なんでも立ち上げ時は忙しいものだが、それにしても限度があるだろう。静岡県に住む40代前半の女性(サービス・販売・外食/年収300万円)は、
「立ち上げだから仕方ないという言い訳じゃ済まないハードさでした」
とコンビニ弁当工場で働いた20年前の経験を回想した。
当時21歳だった女性は、コンビニ弁当を作っている会社が新しい工場を地元で立ち上げると知り応募。女性を含めて9人の若い社員候補が採用されたが……(文:國伊レン)
体調崩し休んだら電話で責められ「じゃあ辞めます」
社員候補たちは東京の工場で2か月ほど研修を受けた後、地元に戻った。そしてついに工場が動き始めたものの、思いがけないことの連続だった。
「本当は労働時間は8時間のはずが仕事が回るように朝7時に出社し、早く帰れて夜7時、ほとんどは9時で遅い時は11時なんてくらいにやること多すぎて帰れませんでした。休みも契約上は月8でも週1の休みですらやっと確保するという有様」
と、忙殺の日々だった。他の工場から応援のベテラン社員も来ていたが人手不足で、自分以外の役割も押し付けられた女性。さらに工場長からは「私が関わりのない件に関してなんでわからないんだと責められた」とモラハラも受けていたそうだ。
「そんなハードな状況に体調を崩して休んだ時に電話がきたと思ったら責められたので、『じゃあ辞めます』と言って本当に辞めてしまいました」
よく働き工場に貢献してきた女性に対し、労いどころか叱責の電話を入れてきた工場長。彼自身も忙しかったのかもしれないが、窮地に立たされて人の心を失くしてしまったのだろうか。
このブラック工場を退職したのは、女性が初めてではないそうだ。
「私より先に数人辞めていたし、社員候補は半年で半分辞め、1年後には3人しか残らなかったそうです」
こんな環境では退職者が続出するのも当然だ。応援に来ていたベテラン従業員も次々と辞めていったそうで
「地元から車を運んでもらって届いた日に『もう辞めて地元帰らん?』なんて話して同じ工場から来た人と逃亡してそのまま会社を辞めた」
「他工場で優秀だったから応援に来た人だったのに月1しか休めず辞めた」
などと、脱獄するかのように工場を去っていった。ベテランも辞めたくなるほどとは相当だ。どんなに厳しい経営状況であったとしても、従業員への労いは忘れてはいけなかっただろう。