“今こそエヴァみたいなガンダム作るべき”というオタクの主張 「キリスト教世界観を入れたり、ガンダムが暴走したり……」
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:2』が大好評のようだ。自分はここではガンダムのコラムをよく書いているんだけど、今回は見事完結したエヴァにちなんだ、野暮な話を紹介していきたい。
5ちゃんねるに先日「エヴァ終わったし。エヴァみたいなガンダム作るべき」というスレッドが立っていた。もうタイトルだけで野暮だ。でも、ここからもまた野暮の積み重ね。ちょっと笑っちゃうぐらい野暮だからスレ主の発言を引用していきたい。(文:松本ミゾレ)
「中学生ぐらいを主人公にしたり、学園物要素いれたり」
「エヴァを卒業したエヴァ難民をガンダムに引き込むチャンスだよ。中学生ぐらいを主人公にしたり、学園物要素いれたり、キリスト教的な世界観にしてみたり、ガンダムが暴走しちゃったり。そういう新しいエヴァガンダムみたいのが必要だと思う」
まとめサイト管理人辺りが、わざと荒れさせて話題にするためにでっちあげたかのような、言ってしまうとお粗末な書き込みなんだ。
まずエヴァ難民ってのがちょっと面白いんだけど、エヴァを卒業したオタクの、果たして何割がこれまで『機動戦士ガンダム』をスルーして生きてきたんだっていう。どこかしらで既に接点あると思うのよね。
それにガンダムの主人公って大体未成年だし、学園物って題材がなんか古いし、宗教観を入れるのも安直だし、『ガンダム』ではしょっちゅう”人”が暴走しているし。今更エヴァをなぞってデッドコピーを作るのは、どうだろうかねえ。
それこそスクウェアがエニックスと合併する前に『ゼノギアス』ってゲームを世に送り出していた。これがもう、やってて「これ大丈夫なの?」ってぐらいに『新世紀エヴァンゲリオン』にインスパイアされていて。
まあアレはエヴァだけじゃなくて色んな映像作品の美味しいところをガンガン使っちゃってる最高にハイなゲームだったから個人的な評価は高いんだけど。
そういった前例を見てきているので、僕はこのスレ主の主張に対しては「あれ? 97年ぐらいからタイムスリップしてきた人かな?」という印象を抱いた。
「全貌の分からない敵からの襲撃」VS「敵もまた人間」
『新世紀エヴァンゲリオン』については、恥ずかしながら僕は放映スタートから完結までの25年のうちにほとんど触れてきていない。それは単純にリアルタイムてTV放映時にチラッと見たときの、なんだろう。感触の悪さというか、そういうのがあったためだ。
ただし、周りはエヴァにかなりハマッていたし、かなりの人気があったことは間違いない。後年、なんとかテレビ版だけは観たんだけど「やっぱ嫌いだな」というのが正直なところ。
もっとも、全部が全部ってわけではない。使徒の襲来目的は今でこそファンにはよく理解されているけど、序盤はその辺が伏せられているので、未知の敵勢力として見ると本当に恐ろしい。
ここが『ガンダム』シリーズとは違った特徴というか、魅力に感じられる。ガンダムの世界を作る軸って、MSがただドンパチするんじゃなく、対立する国家双方の人の描かれ方だと思うのだ。主人公が属する側にも俗物がいるし、敵勢力にだって善人がいるという。そういう描き方が魅力であり、群像劇としてかなり広がりが感じられるのだ。まあ、そういうロボットアニメって他にもいくつか存在しているけども。
既にガンダムの魅力というものはドラマとして完成はされているので、そこにエヴァの味をぶち込む必要が、果たしてそこまであるんだろうか。僕は、あんまり意味はないように感じちゃうんだけどなぁ……ほかのオタクの意見も聞いてみたいところである。