「なんで間違ったの?と聞くのはできない子にとって死刑宣告」塾講師バイトの経験談に称賛
公立学校の先生は忙しく、個別に落ちこぼれをフォローしている時間はほぼありません。一方、国の干渉を受けない学習塾は、塾ごとに方針がまったく違います。
先日、中学1年生の娘さんを持つ知人から、こんな話を聞きました。その娘さんは、ある個人経営の塾に通い始めて半月、「お願いだから塾をやめさせて」と泣きながらお母さんに訴えました。先生に分からないところを聞くと、「なんで分かんないの?教えたよね」と言われ、自分でもう一度考えて来るようにと突き放されます。その繰り返しが続き、
「もう行きたくない。自分がバカだって言われている気がする」
と号泣したそうです。やむなく塾を変えたところ、積極的に通うようになったと言いますから、子どもは指導者によって大きく変わるものだと改めて考えさせられます。(文:篠原みつき)
アホの子たちは「勉強以前に取り払ってやらなくてはダメなことがある」
3月17日のはてな匿名ダイアリーにも、学ぶところの大きい話がありました。「アホの子教えるのは楽しかった」というタイトルで、個人指導塾のバイト講師をしていた経験を語るものです。
アホの子というと語弊がありますが、中学生なのに落ち着いて話が聞けない、aとbとdの区別がつかない、偏差値が27くらいの子たちだそうです。そんな子たちでも「偏差値50超くらいの普通レベルの高校に進学させるのは、学生バイトでも簡単だった」と振り返っています。
そういう子たちは、「勉強以前に取り払ってやらなくてはダメなことがある」そうです。彼らは「勉強=キライ、怒られる、自分が惨めになるだけ」といった思い込みで、無気力状態になることが多いとのこと。投稿者は、大人がやってしまいがちな過ちをあぶり出します。
「なんで間違ったの?と聞くのは子供たちにとっては死刑宣告に聞こえるようだった。この人も結局私を救ってくれる人ではない、と思われ閉じられてしまう」
そこでまずは、「間違ってくれないと先生が困る」「間違ったところを先生が探せないから」と説明し、問い詰めるのではなく「一緒に探していこー!」というスタンスで接したそうです。すると、言い方は悪いですが「アホの子から普通に」なったといいます。
子どもたちに必要だったのは「安心感」や「信頼関係」
できない子は、こちらが想像もつかないような繊細なところでつまずいていることが多く、abdの区別がつかないのは、単純に形が似ていたから。それに気づかせると普通に単語を覚えられるようになり、英語の成績が上がると他の教科もできるように。伸びていく子どもを見るのは、投稿者自身の楽しさにもつながりました。
また、そういう子は貧困家庭や片親、離婚再婚で家に居づらいなど、「家庭環境があまり良くない傾向は確かにあった」とのこと。劣等感と無力感で生きてきた子が、”アホから普通に”なり、将来を考えられるようになった、その「インパクトは大きい」と投稿者は語ります。当時教えた子が進学し現在は立派に働いていると聞くと、喜びもひとしおのようです。
この投稿にブックマークは2000以上つき、称賛を集めました。
「子供の気持ちに寄り添える増田(投稿者)は素晴らしい先生だよ」
「この人は他人が思考停止する所から踏み込んで原因を考えられるし、当事者の立場に立って考える事もできてる。なかなかできる事じゃないと思う」
まさに個別指導の賜物のような話ですが、これは「個別指導塾」だからできたことではないと思います。できない子を否定せず、一緒にやろうという姿勢を見せ、その子の目線で具体的に教えられたことが功を奏したのでしょう。子どもが成長する為には、「安心感」や「信頼関係」が不可欠なのだと、再び実感するエピソードでした。