中堅社員となったころ、営業開発業務や仕入れ商品の品質保証を担当することに。「営業開発では全国の客先に出向いて製品の新規開発につなぎ、仕入れ商品の品質保証では年間のクレーム件数を半分以下に減少させるなど、さらに実績を重ねることができました」と胸を張る。
その仕事ぶりは「当時の社長や4人の常務取締役からも重宝してもらっていました」というから、悪い環境ではなかったようだ。ところが、「入社15年目の株主総会で、同族経営の一部の方々が社長と4人の常務取締役を電撃解任し、社内の様子は一変」した。
「直属の上司は自分の指示ミスによるクレームを私に押し付け、私がミスをしたような物言いで、社内に響き渡るほどの大声で毎日𠮟責を浴びせ続け、新経営陣に自分の責任ではないことをアピールし続けました」
男性が退職を決意したきっかけがまさにこれだった。「当時はまだ世間にはパワハラという概念が薄く、私は『このままこの会社にいては精神を病んでしまいそうだ』と思い、数か月間の残務整理を経て、退職しました」と報告している。
「自分自身が活きる仕事を探してもっと早く転職すればよかった」
その後、男性は地方自治体の職員となり、「これまでの仕事で培った能力を活かして」働いているという。
「今思えば、外見がよさそうに見えてもやりがいと待遇が見合わない企業に我慢して長年勤めるより、自分自身が活きる仕事を探してもっと早く転職すればよかったと思っています」
と実感を吐露。「今の仕事は、これまでの自分が培った能力や職業スキルも活かせて、やりがいもあります。また、仕事内容と待遇のギャップも少なく、仕事も私生活も充実しています」と転職の成功体験も綴っている。