信じるのをやめたこと「旦那の言葉」「ママ友の仲良し」「求人情報の『和気あいあい』」
「絶対に誰にも言わないでね」「うん、約束する」。この会話は少女時代特有のもの。誰かに秘密の話を打ち明ける時、ヒヤヒヤしながらも「誰にも言わない」の約束は守られるものだと信じていた。
しかし大人になった今は、そんな会話のやりとりは皆無。少女時代に何度も裏切り裏切られ、いい加減に「人の秘密はバラされるもの。言うほうが悪い」との結論に達したからだ。
「信じたものはバカを見る」のが嫌で、疑いの目で世の中を見るようになった今も、たまにコロっと騙される。いや、騙されるというか「騙されてもいっかな」と飛び込んでしまうことがある。たとえば「シミがポロっと取れる」というエステ系の施術。結果、ちっとも薄くなりやがらない。期待して損した。悔しいが、人生は日々勉強だ。(文:みゆくらけん)
「やたらいろいろ聞いてくるママ友は信用できない」
先日のガールズちゃんねるでも「もう信じるのをやめた事」というトピックが話題になっていた。集まったコメントの中で特に目立っていたのは「自分の旦那」というものだった。
信頼して結婚したはずの旦那のどんなところを「もう信じない」と決めたのかというと、「言う事」「イクメン宣言」「忙しいという言葉」「もう飲み過ぎないという言葉」などが上がっていた。最後の「もう飲み過ぎない」という言葉を安易に吐く旦那を一切信用しなくなったという女性は、
「毎回帰ってきてクダまいてだらしなく寝てうんざり。肝臓壊して飲めなくなってしまえばいいのに」
と相当なストレスが溜まっているようだ。それでも、期待して裏切られるより最初から「もう飲み過ぎない」の言葉を聞き流している方が精神的にマシなのだろう。
他に多く上がっていたのは”ママ友”に関すること。「ママ友の仲良し」は信じないという声にはじまり、
「ママ友の情報収集と情報通。ウソばっかり」
「やたらいろいろ聞いてくるママ友は信用できない。話を盛ってランチ会で話してるから」
などというコメントが。やはり子どもを通して繋がる相手というのは純粋な友達とは違うため距離感が難しいようだ。本気で友達だと思って接していると痛い目に合いますよということか。かといって、最初から「どうせママ友なんて」と冷めた気持ちで接するのも虚しい気もするが。
「運命の人はいるという説」「松居一代と泰葉の言うこと」
ママ友どころか、「女同士の友情」を信じていない人もいるようだ。「女友達なんてほんとマウンティングしたいだけの集まりだったりする(笑)」「嘘と妬みと見栄ばっか」などという悲し過ぎる書き込みもチラホラと。
しかし筆者などは思う。もうそれならいっそのこと女の友情というものを「それ前提」で受け入れてしまえば、互いにハードルが低くなってそこから本物の友情が生まれることもあるのではないかと。要は、最初から期待するから虚しくなるのだ。
この他「信じなくなったもの」として「運命の人はいるという説」「良い言葉をいえば良いことが起きるなどの宇宙の法則」「松居一代と泰葉の言うこと」「求人情報の『和気あいあい』」などが上がっていた。