「なので、社長は定時前によく帰り、私は夜遅くなる時で23時を過ぎることもよくありました」と理不尽な労働環境を語る。
「関西を中心に営業も行なっていたので、早朝5時に出勤してそのまま京都へ行った後、会社に戻って和歌山へ。終わったら会社に戻った時には21時を過ぎて、そこから事務作業をしたら23時まわるなど過酷な労働環境でした」
営業として飛び回ったうえ、長時間労働をさせられていたのだ。
「酷すぎたので、体調不良で休み病院行ったらパニック障害とうつ状態と診断されました。それが勤務していた6年弱の間、3回発症しました」
「3回目は特に酷く、無理矢理休んだんですが、さすがに復帰は困難と判断しそのまま去年の7月に退職しました。ただ、辞めた後も社長から怪文書が届くようになり社会復帰までに3か月以上かかりました」
結局、身体を壊し辞めることになったが、退職後も散々な目に遭わされたようだ。「3回目を発症した時が去年の2022年6月でした。その時が一番、社長は許せないと思いました」と憤りを綴る。しかも、こんなことがあった。
「コロナ感染予防対策をしてくれない。マスクを鼻までずらす、外しての会話。特にその状態で顔を近づけてくる」
「自身が陽性反応が出たにも関わらず、出勤をしてくる。マスクを外して『あなたもかかってるわ!』と笑いながら言ってこられたため、商談・面談の予定していた方たちに連絡しスケジュールの変更をせざるを得ない状況になり、業務に支障をきたされた」
なんと経営者でありながら感染対策どころか商談に支障をきたすなど、信じられない行為をしていた様子だ。許せないのもよくわかる。しかしこれもまだまだ序の口。社長のひど過ぎる言動の数々は、これだけにとどまらなかった。(後編に続く)