児童虐待、どう防ぐ?「家出も一つの方法。立派な自主避難」 今一生さんが筑波で講演
ライターの今一生(こんいっしょう)さんが5月12日、児童虐待防止をテーマに講演を行った。場所は、筑波大学の近くにあるコワーキングスペース「Tsukuba Place Lab」。筑波大学2年生の山口和紀さんが児童虐待の現状に向き合おうと講演会を企画した。
今さんは「核家族が一般的になり、共働きの親が孤立している。2人とも正社員で働きながら子育てをすれば、ストレスを抱え、虐待の危険性が増す。子育ての責任をシェアできれば」と話した。
「共働きの夫婦の子育ては大変。親が孤立してストレスを抱え込むことも虐待につながる」
児童相談所における児童虐待の相談対応件数は1990年の1101件から増加を続け、2012年には6万6701件に上った。虐待によって亡くなった子どもの数も高止まりしており、2011年度には99人だった。
虐待の実態は、今さんが昨年10月に刊行した『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』に詳しい。同書には、虐待を受けて育った100人が書いた親への手紙が収録されている。例えば、ある女性(33)は父親から暴力を振るわれて育ったという。
「幼稚園に上がる前の私の頭や体をサッカーボールのように蹴り、柱で後頭部を強打することもありました。恐れて何もしないと、どなられ、何かしたら『そうじゃない』と殴られる」
実父や義理の父から性暴力を受けた、ネグレクトをされていたという人もいる。
「お父さんへ。私の体を洗っていたよね。小5で生理が始まって本格的に触られることに違和感を覚え、『自分で……』と申し出たけど、お母さんも『家族でしょ』とくり返すから、この習慣は二十歳まで続いた。おじいちゃんから膣に指を入れられたり、下半身を触られたことを言えずにいる。すごく痛かった」(29歳、女性)
「お母様へ。飯がない。あっても期限切れ。機嫌と隙を見て自炊しようとすりゃあ怒られ、アンタだけおいしそうな物を食い溜め。子どもが食うのは絶対だめ」(28歳、男性)
今さんは、こうした虐待の背景には、核家族化や家父長制的な家族文化があると指摘する。
「高度経済成長以降、3世代同居の世帯に代わって、核家族が増えました。男性が一家の大黒柱として稼いでいる家庭も多く、『養っているんだから俺に従え』という家父長制をひきずったマインドを持っている男性も少なくありませんでした。また、子どもは生みの親が育てるべきだという考え方もこの頃生まれました。低成長期に入ってからは共働き世帯が増えましたが、共働きの夫婦2人で子どもを育てるのは大変です。3世代同居の時は祖父母に子育てを頼むことができましたが、それができない。親が孤立してストレスを抱え込み、虐待につながっています」
そのため、今後の社会の取り組みとしては、「親権のシェア」が重要になってくるという。
「正社員の親2人が働きながら子育てをするなんて疲れるに決まっています。(両親以外の)3人目、4人目の親が子育ての負担を分有すればいい。しかもこの血縁のない『親』は子どもが選べるようにすればいいのです」
子育てを地域のコミュニティで共有する動きはすでに始まっている。その成功例の1つが「As Mama(アズママ)」だ。会員登録した親同士で、子どもが急に熱を出した時の送迎やベビーシッターを頼むことができるという。
だが、社会の仕組みを変えるのには時間がかかる。今まさに虐待を受けている子ども本人にとっては“家出”も一つの選択肢だと今さんは語る。
「家出は危ないというイメージがありますが、家出をして犯罪に巻き込まれる確率はそれほど高くありません。家で暴力を振るわれたり、レイプされたりしているのであれば、自宅に残っていた方が危ないと思いませんか? 家出は立派な自主避難です」
そうした思いから、家出の方法をまとめた『完全家出マニュアル』を1999年に出版した。現在は絶版になっているが、内容を刷新した「21世紀版」をnoteで順次公開する予定だ。
「転校して児童養護施設に入るか、大学進学を諦めて家を出るかだった」
講演会には、筑波大学の大学生を中心に約30人が参加した。中には、自身も虐待されていたという男子学生もいた。男性は、高校2年生の時に友人の家に泊まりに行き、自分の家庭がおかしいことに気づいたという。「これ以上、自宅で我慢するのは無理だ」と感じたが、そう簡単に家を出られるわけではない。
「選択肢はかなり限られていました。児童養護施設は通学していた学校から離れたところにしかなく、転校しなければ入所できません。高校を中退して働けば、家を出ることはできますが、大学進学はかなり難しくなります。残された道は、親に生活費を出してもらい、一人暮らしすることでした」
男性は一人暮らしを実現すべく、教員や友人たちを巻き込んで親の説得にあたった。幸い、一人暮らしを実現することができたが、そうでなければ絶望の余り自死を選んでいた可能性もあったという。「虐待を受けている子どもには、親から逃げる場所が必要です」と語った。