「映画は一人で観に行くもの」という人々の声「友達の咀嚼音がすごかった」「感想とか言い合いたくない」
半年に1回ぐらい、映画館に行く。自宅から最寄りの劇場まで100キロぐらい離れていると、頻度的にはこんな程度である。
それでも観たい映画はなるべくネタバレを踏む前に観ておきたいところで、観賞したい作品は公開直後にさっさと観てしまう。そうすると必然、誰かと一緒に劇場に行くというよりも、1人で映画館に向かうことの方が多くなる。
やっぱり友達と予定をすり合わせる時間が既にもったいない。そうこうしてる間にSNSでは無思慮なネタバレが投下されることも普通にあり得る話だし。そして「映画は1人で観る派」の人たちは、僕以外にも結構いるようだ。(文:松本ミゾレ)
映画って、1人でささっと観るものだよね
先日、ガールズちゃんねるに「映画は1人派な人~」というトピックが立っていた。このトピックを立てた人物も当然1人派。座席は一番後ろの真ん中を選んで、1人でスクリーンに注目するようだ。
まずは、1人で映画を観る派の人たちの書き込みをさらっと引用させていただきたい。
「好きで観に行く映画は1人で集中して観るから人と話してる場合ではない。ノールックでドリンクホルダーからドリンク取って飲んでノールックで戻すぐらいスクリーン以外見ない」
「誰かと行って見終わって感想言い合うのがなんか嫌。良かった映画はエンドロール見ながら余韻に浸りたいし。感想言い合うと何となくしらける」
「私も。あんまり感想とか言い合いたくない」
「一人がいい。帰りにお茶飲みながら感想とか言いあいたくない。自分の中で溜めてじっくり消化したい」
と、こんな感じである。観賞後、連れと映画の感想発表会をしたくないという意見がやたら多かった(笑) まあ、分かります。
俺もね、概ね同じ意見なんですよね。やっぱり映画を誰かと観ることにデメリットを感じてしまうと、「次からもうずっと1人でいいわ」になってしまうよね。1人が好きで純粋に映画を観る時も1人って人ももちろんいるだろうけど、僕の場合は「結局、映画は1人で観る方がストレスが少ない」ということが、これまでの経験から確立されているのだ。
ここが嫌だよ、誰かと一緒の映画鑑賞!
僕はこれまで、やれ彼女だ、やれ友人だと、誰かと連れ合って劇場に足を運んだことがある。だけどその都度、うっすらと「1人で来れば良かったわ」と後悔していた。
引用の意見にもあったけど、誰かと映画を観るとその後、大抵は喫茶店とか飲み屋とかで感想を言い合うような空気になってしまう。これはもうしょうがない流れなのかもしれないけど、僕もアレがすこぶる嫌なのだ。
特に、映画通の友達とは絶対もう二度と御免である。こっちが余韻に浸っていたり、「これは俺しか気づかない小ネタだったかもな」みたいなことを思っているのに、ただの感想みたいなものをさも考察ぶって披露されたことがあって苦手に感じてしまうということも過去にあった。
正直、見終わったばかりの映画をちゃんとまだ咀嚼してないうちから考察するのって、時期尚早だと思うんだよね。一旦持ち帰って、風呂場でああでもないこうでもないと、作品のアレコレを1人で思案する方が僕は好きかな。
感想も考察もチラシの裏に書けばいいし(まあ僕の場合、その感想をここで大発表することもあるけれど)。
あと、一度彼女と映画を観に行ったとき、もうめちゃくちゃ彼女が寝ててそれが凄い嫌だった。そういう経験しちゃうと「お金払って椅子に座って寝るだけなら、家にいれば良かったじゃん」と思ってしまうわけで。同行者がちゃんと映画に向き合えていないのを察知してしまうのも、本当にこれはストレスになる。そしてまたそんなことに気付く時点で、こっちも映画に集中できなくなっちゃってるわけだし。
当該トピックにも、同行者のせいで映画に集中できなかった人の書き込みがあるんで、ちょっとこれもついでに紹介したい。
「友達と行ったら、ずーっとナゲット食べてて咀嚼音すごくて。『食べる?』『いる?』って何度断ってもナゲット勧めて来て、『え、今何でみんな笑ったの?』とかとにかくずーっと話しかけてきて、それがトラウマになってそれ以来ずっと一人で行くようになった」
これ最悪でしょ。何なら僕は映画館でポップコーンとか買って食ってる奴のことも少し苦手なので、こんなことされたら観賞後は普通に縁切りしてしまうかもしれない。ところがたとえ小声であっても私語は迷惑ってのを分かってない人。結構いるよね。
面白いシーンがあって笑いが出るのはいいけれど、そうじゃないシーンで普通に喋ってる奴とか何考えてるんだろう。何も考えてないか。あとスマホいじる奴。気が散るのでやめてください。
……と、同行者云々でなく、もはや同じ劇場に入ってきた他の観賞者の動きにいちいち敏感になってしまう感じで神経質な人間の小言がさく裂してしまった。反省。でも、映画館では映画に集中してほしい、というのが一人のユーザーとしての願いである。