでもない幸福感を得ることはできたし、あの経験をするためにお金を払ってソフトを購入したと考えても言いすぎではないはず。かつは、それぐらいの成功体験をゲームから得たことがある人も多かっただろう。
もちろん今でもそういう人はいる。難しい謎解き要素にぶち当たっても、意地でも攻略サイトを頼らず、ゲームをしていない間でも「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤する人。スマホはあるけど絶対ネタバレを見ないでやるというあの根性が素晴らしい。そんな人って本当にゲームを心から楽しんでいるなぁと感じられるところだ。
「『マインクラフト』。コマンド入力で子供が英語を覚えた!」
で、今回のトピックには書き込みが多数寄せられていた。その中には、単にストレスを発散するためのツールとしてではなく、遊んだことで知識が増えたとする書き込みも多い。
「そりゃあれでしょ。『桃太郎電鉄』シリーズ。このおかげでそれぞれの土地の特産品とか距離とかわかった。地理のセンター試験にも役に立った」
「『マインクラフト』。コマンド入力で子供が英語を覚えた!」
「『信長の野望』もテストに役立つと言われていたね」
「RPGで東西南北の向きを覚えた」
「『どうぶつの森』やってたら虫と魚の名前をたくさん覚えた」
このように、主にゲームをやったことで現実世界でも役立つ知識が増えたことをメリットに挙げる人が結構多かった。たしかにゲームを子供の頃からやってると、その段階ではまだ学校で習っていない情報を目の当たりにすることは経験として僕も結構あった。
漢字は『新SD戦国伝 大将軍列伝』でかなり覚えたし、歴史は『信長の野望』をやったことで大まかな流れが授業でもすぐに頭に入った。惜しむらくは算数が弱かったので、もっとそっち方面を補填するようなゲームも身の回りにあったらなぁ……というところだけど、遊んでて勝手に知識が増えるのは本当に儲けもの。
知識が増えて嬉しいとする書き込みは、上記のように複数人から寄せられていた。今のゲームなんて、英語圏のソフトがローカライズして日本でも遊べるようになってるし、steamでダウンロードしたローカライズされてないものも遊ぶことはできる。と、考えると、現代の子供たちのほうが、より吸収できるものが多いゲームに接するチャンスがありそうだ。
ちなみに、知識が身につく以外のメリットとして「こまめなセーブのおかげで慎重になりました」という書き込みもあった。これは本当に実生活でも役に立っているって人は多いのではないだろうか。
ゲームをやってると理不尽な攻撃をくらってゲームオーバーになったり、母親が掃除機をぶつけて電源が落ちたり、猫リセットを食らうこともなんてのもある。そういうときに備えて、万全のセーブを済ませておくというのは、現実の世界で言うところの施錠の確認、パソコンのセキュリティツールの導入、各種保険の加入なんかにも通じるはず。
ゲームでうっかり全滅して、かなり以前の状態からやり直しを食らった経験があるかないかでは、こういう意識的な部分でも違いが大きいのではないだろうか。