社員の集中を「職場の暗さ」と勘違いしていないか? 上司は部下の「フロー状態」を邪魔してはいけない
職場に「明るさ」を求める人は多いです。しかし、よく見ると経営者や管理職が、若手社員に対して一方的にそれを求めているケースが多いように思います。そういう私もつい先日、自分の会社で、こんなおっさんくさいことを言ってしまいました。
「全社ミーティングのとき、そこはかとなく暗いから、もうちょっとみんな元気出していきましょう。特に新人諸君!」
なぜそんなことを言ったのか。自分の心に尋ねてみると「社員が明るくしていないと、なんだか不安」ということでした。(文:人材研究所代表・曽和利光)
心理学者が提唱する「フロー」とは何か
経営者や管理者というものは、単純に社員の皆さんがうつむいて無表情でいると、
「何か不満があるのではないか」
「辞めたいと思っているのでは」
「ストレスが溜まっているのでは」
と思ってしまうのです。このような上司の気持ちは痛いほど分かるのですが、さて、当の社員の皆さんはどう思っているのでしょうか。
これを解き明かすためには、心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱する「フロー」という概念が役立つかもしれません。フローは自分自身の心理的エネルギーが、今取り組んでいる対象へと注がれている「没入状態」を表します。この状態になるには、
「能力にあった難易度の仕事」
「対象をコントロールできている感覚」
「やったことに対する直接的な反応」
「集中できる環境」
などの条件があり、これらの要素が満たされると、自分の心理的エネルギーがよどみなく連続して、100%その対象に注ぎ込まれるようになり、大変な集中力と楽しい感覚が生み出され、結果、自分の能力が最大発揮され、仕事のパフォーマンスが上がったり、成長につながったりするというわけです。
職場は「暗いまま」でいい場合もある?
さて、この「フロー」状態になっている人は、外からどう見えるでしょうか。顔の作りや表情にもよるかもしれませんが、周囲と交信をシャットダウンしているわけですから、もしかすると明るくは見えず、むしろ暗く見えてしまうかもしれません。
逆に、そういう「フロー」に入っている人から見ると、そこはかとなく不安な上司が「元気でやっとるか!?」と肩ポン攻撃をしてくるのは、いくら動機は善であっても(部下を心配してくれているのですから)、集中を邪魔されることにもなります。
心の中では「いやいや、元気ですから、楽しんでいますから、ご心配なく」とでも言いたくなることでしょう。そういう上司は、せっかくの社員の没頭状態を邪魔して、職場の生産性を妨害して回っていることにもなりかねません。
こんな場合は、むしろ「暗いまま」でいいのです。職場がシーンとしていても各人の頭の中では興奮が渦巻いていて、仕事上の成果がまさに生まれているかもしれないのです。
一方で、もちろんダメな暗さもあると思います。その特徴はフローの反対で、一つのことに集中しているわけでもなく、トイレに行ったりコーヒーを飲んだり、暇を持て余したりしているようであるにもかかわらず、周囲の仲間にだけは関心を持たずに、何も話しかけることはなく傍若無人な感じでいるということです。
単なる「没交渉」との違いを見極める
そういう人々の雰囲気から作られる暗さは、職場の生産性が下がっている証拠といえます。マザー・テレサが「愛の反対は、憎しみではなく無関心」というように、相互に「相手は自分に関心がない」と思いあっている職場では、徐々に乾いた空気が蔓延する愛のない職場になるかもしれません。
愛というのが大げさであれば、「愛着」とか「ケアの心」と言い換えてもいいですが、それは職場のエネルギーですし、従業員のセーフティネットです。そういうもののない職場では、一部の「会社はお金を稼ぐところで、人間関係など結びたくない」と思っているような人以外は、居心地の悪い場所になってしまうことでしょう。ある程度の雑談による賑やかさ、明るさは、関心の証拠だと思います。
職場の長である上司の皆さんは、その職場の「シーン」という暗さが、実は頭の中は熱狂しているフロー的なものなのか、他者への無関心による没交渉、没コミュニケーションによるものなのかを見抜かねばなりません。
前者であれば、できるだけ邪魔をせずに放っておいてあげることが得策ですが、後者であれば、部下がお互いに関心を持てるような施策をどこかで打たねばなりません。
よく「知るは愛に通ずる」と言いますが、社員同士が自己開示をしあって、よく知り合うようになれば、関心の良循環が起こることによって、愛情深い職場が生まれていくと思います。これを見抜かなければ、上司の皆さんのせっかくの善な動機も、結果は悪というもったいないことになってしまいます。
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